Interview
2020.10.12

下町を愛するイラストレーターが描く、懐かしくて新しい日本橋の姿。 現代に浮世絵を蘇らせる「令和新版画」プロジェクトとは?

下町を愛するイラストレーターが描く、懐かしくて新しい日本橋の姿。 現代に浮世絵を蘇らせる「令和新版画」プロジェクトとは?

空が開け、過去と未来が入り交ざったような日本橋の夕景を描いた作品「夕暮れの日本橋」。伝統的な浮世絵をベースにしつつ、現代の技法や表現を取り入れて制作された現代版の浮世絵です。この作品を手がけたのは、懐かしさの中に新しさを感じさせる下町風景を描くイラストレーター、つちもちしんじさん。浮世絵を現代に蘇らせる「令和新版画」プロジェクトに参画し、2020年2月には『つちもちしんじ作品集 浮き世(UKIYO)』を刊行しました。新しい浮世絵のムーブメントをつくり出すことを目指すつちもちさんに、浮世絵の魅力や「令和新版画」プロジェクトについて、そして「夕暮れの日本橋」への想いを聞きました。

過去から未来へ。時の流れに想いを馳せながら日本橋を描く。

―「夕暮れの日本橋」は、ゆったりとした空気感の漂うどこかノスタルジックな作品ですね。なぜこの作品を描かれたのか、日本橋への想いなどとともにお聞かせいただけますか。

日本橋は会社から近いので、昼休みなどによく散策しているんです。西洋建築のビルと老舗のお店が入り混じり、車が通る近くを船が行き交う、おもしろい界隈ですよね。そして、江戸時代から多くの人が集まる拠点でしたが、近年は再開発が進んで若い世代にも人気がある街です。そのような、時代の流れの中でも引き継がれている要素と新しい要素とが共存する、この街の独特の雰囲気を描きたいと思いました。実は以前にも日本橋を描いたのですが、そのときはファンタジックな夜景で動きのある絵だったので、今回はまた違う日本橋の姿を表現したいと思い、夜景に切り替わる前の静かなゆっくりとした時間を描きました。

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「夕暮れの日本橋」以前につちもちさんが描いていた「トーキョー・メトロポール(日本橋)」(画像提供:つちもちしんじ氏)

―「夕暮れの日本橋」もこの夜景の作品も、日本橋の頭上を走る高速道路が描かれていませんが、どうしてでしょうか?

それは、高速道路がない風景をアートとして表現してみたかった、というシンプルな気持ちからです。日本橋は、江戸時代の浮世絵師・歌川広重をはじめ、数多くの画家によって描かれてきました。その日本橋の、かつての姿を想像しながら描いてみたかったんです。高速道路を描かないことによって、ノスタルジーを感じさせつつ、未来ともとらえられるような作品を目指しました。

―今後描いてみたい日本橋の姿はありますか?

夜と夕暮れどきを描いたので、次は夜明けですかね。また、人が行き交う朝の情景やワンシーンも描いてみたい。僕は、タイムスリップ感のある景色や、ほかと違う時間・空気が流れているところが好きなので、昔の日本橋はこういうところだったのでは、逆に未来はこんな風かな、と想像しながら描いてみたいとも思います。日本橋は、さまざまな姿を描きたいと思わせる魅力的な場所ですね。

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平日は日本橋エリアに勤務しているつちもちさん。出勤前の2~3時間と週末にイラスト制作を行っている

―「夕暮れの日本橋」をはじめ、つちもちさんの作品はどれも、現代を描いているのにどこか懐かしさを感じさせますよね。被写体の探し方や制作のプロセス等についてお聞かせいただけますか。

僕は街歩きが好きで、特に下町を歩いていると描きたいと思う場所に出合うことが多いです。切り取ったときに懐かしく思ったり、デジャヴを感じたりするところが好きですね。描くときには、絵を見る人がその場所を知らなくても、別の風景を思い出すきっかけになるような、自身の思い出を重ねてもらえる作品にすることを意識しています。見る人それぞれの想いに寄り添えたらと思って。描く風景を介して、見る人とコミュニケーションを取る。それが理想ですね。

