コラボレーションと好奇心が新たな発想を呼ぶ。 伝統ある「紋」表現のアップデートに迫る。
コラボレーションと好奇心が新たな発想を呼ぶ。 伝統ある「紋」表現のアップデートに迫る。
今秋、日本橋の魅力ある資産を新たな表現でアップデートすることをテーマとして、街を挙げて初開催される「NIHONBASHI MEGURU FES」。そのメインコンテンツのひとつとして、老舗企業が多く集まる日本橋の象徴とも言える”暖簾”をテーマとしたデザインイベント「めぐるのれん展」が開催されます。日本橋の企業や若手クリエイターのコラボレーションによって、熈代勝覧(きだいしょうらん)絵巻のような、かつての暖簾の街並みが現代に再現されます。このイベントの開催に先駆け、Eテレの人気番組「デザインあ」に作品を提供し、「めぐるのれん展」にも審査員兼ゲストクリエイターとして参加される、紋章上繪師(もんしょううわえし)の波戸場承龍(はとばしょうりゅう)さん・耀次(ようじ)さんにインタビューしました。紋という制限された表現手法の中で、新たな「紋曼荼羅(もんまんだら)」というアートを創出されるなど、チャレンジを続けていらっしゃる波戸場さん親子に、”紋”にまつわるデザインのお話をして頂きました。
紋は“変えてはいけないもの”ではなく、自由な表現を楽しめるデザイン。
―お二人は家紋制作はもちろん、家紋をアートやデザインの領域まで広げて独自の活動をされていますね。
波戸場承龍さん(以下、承龍):私たちは紋章上繪師という、家紋を着物に手描きで描き入れる職人なのですが、もともと初代は紋糊屋(もんのりや)という、着物の紋の形に糊を付ける仕事をしていました。1910年に京橋で開業し、そのちょうど100年目の2010年にデザインとしての家紋をテーマに「誂処 京源(あつらえどころ きょうげん)」として工房を構えて今に至ります。おっしゃるように、最近は紋章上繪師の仕事にとどまらず活動の分野が広がってきています。
波戸場耀次さん(以下、耀次):以前は紋章上繪師と言っても全く浸透していなかったのですが、Eテレの『デザインあ』に出演し始めた頃から、「あぁ、あの“もん”のコーナーの人たちね!」という感じで徐々に認知されるようになってきました。メディアに出るってすごい影響力ですよね。
承龍:紋は伝統ある表現なので、どうしても“変えてはいけないもの”とか“守るもの”という固いイメージがあったのですが、テレビの影響などで“デザイン”のひとつとして少しポップに捉えて頂けるようになりました。またオリジナルの紋を作る依頼も増えていて、紋の世界が意外と自由であることも少しずつ伝わってきている気がしています。
耀次:日本橋の商業施設COREDOの暖簾デザインを担当させて頂いたときも反響が大きかったですね。
承龍 :最初に商業施設側からテーマを頂いて、それに沿って一から作っていきました。例えばCOREDO室町2には映画館があるので“楽”というテーマだったのですが、伝統的な「三枡」という家紋を、五街道の拠点である日本橋にちなんで「五枡」にアレンジしています。伝統表現に現代の解釈を組み合わせたわけですよね。オリジナルの紋制作が増えたのはこの仕事のあとからで、「家紋はオリジナルで作っていいんだ」ということが広く伝わったのかなと思います。
COREDO室町2(中央下)ほか、各ビルの暖簾の紋デザイン
COREDO室町2エントランスの暖簾
耀次:日本橋には暖簾のあるビルがいくつもあるのですが、COREDO日本橋と日本橋三井タワーはクリエイティブディレクターの近衛忠大さんが手がけ、COREDO室町1、2は父が、そしてCOREDO室町3は江戸時代の紋章上繪師のデザインです。それぞれの表現手法を見比べるのも楽しいですよ。一言で“暖簾”と言えど、解釈や表現は幅広いんだなと思いますね。
波戸場承龍さん(左)、耀次さん(右)
