暗闇が創る、対等な出会い。ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンが「対話」を重視する理由。
暗闇が創る、対等な出会い。ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンが「対話」を重視する理由。
1999年に東京で初開催されて以来、全国各地で延べ22万人を動員してきた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、DID)。純度100%の暗闇の中を、視覚障害者のアテンドによって導かれるという唯一無二の体験は、多くの人たちに新たな発見や気づき、変化を与えてきました。高齢者を含めると3人に1人がボーナブル(誰かの支えを必要としたり、傷つきやすくなっている状態)である日本社会において、DIDをはじめとする一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティが展開する「対話」のプログラムは、どんな価値を持っているのでしょうか。活動拠点「Tokyo Diversity Lab」を馬喰町に構えるなど、日本橋にも深い縁があるダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの生みの親、志村真介さんにお話を伺いました。
“見えないもの”に価値を感じる。
ーまずは、志村さんとDIDの出会いについて教えてください。
出会いは、1993年の日本経済新聞の小さな記事でした。ウィーンで開催されたDIDの様子を伝えるものだったのですが、暗闇の中を視覚障害者が案内するという内容に衝撃を受けたんです。当時の日本はバブル後期で、いかに自分が得をするか、会社が利益を得るかが社会の関心事で、マーケティングの仕事をしていた私も、いかに価値を目に見える形にして届けるかということばかり考えていました。しかし、ヨーロッパではすでに消費は一巡し、目に見えないものに価値を見出し、時間やお金を費やしていることに非常に驚いたし、それは今後の日本にも必要なことだと感じたんです。
ー障害者を取り巻く環境も、日本とヨーロッパでは大きく違ったのでしょうか?
そうですね。日本の街中には点字ブロックもありますし、エレベーターなどでも音声案内がされますが、一般の人が視覚障害者と接する機会は少ないですし、「かわいそうだから助けなくてはいけない人たち」と認識されているところがありました。DIDがユニークなのは、暗闇の中では立場が逆転し、弱い存在だと思っていた人たちに健常者が助けられるという点です。親と子、先生と生徒、雇用者と被雇用者など非対称な関係性のコミュニケーションが多い社会の中で、暗闇を通して対等な出会いを創出していることに感動したんです。
取材に応じてくれた、ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表の志村真介さん
ーどのようにして日本開催を実現させたのですか?
発案者のアンドレアス・ハイネッケに手紙を書き、数年間のやり取りを経て開催権を取得しました。その間、DIDの素晴らしさを周囲にも話していたのですが、暗闇のエンターテインメントはお化け屋敷くらいしかなかった当時、暗闇を平和利用したDIDの画期性をいくら伝えてもあまり理解されず、歯がゆい思いがありました。とはいえ。私もその頃はまだDIDを体験しておらず、1995年にローマで初めて経験したのですが、暗闇の中で迷子になってしまったんですね。すぐにスタッフが来てくれたのですが、その瞬間、暗視用ゴーグルをつけた人が助けてくれたと思ったんです。もちろん実際に助けてくれたのは、視覚障害者のガイドだったのですが。その時に、頭で理解していたことと体験することはまったく別物で、とにかく体験をしてもらうことが大切だと感じました。
ー最初に日本で開催されたのは、1999年のことですね。
開催場所を探すのに数年かかってしまいました。日本で照度ゼロの暗闇をつくるのは、消防法の関係で難しいんですね。また、多くの視覚障害者が運営に関わることも懸念されたのですが、各所で対話を続けていく中で実現方法が見つかり、1999年の東京ビッグサイトを皮切りに、日本各地に暗闇をつくり、イベントを実施してきました。
完全に光を閉ざした暗闇の中を、ファシリテーターとして訓練を積んだ視覚障害者に導かれて進んでいく「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。参加者は、暗闇の中で対話の大切さや五感の豊かさを感じる貴重な体験を得ることができる(写真提供:DID)
その人“だから”働ける場所をつくる。
ー2009年に、東京・外苑前に常設会場をつくった経緯をお聞かせください。
期間限定のイベントとしてDIDを開催していると、暗闇を案内するアテンドたちの能力にみなさん感動してくれるのですが、イベントが終わると彼らは障害者としての日常に戻っていくんです。その様子を見ているうちに、これだけ能力が高い人たちができる仕事というのが制限されている社会に疑問を持つようになりました。そして、その人”でも”できるではなく、その人”だからこそ”できる仕事を続けられる場をつくろうと決意したんです。
ー常設会場の物件はすぐに見つかったのですか?
