街の繋がりから生まれた多彩な飲食店ビル。3人の料理人が描く“垣根のない街”の未来。
街の繋がりから生まれた多彩な飲食店ビル。3人の料理人が描く“垣根のない街”の未来。
2020年春、店舗を新装移転し「J1ビル」の1階で営業を開始した老舗鮨店「蛇の市本店」。店主兼ビルオーナーでもある寳井英晴さんの「日本橋の飲食店の新たな形をここから発信したい」という思いに共感した「Da GOTO」 後藤大輔さんが、昨年秋同ビル2階にイタリアンレストランをオープンしました。さらに今年6月にはミシュラン一つ星のフレンチ「La Paix(ラペ)」を率いる松本一平シェフの新業態「おでん屋 平ちゃん」も仲間入りすることに。今春大好評を博したお弁当企画“日本橋宴づつみ”の成功にも貢献したお三方(関連記事はこちら)に、お店への思いや、飲食店の次のステージを予感させる同ビルの構想について聞きました。
「J1ビル」3店舗が揃うまでの道のり
―はじめに、各店舗のご紹介をお願いします。
寳井英晴さん(以下、寳井):明治22年創業、今年で132年を迎える鮨店「蛇の市」は、日本橋に魚河岸があった頃の屋台がルーツで、本格的な江戸前鮨を提供しています。昨年の3月に、すぐ近くにあった店舗からこちらに移転しリニューアルしました。
松本一平さん(以下、松本):「ラペ」は2014年オープンのフレンチレストランです。私はもともと日本橋の「オー・グー・ドゥ・ジュール・メルヴェイユ」でシェフを務めていた経験もあるので、日本橋歴で言うと17年になります。今回ずっと温めていた業態「おでん屋 平ちゃん」をこの街でオープンすることになり、今その準備の真っ只中です。
後藤大輔さん(以下、後藤):「Da GOTO」は2020年11月にオープンしたばかりのイタリアンレストランで、日本橋ではまだまだひよっこだと思っています。もともと友人としても交流のあった寳井からの誘いを受ける形でこのビルで店を開き、日々楽しみながら試行錯誤しています。
「Da GOTO」の後藤大輔さん(左)
―後藤さんは松本さんともお知り合いだったとか?
後藤:はい。もともと同じ料理教室で講師をやっている時期があって、そのご縁で松本さんとはSNSで連絡を取ったり、お互いの店に食事に行ったりしていました。料理人仲間で誘い合って生産者さんのもとを巡ったこともありましたね。そんな交流がある中で僕が日本橋にお店を開くことになって、じゃあ松本さんのところにも挨拶に行かなきゃと、寳井を誘ってラペさんで食事をしたのが昨年の10月でした。
松本:そうでしたね。私は蛇の市さんのことはもちろん知っていましたが、なかなかお話するきっかけがなくその日が初対面で。いろいろ話す中で、日本橋で新業態オープンに向けて物件を探しているけどなかなか見つからない、と言ったら寳井さんが「うちの地下が空いてるよ」っておっしゃって(笑)。
寳井:不動産屋には出してなかったですからね、非公開物件の情報を提供した形になりました。
「蛇の市本店」の寳井英晴さん(右)
―初対面の時から出店の話題が出ていたんですね。
寳井:僕ももともとラペさんは知ってたけど、後藤が繋いでくれて良い機会だと思って挨拶に行ったら、まさかの物件を探してると言うじゃないですか。松本さん良い方そうだし、あの「ラペ」の新業態が入ってくれるならこれは絶対誘おうと、その時点で心に決めていました。それからはちょっとずつ松本さんに話をしつつグイグイ押して、こうして口説き落とすことができました(笑)。
松本:コロナ渦の中での挑戦なので、本当にやるかどうか正直迷った部分もあったのですが、寳井さんの後押しがあってやろうと決めました。まだオープン前にもかかわらず、寳井さんと後藤さんとの繋がりをきっかけに「日本橋宴づつみ」の企画にも参加するなど、新たな取り組みの機会もいただき、これからを楽しみにしています。
「La Paix」の松本一平さん
―松本さんは日本橋の飲食店コミュニティについてどのような印象をお持ちでしたか?もし寳井さんとの出会いによる変化があれば、それも教えてください。
松本:朝食交流イベントの「アサゲ・ニホンバシ」(関連記事はこちら)に参加したこともありましたし、街のコミュニティで交流を深めていきたいという思いはあったのですが、やっぱり老舗の皆さんは重鎮というイメージがあって、自分のような新参者がそこに入っていくにはまだまだ恐れ多いと感じていました。でも寳井さんと話してみて、あぁ実はこんなにアットホームな感覚で気さくに接してくれるんだと驚いて、同時に嬉しかったですね。三四四会(日本橋料理飲食業組合青年部)の方たちもフレンドリーで、これまでとはだいぶ印象が変わりました。
新業態「おでん屋 平ちゃん」に込められた思い
