Interview
2020.07.15

東東京と山形をつなぐ一軒のダイナー。 「フクモリ」が体現する、街への寄り添い方。

東東京と山形をつなぐ一軒のダイナー。 「フクモリ」が体現する、街への寄り添い方。

古い建物や倉庫をリノベーションした、スタイリッシュなショップや飲食店が立ち並び、その多様な魅力で注目される日本橋・馬喰町。しかし十数年前までは繊維系の卸売会社が立ち並ぶ、問屋街一色の地域でした。その中で、当時目立っていた空きビルなどを活かし、新しい風を吹き込もうとするムーブメントにいち早く目をつけ、現在の街を作る先駆けとなったダイナーが「フクモリ」です。山形食材を使ったやさしくおいしい食事で、多くの人の胃袋を満たし愛されている街のダイナーは、なぜこの場所を選んだのか、どうして山形食材なのか。同店を運営する株式会社ヒロユキコマツの小松裕行社長にお話を伺いました。

街の重鎮との出会いで生まれた「フクモリ」。

−小松社長のご経歴と、この街に出会ったきっかけを教えてください。

美大を卒業してから、繊維メーカーのユニチカに就職し、そこでテキスタイルデザイナーをしていました。その頃ユニチカの本社が日本橋にあったのと、この辺りの繊維問屋を回っていたこともあり、この街に馴染みはあったんです。

その後アディダスに転職し、インハウスのクリエイティブ部門で11年間ほど勤めました。マーケティングディレクターとしてプロモーションの担当をしていた時期もあり、東京の東側に点在する古いビルを使ったアディダスのブランドプロモーションを企画したことがあったんです。これをきっかけに、また馬喰町近辺に出入りするようになりました。このエリアに詳しい東京R不動産の方から、「最近はアート系の人たちも増えて街も変わってきている」という話も伺い、たしかにユニチカ時代とは異なる街の変化も感じとることができました。また同時に変わらない古き良き部分も残っていて、改めて面白い街だと感じました。

−もともとこの街に関わりがあったのですね。オフィスや「フクモリ」を構えることになったのはなぜでしょうか?

当時から独立することを考えていたので、R不動産の担当者には、オフィスとして使えそうな面白そうな場所があればそれも紹介してほしいとお願いしていました。それで紹介を受けたのが、今我々がオフィスを構えるこのビルでした。

元々ここは馬喰町の老舗タオル問屋の「日東タオル」が持っているビルの一棟で、その関連会社「日東リビング」が倉庫として使っていた場所でした。そこで日東リビングの社長・鳥山和茂さんをご紹介いただき、お話を伺うことになったんです。鳥山さんは、当時この地域で毎年開催されていたアートイベント「CET(セントラルイースト東京)」の推進メンバーも務められていて、街に対する想いが非常に強い方でした。そのため、ここは「CET」のレセプションスペースとして、毎年活用されていると教えていただいて。「CET」が始まり7年を経て、“ここ”を中心に内外のアーティストが馬喰町に集まるようになったので、今後も“ここ”が「街の活性化」の中心となるような使い方をしてくれる人に貸したいと言われたんです。でもなかなかそういう方が現れなくて、もう「CET」の開催期間以外は7年も空きビルになっていると。

−理想の借り手をずっと探されていたんですね。

そうなんです。1・2階を一緒に借りなくてはいけないという物理的な条件に加え、“街の活性化”につながる場所にしなくてはならない。正直ハードルは高かったですね(笑)。
でも鳥山さんのこの場所に対する想いに向き合ったときに、当時自分が生業としていたデザインやブランディングという部分でこの街の役に立ちたい、自分の経験を形にしたいと思ったんですよね。それで、このビルをただオフィスとして借りるだけでなく、「馬喰町という街の再活性プランを提案させてほしい」と彼に伝えたのが、この地に「フクモリ」を作る過程での最初のやりとりでした。

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フクモリのオーナー・小松裕行さん。2009年に「株式会社ヒロユキコマツ」を設立。同時に「フクモリ」をオープンさせた

クライアントは「街」。馬喰町にどう寄り添うか。

−鳥山さんに提案するにあたり、小松社長はこの場所の使い方をどのように考えられたのでしょう?

