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2019.09.17

既存領域のリデザインに挑むトップクリエイターたちの共演。「β Lounge」Vol.1 トークセッションレポート

既存領域のリデザインに挑むトップクリエイターたちの共演。「β Lounge」Vol.1 トークセッションレポート

日本橋と若手クリエイターをつなぎ、街の未来をつくる共創プロジェクト「nihonbashi β」が主催するイベントシリーズ「β Lounge」が、去る7月31日にスタートしました。すでにあるモノゴトを新しいコンセプトやテクノロジーで再設計する「ReDESIGN」をコンセプトに、さまざまな領域の更新に取り組んでいるクリエイターたちが集う「β Lounge」の記念すべき1回目のテーマは、「インタラクティブクリエイティブのリデザイン」。共通のルーツを持ちながら、領域や組織のボーダーを超え、独自のアプローチで活動のフィールドを開拓してきたPARTYのクリエイティブディレクター・中村洋基さん、THE GUILD代表の深津貴之さん、Bascule代表取締役、クリエイティブディレクターの朴正義氏の3名をゲストに迎え、日本橋・THE A.I.R BUILDINGで開催されたトークセッションの模様を、ダイジェストでお届けします。

Flashとは何だったのか?

ー本日登壇されている皆様は、Flashという技術を駆使しながらウェブ/インタラクティブ業界で注目を集めてきたという点が共通しています。そこでまずは、それぞれにとってFlashがどんなものだったのかというところから振り返って頂けますか?

中村:Flashは非常にとっつきやすく、同時に奥が深いものだったと思います。僕は2000年頃、Flashで挑戦的なバナー広告をたくさんつくっていたのですが、多くの大人たちが莫大なコストと労力をかけてつくるテレビCMなどに比べ、Flashは1、2人程度の人数でササッとつくれるところがあったんですね。他のどこにもない体験を自分たちで手づくりし、世の中の反響を最前線で体験できたのはFlashというツールのおかげで、そこには感謝しかないですし、僕自身を育ててくれたものだと思っています。

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PARTYのクリエイティブディレクターとしてさまざまなプロジェクトに携わる傍ら、 現在はヤフーのマーケティングソリューションズ統括本部のエグゼクティブ・クリエイティブディレクターなども務めている中村洋基さん。

深津:僕はユーザー行動やモノのインターフェースに興味を持ち、2000年頃にロンドンでプロダクトデザインを学んでいたのですが、その頃から、Flash等の最新技術の動向をブログで発信していました。それがきっかけで、中村勇吾さん率いるthaでFlashコンテンツの制作に携わるようになり、画面の中のたくさんの要素を最速で動かすような仕事をたくさんしていました。いま振り返って感じるのは、Flashは総合格闘技のようなもので、プログラミングはもちろん、アニメーション、ヴィジュアルデザイン、演出、ユーザービリティなどあらゆる知識が求められる場所だったということです。

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フリーランスで活動するクリエイターたちのユニットTHE GUILDの代表であり、メディアプラットフォーム「note」を運営するピースオブケイクのCXO(Chief Experience Officer)も務める深津貴之さん。

朴:バスキュールも2000年以降、最新の技術を駆使したFlashコンテンツを山ほどつくり、賞もたくさん頂いたのですが、Flashは最強のプロトタイピングツールだったと思います。当時は広告関連の仕事が主だったのですが、それまでの広告業界ではクライアントに複数案を提示するのが当たり前だった中、僕らはすぐに形にできるFlashの強みを活かしてプロトタイプをつくり、それを見せた上で採用かどうかを判断してもらうという仕事の進め方をしていました。言ってみれば、”ぽっと出”の自分たちが、業界の重鎮たちとは異なるアプローチを許されたのは、Flashのおかげだったと思っています。

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Basculeの代表取締役、クリエイティブディレクターとして、プロダクト、スポーツ、宇宙などさまざまな領域のプロジェクトを手がけ、本イベントを主催するnihonbashi β Projectの発起人のひとりでもある朴正義さん。

時代とともに変わるデザインの領域  

ースマートフォンの普及とともにFlashは徐々に存在感を失っていきましたが、その中でみなさんのお仕事はどのように変わっていきましたか?