家紋の世界は、シンプルでありながら奥深く謎めいている。
―そもそも家紋とは、歴史的にみてどのような存在なのでしょうか。
耀次:家紋はその家に代々伝わる紋章であることは知られているところですが、「デザインあ」にも出ているように、全て正円と直線の二つだけの要素で成り立っています。極限までそぎ落とされた二つの形だけが作る世界です。正方形を表現するのも、初めは円から作って角度を割り出して描くんですよ。
承龍:「分廻し」という竹製のコンパスで円を描きながら形作っていくのが伝統的な技法です。私たちのような専門の絵師がいて、江戸時代が最も多くデザインされた時期でした。「紋帳」という家紋集には実に3000種類もの家紋が載っています。
家紋集「平安紋鑑」と竹製コンパスの「分廻し」
―紋鑑を見ると、似たようなデザインが続いているページがあります。これはどういう意味があるのでしょうか。
耀次: これはひとつのモチーフのバリエーションのようなものです。違い・抱き・並び・割り・重ね・盛り・追い等、元の紋をベースに様々な手法でデザインされています。“見立て紋”という手法もあり、ベースの紋のフォルムを残しつつ、そこに違う要素を組み合わせて別の家紋を作るということが江戸時代では一般的でした。大名の家紋をそのまま使うことはできないから、絵師に「このモチーフをこう変えてくれ」とオーダーするんです。
承龍: 家紋は小さな円の中で限られた色と線で作られるため、もともと“制限の中の美を求める”という面が非常に強いです。その上で、手法だけでなくデザインもベースの家紋とは似て非なるものにしなければいけないという制限が加わるわけです。紋帳にはそんな制限の中で作られた様々な事例が見られます。例えば今は日本政府の紋章にもなっている「桐紋」にも、実はすごい数のバリエーションがあります。コウモリの形の桐や、「踊り桐」なんていうのもありますよ。
「桐紋」家紋のバリエーション
耀次: 本家の家紋はシンプルでも、分家はどんどん付け加えていくのでやたらと複雑だったりもします。私が好きなのはこの「真向き大根」。この複雑な葉っぱの模様、カッコ良いんですよねぇ。なぜここまでリアルに描いたのか、すごく不思議なんですが(笑)。
「真向き大根」の家紋
承龍:そうですね、不思議な家紋も多い。書物にまとまっているからといって、体系立っているわけではないんです。私たちはデザインとしての家紋は見てきているけど、その背景の詳しいことはわからないんですよ。家紋の不思議の一つは一次資料がなく、二次資料しかないこと。家紋専門の研究家の方でさえまだまだわからないことが多いと言っていました。
洒落や遊びごころも、インスピレーションの入り口に
―実際にお二人が紋をデザインする時は、どんなところから取り掛かるのでしょうか。例えばこの秋オープンの「COREDO室町テラス」は“集う”がテーマの五角形の紋になったとうかがいました。
承龍:この件はお話を頂いてすぐにインスピレーションが湧いて、割と早くできあがったんですよ。五街道の起点である日本橋だから“五”角形で、また「入れ子枡」をモチーフにすることで、人が入る感じも表現しました。人が集い開放感があり、そしてゲートにもなる場所になるように、というイメージですね。
耀次:江戸時代に「判じ絵」という謎解き・洒落の文化があったのですが、その判じ絵のような感覚でテーマから連想します。そこに縁起物としてのゲンを担ぐ要素もあり、一升枡を“入れ”組み、五合枡を“人”組みにしてかけ合わせると「一生繁盛益々人入る」という意味を持たせる事が出来ます。洒落が利いているでしょ?(笑)
COREDO室町テラスの暖簾「集(つどう)」のデザイン
承龍:紋には制限が多いものの、だからといって厳格なルールがあるわけでもなく、遊びごころがあるのも魅力です。基本的な部分は踏襲しつつ、なるべく自由に考えるようにしたいと思っています。