また、自分なりの遊びの要素、たとえばキャラクターや妖怪など、ネタとして何かワンアイデアを入れるようにもしています。「夕暮れの日本橋」では招き猫ですね。だれかが気付いてくれたらうれしいなと思いながら、こっそり描いています(笑)。これも、絵でコミュニケーションを図りたいという僕の想いの表れかもしれません。

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作品集『東京下町百景』より、「1景 夕焼けだんだん(谷中)」(画像提供:つちもちしんじ氏)

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作品集『東京下町百景』より、「30景 聖橋 湯島 文京区湯島1」。よく見るとクスリとさせられる要素がある(画像提供:つちもちしんじ氏)

―「夕暮れの日本橋」は「令和新版画」プロジェクトの一環として制作されたと伺いました。これはどのような活動なのでしょうか?

「令和新版画」プロジェクトは、「都鳥」という版元の柏木隆志さんが立ち上げたプロジェクトです。浮世絵の摺り師を曾祖父にもつ柏木さんは、作り手が激減している浮世絵をなんとか後世につなげるべく、現代に合わせた新しいコンセプトの浮世絵「令和新版画」を制作しようと考えたのです。ちなみに新版画とは、江戸時代の浮世絵を継承しながらリバイバルし、大正~昭和初期に制作された木版画のことです。

伝統的な浮世絵は、下絵を描き、版を手彫りし、一枚一枚刷るという工程でつくられますが、「令和新版画」は、現代的なモチーフで立体的な下絵を描き、レーザーカッターで版をつくるというところがアップデートされています。伝統的なやり方に最先端の素材や技術を取り入れて、これまでにない新しい木版画、つまり現代版浮世絵を制作するというプロジェクトなのです。僕は柏木さんに誘われて絵師としてプロジェクトに参加し、制作した作品のひとつがこの「夕暮れの日本橋」なんです。

立体的な表現手法と絵柄のおもしろさ。新版画の魅力を自らの作品で伝えたい。

―つちもちさんが現在の作風に至るまで、どのように絵を学んでこられたのかを教えてください。

子どもの頃はマンガを描くのが好きだったのですが、中学・高校時代に美術を学ぶ中で、ゴッホに強く影響を受けました。ゴッホは浮世絵を大変好み、自身の作品にも浮世絵の要素を取り入れているので、ゴッホの作品を通して僕も浮世絵に興味を持ちました。その後美大に進学し、浮世絵のように「日本にいないと学べないもの」を深めたいと思い、日本画を専攻しました。しかし大学では、岩絵具(=おもに鉱石を砕いてつくられた粒子状の日本画用絵具)を使って絵を描くというのがメインで、興味のあった浮世絵について学ぶ機会はありませんでした。ですので、あくまで独学と我流の解釈により、浮世絵をベースにした作品をつくっています。

―つちもちさんにとって浮世絵の魅力とはどのようなものでしょうか。

浮世絵といっても、実は僕が刺激を受け魅了されたのは、先ほども少しお話しした「新版画」というジャンルなんです。新版画は、ちょうど西洋化の波で日本の美術が揺れ動いていた時代に生まれました。絵師としては川瀬巴水などが有名で、当時欧米で盛り上がったジャポニズムの影響もあり、新版画は国内よりも海外で高く評価されました。現代においても、故・ダイアナ妃や故・スティーブ・ジョブズが新版画を収集していたことが知られています。

この新版画と江戸時代の浮世絵との大きな違いは描き方です。浮世絵固有の平面的でシンプルな描き方ではなく、新版画では明暗・陰影で描くため、水彩画と見紛うほどの立体感があります。同じ作品でも角度によって見え方が異なるので、見れば見るほどおもしろいんですよね。また、日本的な要素と、文明開化による西洋的な要素が複雑に絡み合った、和洋折衷の絵柄も非常にユニーク。立体的な表現手法のおもしろさと絵柄のおもしろさが、浮世絵の後継である新版画の魅力ですね。僕の作品でも、その両方のおもしろさを伝えたいと思っています。

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新版画の代表的な作家、川瀬巴水の「日本橋(夜明)」(出典:Japanese Art Open Database)

―新版画には、ご自身の作品と通じる部分もあったのでしょうか?