中村:漫画『スラムダンク』のキャンペーンで、インタラクティブ掲示板をつくったり、展示イベントを行ったりしたのですが、その場でしか得られない深い体験というものに感動を覚えたことがひとつの契機になりました。2011年に電通を辞め、PARTYを立ち上げてからは、広告代理店ではできなかったことに取り組もうと考え、自分たちでプラットフォームやサービスをつくるようなことも始めました。そして現在は、古巣の電通とともにスタートアップのアクセラレーションプログラムに関わったり、ヤフーのマーケティングソリューションズ統括本部のエグゼクティブ・クリエイティブディレクターとしての仕事などもしています。

朴:僕は以前からインタラクティブなコンテンツはいつかテレビや映画などに匹敵する影響力を持つようになるとアピールしたい気持ちを持っていました。そのためFlash以降も、スマートフォンを宇宙に飛ばし、ユーザーのメッセージを届けるプロジェクトなどを通して、Webクリエイティブの可能性を追求してきました。やがて、特設サイトをつくって人を呼ぶより、人が集まっているプラットフォームやメディアのそばでものをつくった方がよりたくさんの人に影響を与えられると考えるようになり、ミクシィと合弁会社をつくったり、テレビとインタラクティブを融合させるような仕事をするようになりました。また最近では、流星やプロスポーツ選手のデータなどを用いて、フィクションではなく、新しいリアル体験を提供するようなコンテンツをつくる機会も増えています。

深津:イギリスで学んだモノのインターフェースや、Flashにおけるインタラクションなど自分が携わってきた領域を集大成したようなデバイスとして、2008年頃にiPhoneが登場しました。その頃に僕はthaから独立し、iPhoneアプリを開発するようになり、当時つくったカメラアプリは計150万本以上売れました。やがて、大手企業がアプリ開発に参入してくる中で個人の無力さを感じる機会が増え、スケールメリットのあるフリーランス形態をつくるべく、ザ・ギルドを立ち上げました。ザ・ギルドはさまざまなスキルを持つエキスパートによる「傭兵集団」として、サービスの立ち上げ支援やコンサルなどを行っており、現在は並行してnoteを運営するピース・オブ・ケイクのCXOなども務めています。

インタラクティブクリエイティブの現在地

ーSNSやスマートフォンなどの台頭によって、インタラクティブクリエイティブのあり方も大きく変化したように思います。

中村:以前に僕がつくっていたバナー広告におけるインタラクションは、マウスを操作したら何か反応が返ってくるといった原初的なものでした。それでも、他の広告分野にはなかった要素だったので注目されたわけですが、インタラクティブ領域で最も面白いのは、何か新しいルールをつくることで、それまでは関係がなかった人たちがユーザーとなり、勝手にコミュニティをつくり出すところだと個人的には思っています。

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中村さんが電通時代に手がけたホンダのバナー広告。運転中に携帯電話が鳴るという設定のもと、ユーザーがマウスをバナーに乗せると交通事故が起きたかのように閲覧画面が崩壊するというギミックで、脇見運転の危険性を訴えた。

深津:投げる石によってどんな波紋が広がるのかを考えることが、現在のインタラクションデザインの起点になっている印象があります。RTやLIKEボタンを押すこともひとつのインタラクションと言えますが、最近はそういうものも含めたユーザーの反応やユーザー同士のコラボレーションを設計していくことに重点が置かれていますし、僕自身、Flashの時代から現在に至るまで、ルールや仕組みの設計を通して、そこに何かが発生するような場をつくるということを一貫して続けてきました。

朴:ある種の社会実験ではないですが、こうしたら人々はこう反応してくれるかもしれないということを予測し、トライできることが僕たちの仕事の面白いところですよね。こうした志向は他の動物にはないものですし、人間の欲求として最も面白い部分とも言えるかもしれない。そこにインタラクティブクリエイティブの真髄があるような気がしています。

