小さいルールを外して、自由で豊かなコミュニケーションを。 岩沢兄弟が考える街の未来。
小さいルールを外して、自由で豊かなコミュニケーションを。 岩沢兄弟が考える街の未来。
日本橋の東側、近年クリエイターが多く集まる地区に工房兼オフィスを構える岩沢兄弟。彼らは「モノ・コト・ヒトのおもしろたのしい関係」を合言葉に、デジタルとアナログを融合させたオリジナリティ溢れる空間づくりを得意とするチームです。コミュニケーションのあり方が見直される今、人々が集う“場づくり”の最前線にいる彼らが何を思い、未来に向けてどんなアイディアを持つのか。兄のいわさわひとしさん、弟のいわさわたかしさんに伺いました。(トップ画像提供:岩沢兄弟/撮影:ただ(株式会社ゆかい))
二人の得意分野がクロスして、今のスタイルができた。
―はじめに、ご兄弟で活動するようなった経緯を教えて下さい。
いわさわたかし(以後、たかし):学生時代、別々の美大に通っていたのですが、実家が千葉なので大学までなかなか距離がありまして。それで兄の方が先に都内に部屋を借りて引っ越したので、僕もあとからそこに同居するようになりました。その頃から僕はフリーで活動していて、映像の仕事を頂いていたのですが、近くにいる兄にも時々手伝ってもらってました。逆に 僕も、建築系のバイト をしていた兄のPC 周りの作業などをやっていたので、学生の頃からちょこちょこ二人で協力し合ってましたね。
WEB関連やディレクションを担当する、弟のいわさわたかしさん。イベントで登壇することも多い。 (画像提供:岩沢兄弟)
―そこから法人化したのには何かきっかけがあったのですか?
いわさわひとし(以後、ひとし):直接的なきっかけは、あるクライアントと取引するのに法人格を持っている必要があったことで、そのタイミングで会社化しました。 会社化した当時は、弟とはバラバラの案件を受けることが多かったですね。僕は店舗設計などリアルなものづくり、弟はテレビ番組連動のサイト制作などが主で、8割が個別の案件、残りの2割でお互いをフォローする感覚でした。
たかし:その後だんだん世の中が空間設計にデジタルの要素を組み合わせるように動き始めて、依頼内容も変わってきましたね。僕が番組制作に関わってた頃はまだiモードの時代で、デジタルなものをリアルに絡めると言っても、せいぜいイベント会場に置く抽選会のボタンくらいで(笑)。それがスマホが出てきてコミュニケーションの根本が変わっていく中で、イベントをまるごとテクノロジーと連動させて、そのための什器もオリジナルで作るというような、僕たちそれぞれの領域を合わせたような案件が増えていきました。その頃から、会社として二人で一緒にやる価値が出てきたんじゃないかと思います。
―お二人がそれぞれの分野でやっていたことが、時代とともにクロスするようになっていったんですね。
たかし:そうですね。兄弟でユニットのように活動する機会が多くなってきました。なので会社名は「バッタネイション 」なんですが、この頃はパッと見でわかりやすい「岩沢兄弟」の方を前面に出すようにしています。1年前にウェブサイトもリニューアルして、岩沢兄弟の文字がドーン!と出てくるものに変えました(笑)。
立体物デザインを担当する、兄のいわさわひとしさん(画像提供:岩沢兄弟/撮影:ただ(株式会社ゆかい))
―お仕事の中で大事にされていることはどんなことでしょうか?