耀次:表現する場も、暖簾や着物に限定しなくて良いと思っています。以前伊勢丹で、和太鼓で使われている“鋲”を使った紋のアート作品を展示させて頂いたことがあったのですが、それがきっかけでNOHGA HOTEL(2018年11月に上野にオープンしたホテル)のロビーに作品を飾ることになりました。もはや表現するキャンバスも手法も自由になったわけです。さらにこの時は紋のモチーフをもとに、組み合わせを変えながら、カードキーのデザインモチーフや、ドライヤーを入れる袋のデザインにまで発展しました。このように作品の“型”が横展開していくことがこの頃は多いですね。
NOHGA HOTELの作品展示のきっかけとなったアート作品
NOHGA HOTELのカードキー。4種類のデザインがある
異業種コラボレーションや新しい手法への好奇心が生んだ、表現のアップデート。
―異業種とのコラボレ―ションや新しいことへのチャレンジがきっかけになって表現の幅をどんどん広げられていらっしゃいますね。
承龍:それはあるかもしれません。ここに工房を構えた頃から、徐々に異業種の方と関わることが増えていき、多様な発想につながっていったように思います。それは制作手法でも同じことが言えるかもしれませんね。
―制作手法でも新しいことを取り入れられて発想の転換があったということですか?
承龍:あるオリジナルの紋の発注を受けてIllustrator形式での納品を依頼されたことがあったんです。
耀次:あれこそ私たちのスタイルが突然変異するきっかけでしたね。“型”を作るという意味ではDrawingのソフトを使っていましたが、二人ともIllustratorは使ったことがなくて。でも父に促されてとりあえず本を1冊買い、Adobeの1ヶ月の無料期間を利用して(笑)、チャレンジしました。これをきっかけにiMacを買って本格的にIllustratorを導入し、制作に取り入れるようになったんです。
―新しいデジタルツールを取り入れること自体に抵抗はなかったのでしょうか?
耀次: 私は紋を現代に合わせて表現していくうえで必要なツールだと感じて、取り入れることを決めましたね。そういう時代だと感じていました。一方で父はまず美しいものが好きだから、純粋に綺麗なデータを作りたい、という思いだったはずです。とはいえ初めはIllustrator独自のツールになかなか馴染めなかったですね。でもある時、父に「正円」を描けるツールはないのかと聞かれたのが突破口になりました。
承龍:分廻しで描き慣れていた“円”に立ち返ってみようと思い、Illustratorの円のツールだけを使って描き始めた事で今の手法にたどり着きました。この制作過程を見せると「普通は絶対こんなことしない、なんでこれほど面倒なことをするのか」と驚かれることもあります。でも家紋にとってはこれが一番理にかなったやり方で、“円”こそが紋の世界なんです。そしてこの円ツールを活用する制作手法が、「紋曼荼羅」として紋の伏線をアートとして魅せるという発想につながっていきました。
「紋曼荼羅」の作品。実線の絵の周りに、無数の伏線が曼荼羅のように弧を描く
YOHJI YAMAMOTO pour Homme A/W 2019-20 PARIS COLLECTION Copyright: Monica Feudi 毒蜘蛛の紋曼荼羅などがコレクションのデザインに採用された
―デジタルの円ツールを使う中で、結果的に紋曼荼羅のような作品ができたということでしょうか。
耀次:そうですね。だから紋曼荼羅は父がIllustratorを使いこなせなかったからこそ生まれた副産物なんです。デジタルツールを導入したことで、紋の伏線を作品の一部と捉えたら面白いのではないかと思い至りました。
―今回の「めぐるのれん展」に出品頂く暖簾でも、日本橋の象徴である麒麟像を紋曼荼羅で表現されていますね。