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中村:僕もみなさんと同じで、こういう球を投げたら人はどう動くだろうかということを考えながら、多くの人たちを同じゲームの土俵に立たせるようなことがとても好きなんです。ここにいるみなさんは、Flashなどの技術的な部分はもちろんですが、それ以上に、画面の向こう側にいる人の行動を魅了するやり口が優れていたのではないかと思います。

深津:最近、「MaaS」(Mobility as a Service)、「SaaS」(Software as a Service)などあらゆるものがサービス化することを示す言葉をよく聞きますが、次に言われるのは「◯◯◯ as a Ecosystem」なんじゃないかと思っています。これからのインタラクションデザインは、水槽や瓶の中に生態系ができていて、半永久的にその中で生命が循環するテラリウムのような仕組みを考えていくことなのではないかと。

朴:モバイルやIoTの技術が発展する中で、インプット側に新たな設計を行うこともポイントだと思います。先ほどお話ししたように、最近は流れ星が出現すると光るイルミネーションや、プロ野球のピッチャーが投げるボールと対戦できるVRコンテンツなどをつくっているのですが、これらは常に最新のデータが更新されるため体験自体が陳腐化せず、それこそ永久機関のようなコンテンツがつくれるのではないかと考えています。

Basculeが開発したVRコンテンツ「VR REAL DATA BASEBALL」。 ヘッドマウントディスプレイを装着し、センサーを組み込んだミットやバットを操作することで、プロが公式戦で投げた160kmを超える速球や鋭く曲がる変化球を、キャッチャーとして「捕る」、バッターとして「打つ」体験にチャレンジできる。

新たなフィールドを開拓する

ーテクノロジーやデバイスの進化によって劇的な変化が起こることも少なくないインタラクティブクリエイティブの世界で走り続けるためには、クリエイターとしてどんなことが必要になるとお考えですか?

深津:その時々の事象をどのレイヤーまで抽象化して学べるのかが肝だと思います。例えば、Flashに関してもアクションスクリプトなど言語の知識は、Flashというプラットフォーム自体が廃れるとリセットされてしまいますが、もう一歩深いレイヤーでFlashのプログラミングの思想そのものを学んでいれば、他の言語にも活かせます。さらに、先ほどの話のように何かしらの現象が起きた時に人はどう動くのかということまで考えられれば、他のインタラクティブ広告の案件にも応用できるし、深いところまで掘るほど横移動がしやすくなると思います。

“世界最速”を目指して深津さんが開発を始め、やがて漫画『キャプテン翼』とのコラボレーションプロジェクトに発展し、noteのエンジニアチームとともに完成させた漫画ビューア。Flash時代に培ったノウハウがふんだんに活かされているという。

中村:僕は、自分がいかに時代に対応してきたかということを客観的に語ることは苦手ですが、多くの人が同じ瞬間に同じゲームに没頭しているような共時体験を領域問わずつくっていきたいという思いが一貫してありました。例えば、「リアル脱出ゲーム」という非常に優れた密室エンタテインメントに心酔し、インタラクティブな要素を掛け合わせた「リアル脱出ゲームオンライン」というものをつくらせてもらったことがあります。これは同じ一時間の中で世界中の人たちが謎を解くというものだったのですが、こういう様を俯瞰することも、自分で参加することも面白いと思って色々なものをつくってきました。

朴:物事を考える時に、ボーダーを意識せず、こうなったら面白いんじゃないかということを先んじて実践してきた人たちがいまも生き残っていると感じています。昔はブラウザ上でなければ不可能だったインタラクティブな施策が、いまはそこら中でできるようになっています。その中で僕らは、まずプロトタイプをつくり、「これ、面白いでしょ?」と世の中に提示し、うまくいけばスポンサーについてもらうということを愚直に続けています。結果的に自腹になってしまうことも多いですが、トライした事実は評判を呼び、未来の体験をつくりたいクライアントに、未踏の地をともにいく伴走者として指名されることが多くなってきました。こうしたチャンスはインタラクティブ系のクリエイターに大きく開かれていると感じています。

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Basculeによる「kao.dance」は、スマートフォンを操作し、誰もが無料で名前や顔写真を露出できるインタラクティブLED大提灯。先日開催された神田明神の盆踊りにも出現し、会場を盛り上げた。