たかし:どんな案件をやるにしても、まず“楽しく”やるっていうのはすごく意識しています。 人や組織の活動拠点を作ることが多いので、手がける側もポジティブな楽しさを感じていないと、良い活動を生み出すような空間デザインはできないと思うので。
ひとし:発想が窮屈にならないようにすることも大切だと思っています。 たとえば僕らは家具を作っていますが、使い方を限定するようなことはしたくなくて、「自由に使っていいよ」というメッセージを家具の方から醸し出させたい。常識に囚われない発想を提案できたら良いなと思って作っています。
今回の取材はZoomを用いて実施された (イラスト:相澤 奈那(あいざわ なな))
“小さいルールから外していく”のが岩沢兄弟流。
―最近のお仕事で、その考え方が体現されている事例があれば教えて下さい。
たかし:昨年、茨城県神栖市の「かみす防災アリーナ」の家具のデザインを手がけたんですが、あれはかなり“自由さ”を意識してやらせて頂きました。「家具の位置を固定しないものにしたい」と何度もプロジェクトチームと相談して、家具に可動式にして、災害時に同施設が避難所として機能するときには自由に動かせてレイアウトを変えられるものにしました。動かせるだけでなく、たとえばフラットなソファは非常時には簡易ベッドになったりとか、工夫次第で用途もいろいろ考えられるようになっています。
「かみす防災アリーナ」で岩沢兄弟が手がけた家具。動かせるだけでなくプラコンテナが使われていることも特徴で、災害時にはさまざまな用途で活用できる。(撮影:後藤晃人)
ひとし:「かみす防災アリーナ」は公共施設で、平時は住民のコミュニティエリアとして機能しています。公共施設って管理されている場所というイメージが強いと思いますが、そこに動かせたり用途を変えたりできる家具があるのはけっこう斬新だったみたいで、よく驚かれますね。「これ公共施設なの?」って(笑)。
―防災施設としての機能を果たしつつ、平時はあくまでデザイン性の高いコミュニティ施設であることが素晴らしいと思いました。
たかし:僕らは災害時に使うことに特化した家具を作っているわけではないので、機能面だけ見ると十分ではない部分もあると思います。すべての収容人数分のベッドがこの家具だけで賄えるわけでもないですし。でも災害時のことをベースに発想すると、日常的には使われなくて有事の時だけに急にガラッと切り替わるものになってしまいがちです。そうなると、皆がこの場所を日常とは断絶したものだと感じて、自分ごと化できなくなってしまう気がして。日頃から触ったり動かしたり、慣れ親しんでいるものが災害時にも活用される、ということを目指して作ったら、こんな形になりました。
―日常の延長に有事のことを想定する、という考え方の提案にもなっている気がします。
たかし:そうだと良いですね。防災施設のあり方、みたいな大きな枠から変えるのは大変なことですが、家具は固定するもの、有事に入れ替えるもの、などといった“小さなルール”から外していくことなら世の中に提案していきやすい。ルールを外していく中で、やっぱりちょっと管理しにくいなどという声も一部出てきてしまうのも現実ですが、そこは工夫を重ねつつブラッシュアップしていければと思います。
普遍性が生まれにくい時代のアフォーダンス。
―お二人のさまざまなアイディアは、日々どんな風に生まれているのでしょうか?
ひとし:そうですねぇ…、仕事柄ずっと“物”のことは考え続けてるのですが、たとえばホームセンターをふらふらしながら、目の前のあるものがたまたま結びついて思いつくというのはけっこうあります。
あと僕は極端な発想を飛ばして現実に降りてくる感じの考え方が好きですね。たとえば電車のシルバーシート。あれって高齢者にとって実は座りづらいし立ちづらいんじゃないか、もしかしたら立ってる方がラクなんじゃないかって思ってまして。でもさすがに高齢者を立たせておくわけにはいかない、じゃあハイスツールくらいの高さがちょうど良いのかなってアイディアが落ち着くイメージです。
たかし:僕らけっこう世の中に対する“文句”が多いんですよ(笑)。普段から「あれって使いづらいよね!」とか言い合っていて。その解決方法のアイディアが、僕は観察・思考寄り、兄はデザイン寄りなところがあるかもしれません。
たとえば、郵便ポストの上ってよく空っぽになった飲み物が置いてあるじゃないですか?ゴミを放置するのは良くないことですが、つい飲み物を置いてしまいたくなる環境としてのポストが存在している。一旦、そのことを認めた上で、解決策を考えていくこと。そんな人工物が作り出している“アフォーダンス(※ここでは物の形がユーザーの行動を導くこと)”を観察することから出てくるアイディアも多いですね。
これからは、アフォーダンスの残り香とでもいうような、行動を誘発するものが撤去された跡にも注目してみたいです。人の行動の痕跡から面白いものが作れないかなと考えたりもしています。
ひとし: 僕らが作っている「車輪家具」にもそのアフォーダンス的な要素があって、車輪が持っているアフォーダンスを強調することで「車輪が付いてるんだよ」「動かせるんだよ」とアピールして、使う人の工夫を促すように作っています。
車輪家具の一例であるホワイトボード。車輪を大きくすることで使い方を誘導する、アフォーダンス視点が取り入れられている。(岩沢兄弟Instagramより引用)
たかし:この前、目の前の壁に向かってスマホで話している年配の方を見かけて興味深かったのですが、多分この方は家の固定電話で話すことに慣れている世代だったから、無意識にこの行動を取ったんですよね。でも、コードレスになって部屋を自由に歩きながら話すのが電話という世代、さらにスマホしか知らない世代はそもそもこの感覚を理解できないんじゃないかと思うんです。
壁に向かって通話する男性(画像提供:岩沢兄弟)
なので、アフォーダンスというものと、経験からくる行動の違いというのは、意識しながら観察する必要がある。特にコミュニケーションツールは、世代による経験の差が大きい時代なので、使う人を“観察する”精度をもっと上げていかなければと感じています。
ひとし:普遍的なデザインをするハードルは上がってますよね。たとえば今zoomなどでのオンラインのコミュニケーションが急速に普及していますが、全員が正面を向いたまま会話をするって、物理的にはありえない状況じゃないですか。今はコミュニケーションの捉え方が次の世代に入っていく過渡期にあるのを感じます。
―今もまさにzoomでインタビューをしていますが、これがスタンダードだと思って入ってきた新入社員などは、コミュニケーションの感覚が違うかもしれませんね。
ひとし:「会議室って喋りづらいんですけど!」とかありそうですよね(笑)。
この街の、ほど良い隙間と多様性が好き。
―お二人はコミュニケーションに関わる空間設計を手がけながら、地域のコミュニティとの関わりも深いですが、これは何か経緯があるのでしょうか?
