Interview
2020.03.11

出発点は街のギャラリー。 伝統を“面白さ”で切り取る「馬喰町バンド」の表現活動とは。

出発点は街のギャラリー。 伝統を“面白さ”で切り取る「馬喰町バンド」の表現活動とは。

昨年惜しまれつつ営業が終了したギャラリー&ダイナー「馬喰町ART+EAT」から生まれ、多方面で活躍するバンドがあります。その名も「馬喰町バンド」。日本各地でのライブ活動の傍ら、NHK Eテレの人気番組「シャキーン!」の新コーナー「まつりばなし」では企画からアートワークまでを手がけ、彼らの世界観が溢れる作品として話題になっています。“ゼロから始める民俗音楽”をコンセプトに、独自の視点で伝統文化を切り取る表現はどうやって生まれているのか?バンドと個人の領域を自由に行き来する活動スタイルとは?たけ てつたろうさんと織田洋介さんに聞きました。

“馬喰町”という地名に宿るストーリーが、自分たちにしっくり来た。

―馬喰町バンドのこれまでの歩みについて教えてください。

織田洋介さん(以下、織田):僕とたけさんはもともと多摩美術大の先輩後輩で、過去に今とは全然違うタイプのバンドを一緒にやっていたこともありました。2007年にオープンした「馬喰町ART+EAT」でたけさんが立ち上げからスタッフをしていて、オープニングで演奏をしてほしいとお店側に言われてステージに立ったのが、馬喰町バンドとして演奏した一番初めです。最初の頃はジプシージャズ(ジプシーの音楽とスウィングジャズが融合した音楽)のカバーを中心にやっていました。
でも、自分たちに何のゆかりもない音楽を向上させることにだんだん違和感を感じてきて。それで日本の民謡やわらべ唄を自分たちの編成で工夫して演奏してみるようになりました。これはこれで良かったのですが、世間ではプロの歌手のような朗々と節の効いたものがいわゆる民謡、と漠然と捉えられているのもまた違和感がありました。

それでバンド内で話し合ったのが、民謡はもともと子供からおばあちゃんまで口ずさむ、土地と暮らしに根ざした誰が歌っても良いものだったはずで、だったら自分たちももっと自由に解釈して演奏すればいいんじゃないかということ。ポップスやジャズもヒップホップも、それが生まれた土地でアップデートされ続けているんだから、そういう音楽も日本の伝統音楽も、どちらも好きな現代の自分たちの感覚で、同等に並べてやってみようと考えたんです。

―それが、“ゼロから始める民俗音楽”という馬喰町バンドのコンセプトにつながるんですね。

たけ てつたろうさん(以下、たけ):そうですね。あらゆる音楽を混ぜて僕らなりの民俗音楽を突き詰めはじめて、僕は世界のさまざまな楽器の要素を取り入れた、自作の楽器も作るようになりました。これは「六線」と言って、三味線の構造をもつフレットレス・ギターで、他にもいくつかオリジナルの楽器があります。

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唄・六線(自作楽器) ・ギターを担当するたけ てつたろうさん。画家、紙芝居作家としても活動している

バンドとしてはその後、世界の伝統文化に詳しいハブヒロシというパーカッショニストが入ったことで、今の馬喰町バンドの音楽の原型ができました。アフリカ音楽や盆踊りに共通する「ポリリズム(リズムの異なる声部が同時に演奏されること)」を取り入れたりして、どんどん日本の古来からの音楽に興味が向かっていきましたね。僕もそれをさらに追求するために、日本各地にリサーチしに行くようになりました。

―馬喰町バンドというバンド名も、何か土地に根ざした意味があるのでしょうか?

織田:はじめはいろいろ考えて、横文字のカッコいい名前とかも検討したんですけどね。全部ピンと来なかったんです。もともと二人とも馬喰町という街に馴染みがあるわけではなかったんですが、この街の「馬喰」という職業名(馬の仲介人のことで、大名行列の職名でもあった)が地名になっているのが気に入っていて。偉ぶってないし、人の営みを感じるし、インパクトもある。日本の歴史やストーリーを感じる名前は自分たちの音楽にも合っていて、なんだかぴったりだなぁと思ってそのままバンド名にしました。この名前に導かれて、さらに土着の文化に興味が湧いていった部分もありますね。

―現在はどんな活動をしているのですか?