これもかなりの時間を要しましたね。まだ、DIDがあまり知られていなかった当時、暗闇の中に不特定多数の人たちが入ることや、視覚障害者が数十人働くことなどを説明していくと、入居の条件がどんどん上がっていくんです(笑)。DIDはすでに50カ国ほどで開催されていますが、その多くは次世代教育という観点から税金で運営されているんですね。それに対して日本は民間で運営していることもあり、色々な面で苦労しましたね。
2009年から2017年まで運営していた東京・外苑前のダイアログ・イン・ザ・ダーク常設会場(写真提供:DID)
ーDIDでは、常設会場の運営と並行して、企業の研修プログラムなども行うようになりましたね。
はい。これまで組織においては、上司の指示に基づいたトップダウンのコミュニケーションが効率的だと考えられてきました。でも、DIDに長く関わる中で、プロジェクトを進めるメンバーたちと最初の段階でしっかり対話をした方が物事は早く進むし、トラブルが起きても、それを解決するための協力がスムーズに行われることがわかりました。組織の中にいる多様な人たちが対話を通してお互いを理解していくというのは非常に時間がかかる作業です。でも、特定の人がリーダーシップを発揮している状態よりも、時にリーダーがフォロワーになり、フォロワーがリーダーになるような関係が築かれている方が組織としては強いんです。DIDは対話を通して信頼関係を築く良い機会になりますし、実際にDIDでワークショップをすると、伸びている企業とそうではない企業の違いというのが、アテンドたちにもわかるんです。
ー2020年7月には、ダイアログ・ミュージアム「対話の森」を東京・竹芝にオープンするそうですが、その経緯も教えてください。
外苑前の常設会場は、オリンピック・パラリンピック開催に伴う家賃の高騰などを理由に2017年にクローズしたのですが、その後私たちは、聴覚障害者とともに音のない世界で対話する「ダイアログ・イン・サイレンス」、経験豊かな高齢者がアテンドとなり、生き方について対話する「ダイアログ・ウィズ・タイム」などを行うようになりました。これらの活動を経て、誰もが対等に出会える対話の機会を提供し、体験者とアテンドがともに成長できる場として、3つのプログラムをすべて体験できるミュージアムをつくることになりました。
聴覚障害者のアテンドのもと、音を遮断するヘッドセットを装着し、言葉の壁を超えた対話を楽しむ「ダイアログ・イン・サイレンス」(写真提供:DID)
対等な対話がもたらす変化とは?
ーDIDを体験すると、「対話」とは言語によるコミュニケーションだけではないことに気付かされます。DIDでは、「対話」をどのようなものとして捉えているのでしょうか?
「対話とは何か?」ということに対する唯一の正解はなく、それぞれの対話観というものがあるはずです。私たちのミッションは、「対話とは何か?」ということを社会に問い続けることだと考えていますが、その中でできるだけ対等な対話の機会をつくりたいという思いがあります。
ー現代社会において、「対等な対話」にはどんな価値があるのでしょうか?