これはアディダスにいたときから思っていたのですが、企業やブランドが抱えている課題について、全く新しい視点と手法で解決策を提案することは実は簡単なんです。でもそれだと課題に対しての根本的な解決にはつながらないことが多い。

日本はコンペ主義が主流なので、時代の流行や目新しさで判断されてパートナーとなる代理店がコロコロ変わり、表面的な解決にとどまる施策も散見されます。対して、欧米のブランドと代理店が長きに渡りパートナー関係を築いているのは、ブランドが抱えている課題に対して長いスパンで代理店が寄り添うという考え方があるから。本来僕らクリエイターや代理店のあるべき姿は、この欧米型だと僕は思っていて。だから僕は、馬喰町という街の代弁者である鳥山さんに対して、自分たちが長いスパンでどう街に寄り添うことができるのかを提案しようと考えました。そして、このエリアの中に溶け込んで、馬喰町を活性化できる「街のダイナー」が作りたい、と思ったんです。

−たしかに「フクモリ」は街に自然に溶け込む存在になっているように感じます。

表面的にかっこいいものを作って人を呼び込むことは簡単だけど、そうするとここに昔から住んでいる人や商いをしている人たちとの距離が開いてしまう。そうではなく、誰も置き去りにせずに、古くから地元にいる人たちとも融合しながら、街全体を元気にする方法を探しました。歴史や文化がある街に、ブームだからと言って、例えばスノッブな感じのお店を出してしまうと、突き放す感じが出てしまう。

だから奇をてらわずに、今のようなシンプルで落ち着いた、でも開放的な場所を提案したんです。そうしたら鳥山さんはすごく喜んでくれて。工事中もしょっちゅう見に来られるし(笑)、オープンしてからも毎日来てくださいました。

−地域の方々との関わりはどのように築かれてきたのでしょうか?

「フクモリ」は2009年5月8日にオープンしたのですが、これにも鳥山さんの想いがあって。5月8日は神田祭りの前日で、神主さんや巫女さんが街を練り歩く鳳輦(ほうれん)という行事がある日だったんです。「もしこの日にオープンが間に合うなら、お店の前を鳳輦が通るようにルートを変更して、ここを街の人たちに紹介するよ」と言って、実現させてくれたんですよ。そうしたら、地域の人たちもたくさん来てくれるようになって。この地に受け入れてもらえたのは、鳥山さんの存在がとても大きかったですね。

内観写真

木が多用されている店内はあたたかみがあり、ついつい長居したくなる(画像提供:フクモリ)

山形のプレスルームとしての役割。

−その馬喰町のダイナーで出すのは、山形の食材を使ったお料理。これにはどんな背景があったのでしょうか?

good design company.の水野学さんと昔から交流があったのですが、あるとき彼が山形の温泉旅館の再生プロジェクトに関わることになり、その中で全体のコンセプトメイキングの担当として、僕に声がかかったんです。その仕事をきっかけに、3つの老舗旅館の方たちとお付き合いが始まったのですが、どの季節に行っても、何を食べても、食材そのものがおいしく、豊かな食文化のある土地だったのがすごく印象的でした。

一方で当時東京ではいわゆる“オシャレなカフェ”の流行り始めでした。だけど、そこで出る食事は見た目は良くても、どこか表面的で、正直それほど美味しくはなく、雰囲気と味が連動していないと感じることがしばしば。その両極を経験することで、僕が山形で食べさせてもらっていたようなおいしい食材をシンプルな形で提供できれば、お客さんはきっと喜んでくれるだろうし、食材を通して山形のことも知ってもらえるのでは?と思ったんです。

サクラマスの味噌粕漬け焼き_2

山形の食材を使った定食ランチはお魚とお肉のメニューがあり、選べる楽しさも魅力の一つ。写真はサクラマスの味噌粕漬け焼き。(画像提供:フクモリ)

−「フクモリ」で食事をして、山形の魅力に気づく方も多いのでしょうね。

「フクモリ」の食事を通じて、お客さんが新たな食材と出会う。その食材についてスタッフに聞けば、名前だけでなく、どこで獲れるものなのか、その料理のレシピはどこのものなのか、など話が繋がりますよね。旅館のパンフレットをお渡しすることだってできるし、「フクモリ」きっかけでそこに泊まりに行くこともあるかもしれない。そうやって情報発信することで、まるで山形の「プレスルーム」としての役割も担えそうだな、と。そんな良い繋がりができたら、この場所に付加価値を付けられると思いました。 「フクモリ」は馬喰町の活性を担う“街のダイナー”でありながら、山形のプレスルームでもありたい。そんなストーリーを描いたことも、鳥山さんが気に入ってくださった理由かもしれません。

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おうちで楽しめる山形食材もたくさん用意されている

ゆるやかなつながりを生むために、“ストーリーの枝”を張る。

−地方の魅力を東京で発信するにあたり、意識されたことはありますか?