織田:基本的にたけと織田で活動していますが、自作太鼓があったり、尺八や自作のガムランを取り入れたり、女性ボーカルも加えて5人体制だったこともあります。最近のライブはドラマーと3ピースでやることが多いですが、決まった形にしないでその時々の音楽的出会いを愉しむのは、馬喰町バンドにとって大切なことかもしれません。

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たけさん自作の楽器の数々。デザイン設計から製作まですべてを手がける

たけ:演奏はライブハウスですることもありますが、フェスやイベントから声がかかることが多く、屋外から飲食店まで大小さまざまな場所でやります。また僕はアーティスト、織田くんはデザイナーという一面もあるので、音楽だけでなく、それぞれの個人での活動も並行しています。

調べ、辿り、地元の人と作り上げる作品。

―次に、作品づくりについて教えてください。NHK Eテレの「シャキーン!」という子供向け番組で手がけている「まつりばなし」というコーナーが話題ですが、これはお二人の民俗音楽への関心がさらに発展したもののように感じました。

たけ:「まつりばなし」は、全国各地にあるお祭りの成り立ちを唄とアニメーションで紹介するコーナーですが、もともと僕が地方のお祭りとか神話にすごく興味があって。だからこれ、僕らがやりたいって提案した企画なんです。番組の担当の方と議論して、子供向け番組だからお祭りをわかりやすく楽しい演出で表現したら良いだろうということになり、アニメーション作家の稲葉まりさんと一緒に作ることになりました。おかげさまで好評で、すでに2年続いています。

―作品はどんなプロセスで作っているのですか?

織田:まずは、気になっていたお祭りのことを調べるところからですね。地方のお祭りは資料として綺麗にまとまっていることは稀なので、伝統芸能協会に相談したり、もしくは地元の図書館とか博物館に何か情報がないか調べに行きます。地元の役所や保存会も訪ねて、ときに煙たがられながら(笑)、ひとつずつ辿って調べます。話を聞きたくても、相手がFAXしか持っていなくて待てど暮らせど返信が来なかったり、こちらが出方や順番を間違えて機嫌を損ねられてしまったりと、なかなか根気のいる地道な作業です。

たけ:そうして集めた情報を参考に、もとになったストーリーや背景なども想像しながら歌詞を書き、それに合う絵を考えます。たとえば千葉県山武郡の虫生(むしょう)という地域で行われる、「鬼来迎」という仮面劇を題材にしたときは、因果応報を説く地獄劇と、“赤ちゃんを鬼ばばに抱かせて泣いたら厄落としになる”という言い伝えをベースに作品を作りました。アニメーションは、色鮮やかな切り絵を何層もガラスの板に載せて1コマづつ動かして撮影していき、奥行きのある表現になっています。

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仮面劇「鬼来迎」の様子。全国から多くの観客が集まる(写真提供:馬喰町バンド)

なし_稲葉まり制作風景_1

「鬼来迎」を題材に作った作品の制作風景。切り絵の配置を微調整しながらアニメーションを作っていく(写真提供:稲葉まり)

―完成した作品に対しては、地元の方はどんな反応なのでしょうか?

織田:「NHKで我が町の祭りを題材にしたアニメーションが流れる!」というのはやっぱり喜んでもらえますし、実際に動いているのを見て感動してもらえることが多いです。自分たちの祭りがアニメーションと音楽になって全国区で放送されるわけですから、地元でもやはり話題になるみたいですね。

たけ:町中の防災無線で一斉に「明日、シャキーン!のまつりばなしが放送されます」って流れたこともあったよね(笑)。

織田:そうそう。僕らも含めデザインやものづくりをしている人はイメージすることに慣れているけど、そうでない人はなかなか形がないと想像できない場合が多いんです。取材させてくださいって言っても、「いやぁそんなに面白くないよ」とか「前も別のところに取材されたけどそれと同じでしょ?」みたいなちょっと冷めた反応だったりして。でも「まつりばなし」は音楽もカバーではなくオリジナルだし、アニメーションの手法も新鮮に映るようで、完成したものを見ると「自分たちはこんな風に見られてたんだ」と皆さん驚きますし、自分たちの文化の面白さを再認識されるようです。

―地元の人も気づかなかった魅力が引き出されるんですね。

たけ:うーん、どうでしょう、新たな魅力を引き出せているのかな?どんなに敬意を持って接しても、地元の人から見たら僕らは東京から地方のエッセンスを良いとこ取りしにきただけのマスメディアかもしれないから、せめて地元の人にとって何が大切なんだろうということは見誤らないように色々下調べするのですが、お祭りはとにかく謎めいていて、知れば知るほど不思議に思う部分が増えていきます。本を調べれば、五穀豊穣の祈願とか、産土神の鎮魂、限界集落の人集め、などとその目的は色々書いてあるけど、正直言ってどれもしっくりこないんですよね。どんどんわからなくなっていて(笑)、でもそれゆえに惹きつけられる日々です。

“伝統だから”ではなく、“面白いから”見てもらいたい

―そもそもですが、どうして今お祭りや日本の伝統音楽を追求されているんでしょうか?