たかし:2003年から日本橋の東エリアを中心に広まった「セントラルイースト東京(通称CET)」という活動がありまして、そこに参加していたことが街と関わるきっかけだったと思います。街中のスペースや空きビルなどを利用して、アーティストの作品展示やシンポジウムなどのイベントを行う大規模なアートイベントで、その運営のほかスペースの提供もしていました。
ひとし:僕らはもともと日本橋・小網町にいたんですが、小さなビルやお店がたくさんあって、都心とは思えない濃い地元コミュニティがありました。当時はビルの6Fにオフィスがあったので、もっと街の空気に近い路面に面したオフィスが良いなと思って、浅草橋と馬喰町の間あたりに移転したのが5年前です。
―移転後も近くに拠点を構えたのは、やはり日本橋に愛着があったからでしょうか?
たかし:そうですね。小網町のコミュニティは居心地が良くて離れ難かったのですが、SNSの普及で多少物理的な距離があっても気にならなくなってきたのもあり、それほど離れた感覚はないまま今もつながっています。また移転後の浅草橋の方でも地域のイベントなどに参加しています。
昨年行われたものづくりイベント「モノマチ」でのイベントの様子(画像:岩沢兄弟noteより引用)
ひとし:日本橋の東エリアは、何と言うかほどよく“隙間”がある気がして、それが好きですね。きれいに整い切っていないから、アイディアを生む余白があると言うか。それに多様性があるのも魅力で、オフィスビルも、ホテルも、商店も、地元として住んでいる人もいる。クリエイティブなことをする環境としては理想的だと思います。
たかし:多様な人たちがいるからなのか、地元に長くいる方が新しいことに自然と巻き込まれているのも、面白いと感じています。老舗の若旦那が歴史ある路面店も守りつつ、商業施設内ではお弁当を売ったりイベントでキッチンカーを出したり。そういうことに前向きでフットワークが軽いのがすごいなぁと思います。
―街との関わりがお仕事に生かされることはありますか?
たかし:直接的に何か別のビジネスにつながるということは少ないですが、以前渋谷で地元に関わるプロジェクトに携わった時には、日本橋での経験が生かされました。たとえば日本橋の「日本酒利き歩き」というイベントの映像制作を長年担当しているのですが、その中で地元の商店やお客さん、他のクリエイティブ会社など、街のさまざまな人たちと協力して企画を進める“作法”みたいなものが身についていたのは良かったですね。地元との関係作りは一朝一夕にできるようになるものではないので。
幼い日の岩沢兄弟(画像提供:岩沢兄弟)
次のコミュニケーションの形を観察する。
―昨今、場づくりやコミュニケーションのあり方が大きく変化してきていると思いますが、この状況をどう捉えていますか?
