建築家でもあり住民でもある。問屋街在住歴20年の冨川浩史が「関係人口を増やしたい」と語る理由
建築家でもあり住民でもある。問屋街在住歴20年の冨川浩史が「関係人口を増やしたい」と語る理由

問屋が立ち並ぶ横山町に、突如現れる建築事務所。元傘問屋の建物をリノベーションした現在の事務所は、1階がギャラリー・イベントスペースというユニークな造り。
代表を務める冨川浩史さんは、2005年からこの街に拠点を置いています。建築家でもあり、問屋街の住人でもある冨川さんがどのように街と関わってきたのか伺いました。

知らない街に惹かれ、住居も仕事場も横山町に
―冨川さんは品川区出身だそうですね。日本橋エリアに仕事場や家を構えるまでは、どんな生活を?
冨川浩史さん(以下、冨川):北品川という宿場町の生まれで、実家が大工だったんです。子どもの頃から祖父が働く姿を見て、大工とか建築関連の仕事に憧れを持っていました。それで、大学で建築科に進んで。世田谷の大学だったので、学生時代までは北品川に住んでいました。
それから、建築事務所に勤め始めて、仕事の都合で新潟に住んだこともありましたし、結婚してから世田谷に住んでいたこともあります。
―その後、日本橋に移ってきたきっかけは何だったのでしょうか?
冨川:日本橋に移ってきたのは2005年春で、独立してすぐですね。夫婦で引越し先を探すなかでここに決めた理由は大きく2つありました。ひとつは、僕らにとってあまり接点のない場所であること。日本橋エリアは勤めたことも住んだこともなかったし、交通の利便性も高いのでいいなと思っていました。
もうひとつは、「Central East Tokyo」(以下、CET)というイベントの存在です。内部で活躍されている方々と知り合いだったのもあって、興味があったんですよね。歴史のある街でありながらも、こういうイベントをやっていることに惹かれていました。
―冨川さんはその後、出展者としてもCETに関わっていますよね。
冨川:そうですね。事務所兼自宅として物件を借りていた頃はCETの期間中、屋上に足湯を作って公開したり、その次の事務所でもCETの間、オープンオフィスにして来場者の方が自由に出入りできるようにしたり。
CETは2010年に一度終わったのですが、2023年に復活した際には今の事務所があるソラビルの展示で参加しました。階段に音楽を流して、空間を楽しんでもらえるような展示です。

抜け感の良い階段が特徴のソラビル。展示では、自動音楽構築システム「AISO」が小さな「音」のカケラをプログラムで構築し続け、「終わることのない」音楽を奏でるなか、階段空間を抜けて街の上部へとアプローチする空間を体験できる内容に。
―ソラビルに事務所が移転したのは2020年頃だそうですね。どんな背景があったのでしょうか?
冨川:2019年10月頃に、UR都市機構の知り合いから声をかけられたのがきっかけです。最初は、自分の事務所ではなくて、UR都市機構が買い支えするから設計者視点のアドバイスが欲しいという相談だったんですね。
ただ、その頃ちょうど前の事務所が入っていたビルの取り壊しが決まって、僕も次の入居先を探していました。そういった話をURさんにしたところ、「その話、詳しく聞かせてください」と言われて。 URさんが立ち上げる横山町の活性化プロジェクト「STURT」に関わることを条件として、入居者公募に参加させてくれることになったのです。
その後、自分たちでリノベーションを手がけて、2020年の6月からソラビルに事務所を構えました。結果的にこのビルが、「STURT」プロジェクト第一号物件になりました。
―「STURT」では現在までにどんなことをされてきましたか?
冨川:「STURT」ではこれまでに6つの物件を手がけてきたのですが、僕はURさんが買い付けをする前に一緒に内見をして使い方などの提案をするアドバイザーの役割をしています。他に、2024年3月まで運営されていたコミュニティスペース「+PLUS LOBBY」の設計にも関わりました。 職業的な知見を活かしてお手伝いできればという気持ちもありつつ、僕はこの地域の住人として参加している側面も大きいです。メンバーの中で、住居も仕事場も横山町というのは僕だけなので、住人視点でこういうものがあればいいなという意見を出すことは意識しています。

1階をフリースペースにした事務所ビル
―ソラビルはもともと傘問屋さんだったものを改装したんですよね。
冨川:そうです。実は今も問屋さんだった頃の名残はあるんですよ。例えば、1階の壁にはスリットが入っていて、もともとハンガーを掛けるためのバーが設置されていたんです。他にも、床は問屋さん時代のものをそのまま残している部屋などもあります。
もちろん手を入れている箇所もありますが、僕らが退去した後に問屋さんが入居しても使えるような状況にしておきたいと思っていました。
―建物全体では階ごとにどのように使い分けているのですか?
冨川:1階は展示やイベントに使えるフリースペース、2階が倉庫、3階がオフィス、4階が会議室(今は半分倉庫)というように使い分けています。
建物の奥に階段がある造りなのですが、URさんに最初に話を聞いた時から、プライバシーやセキュリティなどの観点から各階別テナントよりも一棟借りに適した物件だと思っていました。ただ、より街を盛り上げる観点から、一棟を丸々自分たちだけで使うのではなく、1階はオープンにすることにしました。
当初は、コーヒースタンドなど飲食店を1階に誘致するのも良いと思っていたのですが、入居時にちょうどコロナ禍に突入してしまって。結果的に、今のような使い方になりました。