織田:僕らはどちらもその土地に歴史のある家の生まれではないので、一丸となって盛り上がる大きなお祭りがある地域への羨ましさも正直あります。そういう意味では、日本に住みながら、日本の伝統文化に対しても“よそもの”な気持ちもあるんです。

それに、この国は数時間で行けるような距離にたくさん魅力的な文化があるのに、なんで知らないんだろう、なんで今の時代に生きる自分につながっていないんだろうというのが素朴な疑問で。実際に調べたり訪ねてみると、今の人が音楽フェスに行くのと変わらないくらい興奮できるものがそこにはある。なので最近は“面白いから”っていうすごく単純な気持ちでお祭りや伝統音楽を捉えてますね。

また僕らが面白いと思ったものをなんらかの方法で形にして、“他の人が見てもまた面白いと感じる状態を作る”ということに、僕らの価値があるのかもしれないと思っています。「ほら、こんな風に捉えると面白いでしょ?見て見て!」っていう。お祭りをやっている人たちがそのバトンをつないでいるのは間違いないんですが、我々も違う形でバトンをつないでいるんだなと思います。

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唄・ベースを担当する織田洋介さん。(株)TASKOのデザイン・ウェブ事業部の統括という顔も持つ

たけ:僕は“人に伝えたい”と言うのとはちょっと違うかもしれない。お祭りも伝統音楽も謎めいているから、一体どうしてこんなことになっているんだろう?という不思議な世界を自分がもっと知りたい、異世界を覗きたいっていう気持ちが今の活動の原動力になっている気がします。

―“バトン”という言葉がありましたが、未来に伝統をつないでいく使命感のようなものもありますか?

織田:いや、正直あんまりないですね。 伝統的なものだから、後世につなぐべきものだからやっているのではなく、面白そうだから知りたいし、他の人も知ったら面白いと思うはず、というシンプルな気持ちで。

何かが途絶えてしまうということは、それが“面白くない”とか“重要じゃない”と、その土地の人たちが感じたタイミングが多分あったということなんですよね。絶やそうと思って絶やしていることなんてまずない。この頃は国を挙げて伝統を守ろう伝えようとちょっと鼻息が荒い気がしますが、無理に保存しようとしなくても、共感者が多いものは残る気がしています。だから僕らはただただ面白いと感じることを、自分たちのできる方法で伝えているつもりです。その結果「まつりばなしってなんか良いよね」「馬喰町バンド好きだな」と思ってくれる人たちは自然と現れるし、それをきっかけに自分たちの表現対象へも興味を広げてもらえると思うんです。 

先ほどお祭りは変わっていって良いものだと言いましたが、変にカタく捉えず、変質していく文化を楽しめるような雰囲気が世の中にももっと出てくると良いですね。伝統的なものが、未体験の世代やその土地にルーツのない人の解釈によって変化したり、逆に生き残ったり、そういう文化実験的な部分も、馬喰町バンドが楽しいと感じていることです。

クリエイティブワーク・アーティスト活動・音楽活動がそれぞれに還元されてつながる。

―たけさんはアーティストしての活動、織田さんは(株)TASKO のクリエイターとしての活動と、個人の肩書きを持ちつつ馬喰町バンドとしても活動をされていますが、どんな風にそれぞれの活動を行き来しているのでしょうか?

たけ:僕はいろんなことをやっているつもりはなくて、音楽だけをやっている意識なんですが、もっとこんな音が欲しいと思って楽器を作ったり、ライブ衣装を作ったりしているうちに、結果的にどんどん音楽から派生していってます。最近は自作の紙芝居と演奏を組み合わせた音楽紙芝居とか、巨大壁画を描いたりとか、活動の場が広がってカオスな感じになってきてますね。

織田:僕はもともと明和電機の工員を経て独立し、フリーランスの時期がありました。その頃は音楽と美術とどちらを軸にするのか考えていたのですが、結局どちらも100%出し切る状況が続いて、特に絞る必要性を感じるタイミングもありませんでした。そんな中で、明和電機出身者の数人と話していて、「違う分野のフリーランスで会社法人にしたらもっと大きな仕事ができそう」というわかりやすい動機でできたのが今のTASKOです。会社の規模も大きくなってきて、普段関わる時間は馬喰町バンドよりどうしても多くなりますが、TASKOと馬喰町バンドで一緒に組むこともあって、活動の形は広がっています。

―どんなことでTASKOと組んでいるのですか?