―次に新店舗に関してもいろいろと伺っていきたいのですが、まずは「おでん屋 平ちゃん」がどんなお店なのか教えてください。
松本:「おでん屋 平ちゃん」は、和のおでんにフレンチの技法をかけあわせた“イノベーティブODEN”のお店です。和歌山にある私の実家は、おでんを懐石風に一品ずつ小鉢で出す“おでん割烹”のお店だったので、幼い頃からその味に慣れ親しんできました。そして大人になってからもフランスに修行に行く前後に延べ1年半くらい実家を手伝っていたことがありました。このとき、昼=フレンチ、夜=おでん割烹という形で営業したところかなり好評で、メディアでも話題になっていたんです。
その後は東京でフレンチの道を歩んでいましたが、いつかあのおでん割烹での経験を披露したいなぁとずっと思っていて。それで独立して「ラペ」を始めた2年目に、お正月の1週間だけおでん屋をやってみたんです。当時はフュージョン料理なんて概念もなかった頃ですから、フレンチのお店がおでんなんて出したら「邪道だ!」なんて思われないか心配で(笑)、いっそのこと完全なおでん屋にしてしまえば良いのでは?と、ユニフォーム・器・看板・BGMも全部変えて挑みました。
―それがあの予約の取れない人気企画になったんですね。
松本:はい。やってみたら予約がすぐに埋まってしまうほどの人気で、以来冬の恒例企画になりました。今回これを常設店舗にしようと立ち上がったのが、「おでん屋 平ちゃん」の計画というわけです。
―「おでん屋 平ちゃん」では若手のシェフが中心になるそうですね。
松本:「メルヴェイユ」の頃から一緒にやっていた、和食が得意なシェフに任せることにしました。私は30歳の時にメインシェフにさせてもらったので、自分も次の世代にチャンスを提供していきたいなと思って。コロナ渦での就職難もあって優秀なシェフが腕を振るう場が減っていますし、少しでも若手が活躍できる環境を作ってあげたいですね。
―オープンに際しては、さまざまな工夫をされていますよね。クラウドファンディングもすごい反響で、お客さんの期待の大きさに驚きました。
松本:新しい挑戦なのでインパクトを与えたいという思いもあり、宣伝もかねて実施したのですが、たくさんの応援をいただき感謝しています。(松本さんのクラウドファンディングプロジェクトは5/15まで。)それと、コロナ渦で飲食業界全体が落ち込んでいる中で、私たちが頑張っている様子を伝えることで、少しでも同業の人たちを元気づけられたら…という意図もあります。
makuakeプロジェクトページより(画像は5/10現在のもの)
「Da GOTO」が目指す、我が家に招くようなレストラン
―つづいて、オープンして5ヶ月の「Da GOTO」についてもご紹介をお願いします。
後藤:「Da GOTO」は、イタリアの地方料理をベースに日本の旬の食材を組み合わせたイタリアンレストランで、フルフラットのオープンキッチンが特徴です。このキッチンの形にしたのは、以前寳井から「後藤を前面に出した店にして欲しい」と言われたことがきっかけ。僕は20 年以上イタリアンをやってきましたが、思えばずっとクローズ型のキッチンで、せっかく寳井や友人が食べにきてくれても彼らがどんな風に僕の料理を食べているのかわからなかったんですよね。でも、実は料理って休日に家族の顔を見ながら楽しく作ったものが、一番美味しかったりするもので…。 そんな気づきと寳井の言葉がリンクして、我が家に招くように料理する=「Da GOTO(イタリア語で後藤家と意味)」という店名にしました。
「Da GOTO」のオープンキッチン(「Da GOTO」Instagramより)
松本:私も後藤さんのところを参考にしたくてキッチンを見せてもらったんですが、めちゃくちゃ丸見えなんですよ(笑)。ここまでオープンにするんだと驚きましたが、「蛇の市」も鮨屋でカウンターでしょ?両店ともお客さんとのやりとりがダイレクトにできるのは良いなぁと思って、うちも倣ってオープンキッチンにしました。
後藤:お客さんの一口目の表情とか、反応を見ながら料理を提供できるのはやっぱり良いですね。お客さんからも丸見えだから、食材を切るだけでも「それ何ですか?」って声をかけられて会話も弾むし、皆さん楽しそうです。今まで「蛇の市」に来るお客さんが、寳井の鮨を食べに“会いに来ている”のがすごく羨ましかったんですが、それに近い関係性をこれからうちのお客さんとも築いていけたらと思っています。
寳井:後藤は本当に魅力的な料理人なんですよ。それをお客さんにも見せてあげたいし、後藤にもこれが最後の店だと思って全てを捧げるような気持ちでこの街に店を構えてほしかった。今まさにそういう店になってきて、僕も嬉しいです。
店舗の垣根がない関係性を、日本橋全体に広げたい
―この3店舗が集うことで、寳井さんはどんなことを期待していますか?