ひとし:最近この話題は僕たちの間でもよく出ますね。今の状況を見ていて思い出すのは、3.11の震災後の日本橋でやった、“振る舞い酒”の自主イベントです。あらゆるイベントが自粛される中で、日本橋のお祭りも中止になってしまって、みんな寂しくて沈んだ気持ちになっていた。それで地元の仲間と何かやりたいねって話して実施したのがこの企画でした。
3.11後に実施された、振る舞い酒の自主イベントの様子(画像提供:岩沢兄弟)
たかし:そうそう。日本酒メーカーの人に樽とお酒を提供してももらって、それを積んだリアカーに手作りのやぐらを組みました。やぐらにはおつまみを貼り付けて(笑)、お祭りのコースや知人の事務所をお神輿さながらに練り歩いたんです。スポンサーがいるような正式なイベントではなく、知り合いのところを訪問して回るという体裁で、あくまで個人的なアートプロジェクトとしてやりました。日程とコースのGoogleマップをSNSで公開しただけでしたが、たくさんの人が集まって笑顔になってくれました。
それで改めて気づいたのが、クリエイティブで街に対して何かしたいと思ったら、必ずしも大きなイベントにしなくても、街を歩くだけで景色は変えられるし、人の心を動かせるんだということです。別の言い方をすれば“アクションは街に出て起こすべきだ”ということでした。あの時に皆が欲していたコミュニケーションや「大変だけどお互い頑張ろうね」という対話を生み出すことができたことが、経験としてすごく残っています。
ひとし:でも今は当時とは違い、行動が制限される中で生身のコミュニケーションが難しくなっています。オンラインミーティングツールなどが新たな可能性を生んでいるとは思うけれど、オンラインで「お互い大変だよね」と言っても何か共有しきれない、失っているものがある感じが拭えないですよね。
たかし:だからといって、オンラインのコミュニケーションではダメだと言いたいのではなくて、そこで何が失われているのかを見極めて、リアルの対話で満たされるものとの違いや融合を考えることが、次のリアルを作る時に必要なんだろうなと思っています。だから今は「次はこんな時代が来る!」と答えを急ぐのではなく、このコミュニケーションの形が変わる過渡期を“よく観察する”ことが僕らにできることだと感じています。観察した上で、人々の意識やコミュニケーションの質が変わった時に、クリエイティブによる新しいアプローチを提案できる存在になっていたいですね。
ラジオ出演時のお二人(画像提供:岩沢兄弟)
東京で“街のプロトタイピング”を広めたい。
―今後お二人が挑戦したいことを教えてください。
たかし:二人とも小さい子供がいるので、子供のためのスペースや遊び場作りに興味があります。今は遊び方が決まっている遊び場がいろいろ作られていますが、どこか違和感がありまして…。
ひとし:わかるわかる。子供向けスペースにある物も、こうやって使うんだよとお膳立てされたものが多いから、道具だけ作って置いておいて「これはこうやって使うのかな?」と自由な発想で使われるような場所があったら良いですよね。
たかし:使い方を固定しないという意味で言うと、たとえばビルの建築予定地の使い方なども、もっと自由に考えられたら良いのになと思います。工事に入る前に期間限定の公園や遊び場になっていても面白いのではないかと。建設内容が決まる→更地にする→建設予定地の看板を立てるという決まったパターンではなくて、ビルを建てる前に一度そこを公園として解放するようにしたら、建設予定地の役割や可能性がグッと広がる気がしています。
―なるほど。建設計画の時間軸に、土地を解放する時期を挟むんですね。
たかし:都市計画の際に“街のプロトタイピング”みたいなものを考えるべきだと思うんです。都市計画って重厚で法律も多々絡むので、簡単に動かせないものだということはわかるのですが、今は誰も予測しなかったようなことが高頻度で起こる時代。計画上ではうまく行きそうだったことが根っこから崩れるなどということが起きてしまう。だから、その計画がきちんとその土地に馴染むように小さく実験する場所があっても良いのではないかと思います。
ただ公園にするだけでなく、ARやVRなどテクノロジーを駆使して建設後の街並みのイメージを体感してもらうコーナーがあっても良いですし、「あぁこの街はこんな風に変わっていくんだ」ということを遊びながら知ることができたら、都市計画がもっと身近なものになるはずです。
―それなら建物が建った後も、住民の方に親しみを持ってもらえそうです。
ひとし: 特に都市部のビル建築などを自分ごと化してもらうのは難しいことです。でも地元の人に“あの皆で遊んでた公園に立ったビル”と認識してもらえたら、長い目で見た時のビルの価値が全然変わると思います。たとえばよく建築前の土地に一時的に「三井のリパーク」っていう駐車場ができているのを見ますが、あれを「三井のパーク」にしたらいろいろできそうじゃないですか?(笑)公園部分をそのまま残してその上にビルを建てるなどという建築プロセスがあっても良いと思うし、プロトタイピングの反応を見ながら計画を変えるくらいの柔軟な視点が、これからは街にも必要になってくるんじゃないでしょうか。
「三井のパーク」のイメージ(イラスト:相澤 奈那(あいざわ なな))
たかし:自分たちが得意なのは、あらゆるコミュニケーターとつながってプロトタイピングし続けることだと思っているので、今後そのフィールドを都市開発にも広げられたら嬉しいですね。僕らが意識している“小さなルールを外す”という意味でも、街づくりにはまだまだ変えられる部分がたくさんありそうなので、何らかの形で貢献できたらと思います。
取材・文:丑田美奈子(Konel)
岩沢兄弟
「モノ・コト・ヒトのおもしろたのしい関係」を合言葉に、人や組織の活動の足場となる拠点づくりを手掛けるチーム。空間・家具などの立体物設計、デジタル・アナログ両方のツールを活用したコミュニケーション設計が得意。オフィスの空間デザインなどを幅広く手掛けるほか、ユニークな家具製作、地元イベントへの参画など、多方面で活動している。