ーみなさんがいま注目している領域や、リデザインしてみたいと思う分野があれば教えてください。

朴:以前にバスキュールでは、「世界一長いWebサイト」として延々と縦スクロールする自社サイトをつくり、色々な賞なども頂いたのですが、そこで「宇宙と未来のニューヒーローをめざす」という標語を掲げていました。そこからだいぶ時は経ちましたが、現在まさに宇宙という領域の仕事をし始めています。下町ロケットではないですが、僕らのような小規模な会社でも宇宙に手が届く時代になっていますし、インタラクティブクリエイティブで何かをリデザインするなら、そのくらい飛躍できるものがいいんじゃないかなと。

中村:最近、巷ではVTuberなども注目されていますが、日本が世界に誇れる超匿名文化というものにもっと着目したいと思っています。例えば、渋谷のハロウィンなどにしても、自分のことはひた隠しにしながら、抑圧された感情を爆発させたり、吐露するような日本人ならではのコミュニケーションにおける変態性に興味があるので、かつての「セカンドライフ」の日本版とも言えるようなアバタープラットフォームをつくってみたいと思っていて、少しずつ手を動かし始めているところです。

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中村さんが生みの親の一人である「VALU」。個人の価値をビットコインで売買するマイクロトレードサービスとしてリリース当初から大きな話題となった。

深津:いまはnoteにおいてインターネット上の言論空間のリデザインにチャレンジしているところですが、それ以外の分野だと教育やスキル学習に興味があります。自分自身、新しいことを学ぶことが好きなのですが、最近はインターネットのSEOがおかしなことになっていて、何か調べようとした時にマニアックなことを掘り下げているコンテンツよりも、チャラいアフィリエイト記事のようなものが上位に来てしまうんです。学ぶことへの不自由さを感じているので、より高い純度で物事を学べるシステムやコミュニティをつくってみたいですね。

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イベント当日は、トーク席と別フロアに中継席も設けられ、多くの人たちがリアルタイムでトークセッションの模様を観覧した。

クリエイティブの力で街を未来につなぐ

ーnihonbashi β projectでは、若手クリエイターと日本橋をつなぐことをテーマに活動を続けていますが、まちのリデザインについてご興味はありますか?

深津:僕はロンドンに留学する前に、日本の大学の都市情報デザイン研究室というところで、人々がIT機器を使うことで生活様式や行動がどう変わるのかということを研究していたので、街というテーマには非常に興味があります。また、僕たちはnoteをベースに日本版TEDのような言論の場をつくっていきたいと本気で考えていて、大きなイベントスペースもいつか持ちたいので、そうした場所が日本橋で見つかったりするととてもうれしいですね(笑)。

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ピースオブケイクのCXOを務める深津さんは、メディアプラットフォーム「note」の技術面の統括も行い、日々サービスの向上に務めるとともに、自らもnote上でさまざまな発信を行っている。

中村:日本橋の話に寄せると、この街には創業100年以上の老舗も多いですが、それだけ続くお店というのは少なくとも一代ではできないですよね。それはある意味、世代を超えて現代に残る純文学の名作のようなものだと言えますし、それらが最新のクリエイティブやテクノロジーと出会う街になると良いですよね。例えば、日本橋人形町でロボット開発をしているGROOVE Xさんは、人形町をロボットの街にしたいと考えているそうですが、最新のテクノロジーと日本橋の歴史が融合しながら、新しいカルチャーが勃興していくような状況が生まれると面白いと思います。

朴:クリエイティブ業界では、最先端でクールだった表現が、あっという間に消えてなくなってしまうことも多々あります。そうした領域で活動をしている人たちと、街を舞台にどんなコミュニケーションができるのかということを考えていく上で、未来に残るもの、あるいは残したいものという視点が大切になるのではないかと。その点、日本橋には、暖簾や提灯など街を象徴するような媒体がたくさん残っています。これらをより強いものにするためにはどうするべきかを考えていくところから、クリエイティブのチャンスが生まれるのではないかと思っています。

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イベント終了後には、登壇者を交えた懇親会も行われた。

取材・文:原田優輝(Qonversations)  撮影:岡村大輔

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