新版画は何十層もグラデーションを重ねているのが特徴なので、新版画のことを知ったとき、僕が学んできた日本画の繊細なデッサンの技法を、新版画の明暗・陰影での描き方に生かせると感じました。また、僕のマンガ的なタッチをうまく加えられそうだったこともあり、新版画をもっと学んでいきたい、新版画の技法で作品をつくりたいと思ったのです。どうすれば新版画の作品をつくることができるか模索していたところ、浮世絵を現代に蘇らせる「令和新版画」プロジェクトのメンバーから声をかけていただき、まさに願ったり叶ったりでした。

多くの人とのコラボレーションで、現代に浮世絵を蘇らせる。

―「令和新版画」プロジェクトについて、どんなプロセスで作品を制作されているのか、もう少し詳しく教えて下さい。

新版画は、まず絵師が下絵をつくり、彫り師が版に仕上げ、摺り師が刷るという工程で制作されていました。「令和新版画」プロジェクトでは、これにところどころで新しい技術を取り入れています。たとえば、僕は自分のこれまでの作品と同様にデジタルで下絵をつくり、それをレーザーカッターで版にしてもらいました。難しかったのは、デジタルの絵を版画にする際の絵の具の濃さの調整です。どのくらいの濃さがちょうどよいのか、摺り師さんや版元さんと何度も打合せを行い、試し摺りを繰り返して、ようやく「これだ!」という色の具合にたどり着きました。大変でしたが、その過程も非常におもしろかったです。

普段の制作は自分一人で行いますが、現代版浮世絵の制作はチームプレイ。多くの人とのコラボレーションで作品をつくり上げていくのは、とても新鮮な体験でした。でき上がるのは自分の作品ですが、自分だけの作品というわけではありません。さまざまな過程と多くの人の手を経て「雨の銀座」と「夕暮れの日本橋」が完成したときには、とても感慨深いものがありました。これらの作品で、「自分が表現していきたいのはこういうことなんだ」と明確に打ち出すことができ、技法的にも浮世絵に近づけたと自負しています。一方、作品を作ってみたことで、もう少し版画的な下絵の描き方があるのではないか?という気付きも思ったので、これから研究して色々と試してみたいです。

「彫り」から「摺り」の工程の様子。現代版浮世絵でも伝統的な摺り技術が受け継がれており、優秀な摺り師がいれば何でも刷ることができるという(動画提供:つちもちしんじ氏)

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「令和新版画」プロジェクトの作品のひとつ、「雨の銀座/東京夜景」。視線の角度と下地色によって色彩が変化する最新の偏光顔料を、雨の表現に用いている(画像提供:つちもちしんじ氏)

―「令和新版画」プロジェクトの今後の展望や、つちもちさんの抱負をお聞かせください。

はじめは一絵師として参加した「令和新版画」プロジェクトですが、今では中心メンバーとなり、絵師の選定やサポートなども行っています。僕は、伝統をつないでいくためには、それを皆にとって身近なものにする価値転換を図る必要があると考えています。そのためには、まずはこのプロジェクトを盛り上げ、僕以外にも若い作り手を増やし裾野を広げていくことから始めたい。だから、美人画や花鳥風月を描いているさまざまな絵師さんたちにプロジェクトに参加してもらい、彼らの作品をいかに版画で残すかを考えて動いています。そして版画を作ることで彼らに有名になってもらえたら嬉しいですね。

それともう一つ、浮世絵や新版画を観る側にとっても身近な存在にするためには、流行りの音楽を聴くのと同じような感覚で親しめる必要があると考えています。たとえばSNS等も活用して、若い人たちが気軽に作品や作家と出会える場をつくりたい。2020年8月に新版画の展示会を行ったのですが、やはり実物を見てもらうことは大事だと実感しました。今後、そのような場・機会をもっと増やしていきたいですね。そして、浮世絵の新しいムーブメントを生み出すことを目指します。

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「夕暮れの日本橋」を手にするつちもちさん。浮世絵を後世に残すための新しいムーブメントをつくるべく、「令和新版画」プロジェクトにさらに力を入れていく

取材・文:小島まき子 撮影:岡村大輔

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