寳井:僕らがこうして集まったことで、“ジャンルや歴史を超えて協力し合うことで、こんなに様々なことができるんだよ”と実例を見せていきたいと思っています。日本橋は老舗や三四四会だけで成り立ってるわけではないし、新しい人たちが入ってくることで盛り上がっていく場所。だからさっき松本さんからもあった「老舗がいて気を遣ってしまう」という雰囲気は真っ先になくしてしまいたくて。実際はそうではなく、新旧が組み合わさることでより面白く、より可能性が広がるはずなんですよ。
この考えには後藤も松本さんも共感してくれていて、この3人でやればできるんじゃないかと。さらに究極の理想を言うと、お店の垣根がなくなったフラットな関係性を徐々に日本橋全体に広げていって、お客さんも自由に日本橋を楽しめる感じにしていきたいなと思っています。
後藤:ビルのテナント同士で一緒に何かをやる例はなかなかないと思いますが、今回加わった松本さんはとにかくチャレンジャーだし、アイディアをどんどん形にしていく行動力がすごいんですよ。でも一人でどんどん進めるというよりは、皆のアイディアをまとめながら進めていくのが上手な印象で。松本さん、いろんなノウハウを持っていそうから盗ませてもらいたい(笑)。
スタッフ同士もお店を超えて皆仲良し(「Da GOTO」Instagramより)
―この3店舗での取り組みとして、何かすでにアイディアがあったりするんでしょうか?
寳井:松本さんが大切にしている、生産者さんとの繋がりを活かした取り組みはぜひやってみたいです。たとえば松本さんが言っていた案として、彼が和歌山から仕入れている花山椒を3店舗で分け共通食材にして、各店がそれぞれの視点で料理に取り入れた「和歌山の花山椒WEEK」をビル全体でやったら面白いよね、とか。松本さんはそういうアイディアがポンポン出てくるんですよね、すごい。
松本:最近思うのが、お客さんがお店を選ぶときって「何を食べに行ったら良いかわからない」という状況がありそうだなということ。「季節のコース」などのメニューはよくありますし、旬のものをたくさん使えば当然美味しいのですが、お客さんからすると決め手に欠けるかもしれなくて。だから「ラペ」では季節ごとに鮎のコースとか桃のコースとか、ピンポイントの食材を全面に出した企画をやるんです。するとやっぱりお客さんには好評で、毎年楽しみにしてくれる人が出てくる。花山椒もしかりで、そういうことをビル全体でやれたら良い。あ、でも共通食材が果物だとお鮨屋さんは厳しいか…。
寳井:やりますよ!何でも。果物をジャムにして細巻きにしたりね。ジャムの軍艦でも良いね(笑)。
後藤:斬新すぎます…(笑)。
松本:食材は何でも良いんですが、お店を超えて食べ比べるという楽しさを提供できたら良いなと思います。今思いついたことを気楽に話してますけど(笑)、お客さんが来る理由をこちらから作るのは大切ですよね。
―“お客さんが来る理由”と言えば、後藤さんの発信する「Da GOTO」のInstagramがいつもすごく美味しそうなのですが、あの写真を見て来店される方も多いのでは?