建築設計事務所らしい資料や模型が積み重なる部屋を覗くと、冨川さんの頭の中のように多様なインプットとアウトプットを想像させる。
―1階のスペースで実施する展示やイベントはどのようにキュレーションしているのでしょうか?
冨川:公募はしていなくて、僕との面談で決まったその時々の展示やイベントが入れ替わり立ち替わり行われています。 大事にしているのは、僕が面白いと思えるかどうか。なので、賃料は払えないけれど良い企画を持ってきた若者に貸す時もあります。例えば僕は非常勤講師として大学で授業することもあるのですが、そこで知り合った学生さんたちに展示をやってもらったこともあります。他にも、近所の紙問屋さんとアーティストと一緒に工作ワークショップを開いたこともあります。
こういった活動をしているのには、横山町の関係人口を増やしたいという気持ちもあるんです。僕が若い時にCETの影響を受けてこの地域を気に入ったように、若い人がソラビルで展示をやったことでその後も横山町に足を運ぶようになってくれたら嬉しいなって。昔の自分みたいな人が来やすくなるような窓口として、1階のスペースを使ってもらいたいですね。

enoniwa(2024)|(東京理科大学修士2年生3人による個人活動の展示が行われた。

チョキペタスランド(2023)|紙問屋さんとアーティストとの子供向け工作イベントの様子
―そういった、街に影響を与えるような活動をしたいと考えられているモチベーションは何なのでしょうか?
冨川:これだけ長く住むとやっぱり、横山町=自分の街みたいな感覚があるんですよね。その上、せっかく街作りに関わる機会があるのだから、自分にとってちょっとでも良い場所にしたいと思っていて。
それに、僕の息子にとってはここが生まれ故郷になるので、大人になった時に「戻ってもいいな」と思えるような街にしておきたいんです。
だから、建築家としての職業的な視点と、親としての視点の2つのモチベーションからこういう活動をしているのかなと思います。

寛容な街、日本橋の関係人口を増やしたい
―問屋街に拠点を構えて20年が経つ冨川さんから見て、街はどう変わったと思いますか?
冨川:僕が住み始めた2005年頃はまだ飲食店もスーパーもほとんどなくて、コンビニだけがたくさんある街だったんです。みんな、浅草橋まで歩いてご飯や買い物に行っていました。問屋さんはもちろんありましたが、今のような関わりはなくて。つまり、住むには不便な街でした。当時の自分たちには、みんなが放っておいてくれる、その雰囲気が良い部分もあったんですけどね。
その後2010年くらいまでの間に、マンションが建って、住人が増えて、土日も開いている飲食店が増えていきました。急激に街の雰囲気が変わりました。それから今までさらに飲食店などが増えて、前より色々な人が出入りして関わるようになって、すごく良くなったと思います。

事務所が並ぶ通りには、問屋や花屋など新旧入り混じる空間が広がっている。
―そんな中で感じる、日本橋の魅力はどこですか?
冨川:新しいものと古いものが混ざっていることかなと思います。再開発で綺麗になった部分もあれば、古い建物が残っていたり雑多な電柱が残っていたり、このアジア的な風景が気に入っています。
そんな街だからか、なんだか寛容で懐の深い人が多い。僕の息子が外を歩いていると、近くのおじちゃんたちが仲良くしてくださるんですよ。他の場所ではなかなかそういう経験ができない。そういうところも好きです。
―最後に、冨川さんが今後、日本橋でやってみたいことや目標があれば教えてください。
冨川:まずは、今やっているような開発しづらい・買いづらい物件の使い方を提案して、再生するような活動を続けていきたいですね。その先では、集合住宅を作ってみたい気持ちがあります。お店やオフィスが増えるのももちろん良いのですが、住人が10人増えることが最も直接的に関係人口を増やすことにつながると思うんです。
また、そういったハードの提案をしつつ、最終的に大事なのはハードではなくソフトだという気持ちもあります。街の記憶って、建物ではなくて体験に宿ると思うんです。だから、ソラビルの1階でやっているような活動も含め、人の記憶に残る体験のできる建物や場を作っていけたらいいなと考えています。
取材・文:白鳥菜都 撮影:YUKI KAWASHIMA

求む、コラボレーション
少しづつ変わっていく横山町の様子をイラストや写真で残せる方と出会いたいです。例えば建築学科の学生さんとか、ちょっと先の未来を作る人たちに、今の横山町を観察して記録してほしいんです。そんな方たちの記録をソラビル1階で展示するのもいいですね。
写真:1階に飾ってある ©︎ 2024 SHIMADA Rie さんの作品
ソラビル(冨川浩史建築設計事務所)
住所:中央区日本橋横山町6-5ソラビル