対話というのは、心地良さや同意を得るためのものではなく、むしろ自分と違う他者への違和感やザワザワした気持ちから始まるものだと思うんです。相手との間には必ず溝があり、その背景には年齢や性別、文化、宗教、社会制度、あるいはその人の生き方、仕事観などの違いがある。それを理解した上で、相手のアイデンティティや物語に寄り添ってみることが、対話を行うひとつの意味だと思います。現代の社会では、SNSで「いいね」をしてくれるような同じ価値観の持つ人たちによって小規模なグループがたくさん形成されていて、そこに身を置くことは快適ですよね。自分の知りたい情報だけを手に入れることができ、他の情報はシャットアウトできてしまう時代だからこそ、相手の考え方や価値観を追体験できる機会は非常に貴重です。だからこそDIDでは、スマホも肩書きもすべて手放し、暗闇と静寂の中で対話ができる空間を提供したいと考えています。
DIDでは、暗闇の中で他者と連携しながら、問題解決に取り組むワークショップも行っており、企業や団体の研修などに使われている(写真提供:DID)
ーこうした対話を経験することによって、個人の内面や社会の見方が変化することも多そうですね。
面白いことに、DIDを体験した人の多くは、街で障害者と出会うことが増えたと感じるんです。それまでも街には白杖を持った人や車椅子の人はいたわけですが、DIDを体験することで、彼らをいないものとして扱っていた自分に気づくんです。暗闇での対話がもたらす変化というのは、相手に言いくるめられてしまうような一方的なものとは違い、お互いを認め合いながら、相手との間にブリッジを架ける可能性を探っていく中で生まれるもので、そこにDIDの面白さがあると思っています。
ー対話を通じた変化や相互理解の先には、「Bridgine」が大切にしている「コラボレーション」も生まれていきそうです。
そう思います。コラボレーションに関しては、私たちもこれまでに健常者より秀でている視覚障害者の触覚を生かして、今治タオルや会津漆器とのコラボレーション商品などを開発してきました。こうしたコラボレーションの機会を通して、障害者向けではなく、一般の人たち向けのプロダクトをつくっていくことによって、障害者が持つ多様な価値を社会に伝えていきたいと考えています。
会津漆器の職人たちとDIDのアテンドが対話を重ねながら、「究極の手触り」にこだわって生み出した会津漆器「めぐる」
日本人ならではの感性と多様性 。
ー肩書きなどを外して暗闇に入る体験は、刀を外して入る茶室の精神に通じますし、谷崎純一郎が『陰翳礼讃』で闇に美を見出す感性について書いているように、DIDは日本の文化や美意識と親和性が高いように感じます。
そうですね。実は、日本以外で行われている各国のDIDは、ドイツ本国のコンテンツをそのまま流用しているのですが、自分がドイツでDIDを体験した時、暗闇の中とはいえ、造花に触れて「これを花だ」と言うのは難しいのではないかと感じました。私は、暗闇の中にあるもののディテールにまで、自分の手が覚えているリアルな感覚を求めるくらい日本人の感性は繊細だと思っています。だから、日本のDIDでは、本物の花や落ち葉などにこだわることはもちろん、もともと日本にある文化や季節感も取り入れていて、お正月には暗闇の中で書き初めをしたり、夏なら線香花火を音と香りだけで楽しみ、感想をシェアするというようなこともしています。
2019年11月に「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」内にオープンした新施設「内なる美、ととのう暗闇。」。禅の思想をベースとしたマインドフルネスを用いて、自然や日本文化を感じられる2時間のプログラムが用意されている(写真提供:DID)
ー本国のプログラムをアレンジしているのが日本だけというのは興味深いです。
日本人は、海外から入ってきたものを上手くアレンジして、自分たちにとって心地良いものに変える能力に長けていますよね。宗教の影響もあるのかもしれませんが、日本人には多様なものを許容する懐の深さがあります。お正月には神社で初詣をして、お盆にはお寺で墓参り、クリスマスには教会に行くような、なんとも言えない多様性を当たり前に受け入れている感覚は、ダイバーシティやインクルージョンがキーワードとなっているグローバル社会において、実は大切なスキルなんです。
ーオリンピック、パラリンピックが東京で開催される2020年は、日本なりのタイバーシティのあり方を世界に伝える機会にもなりそうですね。