後藤:まさに Instagramに載せたメニューが引きになっている部分はありますね。うちでは今、前菜の盛り合わせを名物として打ち出そうと思っているのですが、あるとき盛り合わせ全体の写真ではなく、その中の「タコのテリーヌ」にフォーカスして投稿したんですよ。そうしたら大きな反響があって、「Instagramのタコありますか?あれが食べたいんです。」と電話もかかってきました。そんなこともあって「これを食べたい!」というお客さんの気持ちに寄り添えたら良いなぁと思っていたところです。
松本:今の時代、美味しいことはもはや当たり前。美味しいだけじゃない付加価値をつけていきたいから、この3店舗全体でどう楽しんでもらうかという視点を持ちながら、お客さんが目的を持って来る場所にしていきたいですね。
「タコのテリーヌ」と「前菜の盛り合わせ(テイクアウト)」(「Da GOTO」 Instagramより)
3人が考える“本当の”コラボレーション
―今年のGWには、蛇の市×Da GOTOのコラボ弁当企画も実施されていましたね。
寳井:はい。5/4・5/5の限定で「コラボばらちらし」のテイクアウト企画をやりました。かなりこだわった内容にしたのですが、おかげさまですぐに予約完売しご好評いただきました。
後藤:はじめは二段重にしてそれぞれのお店の弁当を一段ずつ重ねる形を考えたのですが、でもそれではただ組み合わせただけでは?という話になり、次は「蛇の市」のばらちらしに「Da GOTO」の食材を乗せようとしたけど、それでも物足りず。最終的には、“烏賊の松笠”に合わせる青葉をバジルに変えたり、“桜鱒の漬け”にマスカルポーネを合わせたりと、具材一つ一つでお互いの料理の要素を組み合わせることにしました。ここまでやるコラボはなかなかないと思いますよ。
寳井:本当の意味で融和しているものを作りたかったんです。盛り付けも僕がやると和のばらちらしになってしまうので、イタリアンの要素が入るように後藤にお願いしました。味に関しても、意外な組み合わせの驚きを提供することを目指して、一口食べた瞬間に美味しさが融合する料理になったと思います。
松本:これは料理人としてもすごく気になる面白い企画ですよね。お二人が試行錯誤している様子を近くで見ていても、とても楽しそうだし。今回は第一弾だそうなので、「おでん屋 平ちゃん」がオープンしたら次回はぜひ参加させてください!
寳井:もちろん、ぜひやりましょう。次はおせちなどもやりたいですよね。いろいろな切り口でシリーズ化していって、お客さんにも「次は何をやるんだろう」と楽しみにしていただけたら良いなと思います。
目にも鮮やかなばらちらし(「蛇の市」Facebookより)
―そうしたお店を超えた取り組みが日本橋全体に広がっていけば、というお話も先ほどありましたが、J1ビル以外でコラボレーションしてみたいお相手はいますか?
寳井:僕はすでに交流のある三四四会以外の人たちと、もっと繋がりを深めていきたいと思っています。たとえば室町に「BULVÁR TOKYO(ブルヴァール トーキョー)」というクラフトビールとチェコ料理のお店があるんですが、そこに日本一美味しいと言われる“サトウ注ぎ”を編み出した佐藤さんという方がいます。彼のビールと僕たちの料理を組み合わせて何かできたら良いなぁ、とか。
「BULVÁR TOKYO」Instagramより
松本:あと「LA BONNE TABLE(ラ ボンヌ ターブル)」の中村シェフも面白い試みをいろいろやっている方。特に日曜朝に店頭でやっている朝市がまた素晴らしい内容なんですよ。あの朝市を拡大して、他のお店や生産者の方も巻き込みながら青山のファーマーズマーケットみたいになったら、きっと街の目玉イベントになるはずです。日本橋に多いアンテナショップが参加するのも良いし、ちょっとした料理も食べられたらさらに楽しそう。いろいろとコラボプランが浮かびます(笑)。
後藤:でも、そういう魅力的な人やお店が意外と知られてなかったりするんですよね。だからそこは街全体で告知し合ったり、コラボすることで拡大していくような働きかけが必要なんだと思います。J1ビルがそういう動きを率先していくような存在になれたら良いですね。
「BULVÁR TOKYO」さんらとの、店舗を超えた取り組みを。
日本橋で新しい試みを行う皆さんと交流を深めながら、街の飲食店を巻き込むような取り組みをしてみたいです。
「ラペ」の期間限定メニューを買うこと(寳井さん)
「日本橋宴づつみ」も限定販売のスイーツも買いました。
日本橋の桜の景色(後藤さん)
忙しい毎日の中に季節を感じさせてくれた、あじさい通りのおかめ桜や江戸桜通りのソメイヨシノ。(画像提供:三井不動産)
取材・文:丑田美奈子(Konel) 撮影:岡村大輔