耀次:最初にデザインのもとになる写真を撮りに行きました。あの日本橋のど真ん中で脚立を立てて、さまざまな角度から麒麟の像を撮影しましたね。撮った写真をトレースして、どの輪郭を線として使うか取捨選択をし、紋に描き上げていきました。暖簾用の白抜きデータを作るのにもコツがあり、父の感覚で仕上げていきました。
麒麟像のモチーフを作る過程。左から、麒麟写真→写真から起こした線描き→線描きを元に線を太くする等の調整をした暖簾用の下描き→暖簾用データ
承龍:麒麟像は二体で一対の像で、一方が口を開き、もう一方は閉じている“阿吽”になっているなど、左右で微妙にデザインが違います。そういう細かいディティールを再現したかったのもあり、ひとつ書くのに1週間以上かかりましたね。この紋に使われている円はトータルで2500を超えましたから (笑)。特に難しかったのは表情を左右する“目”でした。
耀次:元のモチーフが複雑なので、紋曼荼羅を作る伏線もこの通り複雑です。でも本当に美しい像だなと思います。
麒麟紋のIllustratorでの制作課程。複雑な紋曼荼羅が浮かび上がる
紋や暖簾への心理的なロックを外したい。自由な表現の場としての「めぐるのれん展」に寄せる期待
―「めぐるのれん展」では若手クリエイターから日本橋を表現した暖簾のデザインを公募します。応募を検討されている方に、審査員でもあるお二人からアドバイスをいただけますか?
承龍: 自分であればまず、やはり紋を使ってどこまで新しい表現ができるかを考えますね。例えば紋は平面の表現ですが、それが立体的になったら面白いかもしれないなぁと思います。あと、先ほど紋帳には3000種類もの紋が紹介されているという話をしましたが、実は使われているモチーフは300種類程度なんです。その中には動物のモチーフが意外と少なかったりして表現の対象が限られているんですよね。
だから現代のものをモチーフにして、伝統的な家紋と掛け合わせるのも良いかもしれません。落語の世界にも古典と新作があるように、紋だって現代の新作があって良い。それがいずれまた古典になり、次の時代の新作が生まれて・・・と積み重なっていけば、紋の可能性はかなり広がるはずです。
耀次:新しい表現手法という意味でいうと、私たちの場合は紋曼荼羅にたどり着いたのが一例ですが、意外と紋という制限のある枠組みの中で試行錯誤する方が、面白い突破口が出てくるんじゃないかなという気もしています。
承龍:紋の世界はこんなに自由なんだよということを伝えていきたいんです。それは昔から一貫していることで。暖簾も同じですよね。明確なルールがあるわけではない。面白いのは、どちらもカジュアルに生まれているわりには、“勝手に新しくしたり変えてはダメ”という心理的ロックもかかっていること。今回の「めぐるのれん展」では、この心理的なロックが外れて、私たちも思いもよらないような自由な表現に出会えるのを楽しみにしています。
日本橋の新しいシンボルとなる「暖簾」のデザイン募集!
「めぐるのれん展」デザインコンペ
2019年秋、日本橋で初開催されるデザインイベント『めぐるのれん展』。企業・店舗とゲストデザイナーにより新しい発想でデザインされた「暖簾」を約1か月間にわたって一斉に展示し、江戸時代の日本橋を描いた絵巻『熈代勝覧』を再現する彩りで街へ人々を迎え入れます。この『めぐるのれん展』は「暖簾」や「紋」などの歴史や伝統のある表現のアップデートを試みる場として、また、若手デザイナーが日本橋の街づくりに参加できる場として機能していきます。この記念すべき第1回『めぐるのれん展 デザインコンペ』の参加者を募集!歴史性と先進性をあわせもつ日本橋の魅力を表現する新しい発想をお待ちしています。
【公式サイト】
https://nihonbashi-beta.jp/
取材 : 佐々木大輔・中村新 文 : 丑田美奈子(Konel) 撮影 : 岡村大輔