広報的な取材を受けた時などは「山形の食材を生かした料理をお出ししている」と伝えますが、表だってはあまり“山形色”を出さない、ということを意識しています。「山形の〜」と言ってしまうとどうしても先入観ができてイメージが狭まってしまいますよね。でも、ここはあくまでも馬喰町の街のダイナー。その軸があったうえで、山形の食材だったり、音楽やクラフト・アートなどのイベントだったりという枝を張ることで、それぞれの枝に興味があって引っかかった人たちが繋がって、集まる。つまり山形の食材を使っていることは、枝のひとつに過ぎなくて、だからこそ自然にその良さを紹介できているんだと思います。

例えばウィキペディアって一つの文章の中に色々なリンクを貼っておくと、どんどん繋がってきますよね?「フクモリ」もそんなウィキペディア的な面白さといいますか、ゆるやかな繋がりを生むようなストーリーを作ることを大事にして、いろんな人が集まってくれたら良いなと思っています。

−オープンから10年を経て何か感じていることはありますか。  

街のダイナーであること、そこで山形のおいしい食材を提供すること。そこだけは変えず、あとはその時々で街への寄り添い方を変えながら続けていく。10年経ってみて、ようやくそれがこの場所のブランディングとして形になり、多くのお客さんに認識してもらい始めたと感じています。カフェやダイナーが街をつくり、地域活性の旗頭にもなる。そういう一つのケーススタディが作れれば、同じことを他の人たちが他の県でやってくれるかもしれない。そんな期待もありますね。

街の変遷とともに、場所の役割を変える。

−街のために取り組まれていることなどもあるのでしょうか?

10年の間に馬喰町の様相も変わってきました。この辺りはマンションが増えて居住人が多くなってきたので、この何年かは夏祭りをして、街のファミリー層に遊びにきてもらったりしています。スタッフがそれぞれ好きなように出店を出したり、金魚すくいやうちわのワークショップをしたり、毎年盛り上がっていますよ。

また、今まではライブや落語会を企画し、積極的なカルチャー発信をしていたのですが、ここ数年はフレンドリーさやカジュアルさを意識したコミュニケーションへと変化しています。5年前に鳥山さんが亡くなられたこともあり、鳥山さんがいる頃の街を知らない人も増えてきて、今度は自分たちが街の求心力になるフェーズに入ったな、と。そうなったときに、この地域の住人の皆さんに寄り添うためには何をしたらいいのか、地域と繋がるために必要なことはなんだろうか、と改めて考えるようになりました。

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毎年お盆前の時期に開催される夏祭りは、近所の家族連れが多く訪れているとのこと。昨年は10周年のお祝いも兼ねて行われた(画像提供:フクモリ)

−具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。

北出食堂さんやバタフライエフェクトさんなど地域のお店とスタンプラリーを開催してみたり、馬喰町〜浅草橋〜蔵前のお店と協力して“イーストトーキョー”の散策マップを作ったり、と、「フクモリ」だけでなく、東東京の良さを知ってもらえるような発信を心がけています。意識してネットワークを形成するというよりは、ゆるい繋がりなんですが、結果的に東東京の魅力が、住んでいる人や遊びに来てくれる人に伝わったら良いなと思って取り組んでいます。

−今後街を舞台にして何か仕掛けていきたいことはありますか?

東京は、東側から発達してきたという歴史があります。その盛り上がりをもう一度街全体で見せられたらいいですよね。鳥山さんがやっていたような、古いビルの空きテナントを、これから力になってくれる人たちに原状回復なしで貸していくということは、ロンドンのイーストやニューヨークのSOHOの考え方にも近く、とても魅力的な取り組みでした。今後僕たちも、既存の建物をはじめとした古くからある価値の中に、ポツポツと新しい感覚のものをプロデュースしていく仕組みが作れたらなと考えています。例えば最近増えている在宅やテレワーク勤務の人たちが個々で活動できるような場所にしていくのも面白いですよね。そしてそれをポータルサイトやソーシャルメディアで、うまく紹介していくことができれば、街全体がもっと活気付くきっかけにもなるのかな、と思っています。

外観写真

ふらりと立ち寄りたくなる開放的な雰囲気の店構え。平日は近隣オフィスに勤める人、休日はこの辺りの散策を楽しむ人で賑わう

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:岡村大輔

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