そうなるといいですね。SDGsがゴールに設定している2030年まであと10年ですが、私たちは間もなくオープンする「対話の森」を拠点に、これから10年かけてさまざまなパートナーと目標の達成に向けて進んでいきたいと考えています。10年も経てば、小学校4年生でDIDを体験した子どもも成人になります。現在、海外のDIDの体験者の65%は、これからの社会をつくっていく小・中学生たちです。「対話の森」ができることで、今後は日本でも多くの子どもたちが体験できるようになるはずですし、周囲との違いが気になり始める頃に、DIDを体験するとその後の人生は大きく変わるはずです。それぞれが持つ強さ/弱さが変換可能だということを体感することは、次世代の育成においても非常に重要だと思います。また、今後は「対話の森」を運営していくことになるアテンドの育成についても力を入れ、高齢者も合わせると日本人の3人に1人にあたるボーナブルな人たちが社会と対等に関わり直せるように支援していきたいと考えています。
対話を通してつくられる地域社会
ー対話のプロフェッショナルを育てる「ダイアログ・アテンドスクール」の会場にもなっている「Tokyo Diversity Lab」は馬喰町にありますが、日本橋にはもともと縁があったそうですね。
はい。外苑前の常設会場の準備室を日本橋本町に構えていたのですが、日本橋の人たちはとても人懐っこいんです。DIDのようなソーシャルプロジェクトは、お金を稼いで規模を拡大させることが目的ではなく、ソーシャル・キャピタルつまり人間の関係性を増大させることが大切です。日本橋というのは、それを後押ししてくれる熱量や暖かさが感じられる街なんです。ここは江戸文化の中心地だったこともあり、先ほど話した日本文化を取り入れるということも非常にしやすい場所でもある。東京という大都市の中心にこれだけホットな場所があるというのは、国としても大きなポテンシャルだと感じています。
ーこの場所は、企業の研修プログラムの会場にもなっているそうですね。
はい。これらのプログラムを通して私たちが目指しているのは、「変化」を与えることですが、変化するためにはトップギアから一度ギアをニュートラルに戻す必要があります。そういう意味でも、東京の中でも特にニュートラルな場所だと感じている日本橋は、私たちの活動に適していると思っています。
視覚障害者、聴覚障害者、70歳以上の高齢者を対象に、約4カ月全12回の講義やワークショップを通して、「対話を通じて社会を変える」変革者を育成する「ダイアログ・アテンドスクール」(写真提供:DID)
ー暗闇さえつくれれば、地域性は関係ないようにも思えますが、そういうわけでもないのですね。
意外かもしれませんが、暗闇というのは場所によって質感が変わるんです。また、同じ空間でも時間帯によって変わるし、満月の日と新月の日でも粒子の質感は違います。黒の中でも、緑っぽい黒、赤っぽい黒などにそれぞれ名前をつけてきた日本人は、そうした違いを敏感に感じ取ります。だからこそ、ニュートラルで心地良い暗闇を大切にしたいのですが、昨年オープンした神宮外苑の新施設にしても、この馬喰町の拠点にしても、安定感がある良い暗闇がつくることができるんです。
ー最後に、DIDと地域社会との関係性についてもお聞かせください。
外苑前に常設会場を構えてから、あのエリアのコンビニはおそらく日本で最もユニバーサルデザインに配慮されたお店に変わったと思うんです。また、雪が降った日には、街の人たちが自発的に点字ブロックから雪かきをしてくれたりしたんですね。きっと、毎日顔を合わせている街の人たちとDIDのスタッフである視覚障害者たちが、お互いが心地良くいられる関係性を築こうとしていたのだと思います。これは、最初に話した「かわいそうだから助けなくてはいけない」という関係性とは違い、相手を慮る気持ちが地域に広がったことで、誰にとっても心地良い街になっていったということだと思います。DIDというのは都市の中の触媒のように、こうした状況を加速させられるものでもあると感じています。
取材・文:原田優輝(Qonversations) 撮影:岡村大輔
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ
暗闇のエンターテインメント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」などを展開するドイツの「Dialogue Social Enterprise GmbH」からライセンスを受け、日本で唯一「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」「ダイアログ・イン・サイレンス」「ダイアログ・ウィズ・タイム」を行う。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」などの一般開催のほか、暗闇のワークショップを軸にした企業・団体研修、視覚障害者の能力を活かした商品・サービスの開発なども手がける。2020年7月には、ダーク、サイレンス、ウィズ・タイムが体験できるダイアログ・ミュージアム「対話の森」を東京・竹芝にオープン予定。
(2/29(土)までの期間、ミュージアムのオープンに向けて「あなたの#対話とは」を募集中。詳しくは特設ウェブサイトをご覧下さい。)