織田:たとえば、TASKO が内容企画から会場空間構成まで手がける品川区のイベント「GOOD PARK!」に馬喰町バンドとして出演したことがあります。また逆に、イベント制作も美術も舞台技術もできるTASKO に馬喰町バンドのライブ周りの演出を頼んだり機材を融通してもらったりも。TASKOには音楽業界出身者も多いのでその辺りのフットワークは軽いと思います。

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品川区のイベント「GOOD PARK!2019」の様子。アート・音楽・遊び・発明をテーマとした人気イベントだ(写真提供:TASKO)

―TASKOでの活動はデジタル領域も多そうですし、馬喰町バンドとは一見対極のようにも思えますが、実際はどうでしょうか?

織田: それが意外とそうでもないんです。自分はウェブやデジタルベースのグラフィックも確かに多いですが、TASKO は明和電機由来のものづくりを大切にする気質もあって、会社全体としてはやはり実際に触れられるものや体験できるものが好きです。なので、自分が直接担当するグラフィック寄りの仕事でも、特殊な印刷をするための器具まで開発したり、ショーウィンドウのインスタレーションでも、平面として優れたグラフィックよりも、アナログな仕掛けがあったり立体物と組み合わせたりというものが得意だったりします。

馬喰町バンドの活動は民間芸能や伝統工芸など材料になるものと出会う機会がとても多いので、そういうインプットはTASKOでのデザインや企画のアイデア箱としてかなり生かされていますね。

[差し替え] perfumery_organ (Photo by KIOKU Keizo)

織田さんが展示グラフィック等で参加した、音とともに“香階”に基づいた香りがするオルガンーperfumery_organ― (写真提供:TASKO 、 Photo by KIOKU Keizo)

―会社は織田さんの活動の仕方をどう見ていますか?

織田:基本的にはTASKOという会社は個人の活動に関してはとても寛容だと思います。自分の他にも本格的に音楽をやっていた人も多いし、他にもロボットバンドを開発した人がいたりと、いろんなことをやっている人がいます。

個人の活動が会社としての仕事に還元されるメリットが大きいので、両者のバランスが取れなくなって周囲に迷惑をかけることにならなければ、誰も何も言いわないのではないかなと。世で掲げられている理想的な“働き方改革”っぽいですが、僕らは法人としての活動も、個人での活動も各々“楽しそうだから”やっているだけで、特にワークスタイルとして意識しているわけではないですね。

―多様な活動をされていて良かったこと、可能性を感じることがあれば教えてください。

たけ:それぞれのスキルを持っているので、自分たちで全部できてしまうのは、すごく良いですね。たとえば「まつりばなし」では取材して、映像編集して、絵を描いて、音楽制作してという一連の工程を全部自分たちでやりますし、アルバム制作もライブの組み立ても自前。外部に頼まずに仲間内で完結するのは自分たちが思うものをそのまま形にできるし、結果的にミニマルで純度の高い、今っぽいスタイルになっているなと思います。

織田:僕らにとっては全部つながっているから、やって当然な気持ちで手をだしてしまっていますが、きっと普通はそうはいかないんですよね。時間はかかりましたが、TASKOやそれぞれのソロ活動など、並行してやってきたものがようやく今つながってきた気がしています。

商いの街・日本橋で、商売繁盛を願う総合芸術としてのパレードを。

―今後バンドとして挑戦してみたいことはありますか?

織田:総合芸術として何か“舞台”のようなものをやりたいです。演者がいて照明や舞台美術も取り入れて、そこに音楽を合わせるような作品が作れたら良いなと思っています。たけさんもソロの活動の中で表現の幅が広がってきていますし、今までやってきたことをつなげていけば良いものができるんじゃないかと。期が熟してきている感じがしますね。

―それは面白そうです。日本橋の街でやるとしたらどんなものが良いでしょうか?

織田:大通りを使って、音楽や踊り・美術などを組み合わせたパレードをやってみたいですね。被り物をたくさん登場させて、地方のお祭りにあるようなビジュアルインパクトの強い造作と音楽で練り歩いてみたいです。日本橋、とくに馬喰町界隈は古くから問屋街が広がる商いの街。お店や家々を回って商売繁盛の門付け(玄関先で披露する形式の芸能)など復活させられたら盛り上がると思います。東京には熊手や達磨なども残っているし、意外と門付けの文化も広がりやすいのでは?と感じます。今の僕たちは、馬喰町をホームグラウンドにして、このバンド名で活動してきたことでいろんなことがつながっています。だから縁深いこの原点の街でいつか大舞台を繰り広げてみたいですね。

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取材・文:丑田美奈子(Konel) 写真:岡村大輔

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