Interview
2020.02.12

ハンカチーフにストーリーを纏わせて。 日本のものづくりを日本橋人形町から発信。

ハンカチーフにストーリーを纏わせて。 日本のものづくりを日本橋人形町から発信。

日本橋エリアには、事業を受け継ぎながら、新しいチャレンジを大切にしている魅力的な老舗企業が多く存在します。“世界ではじめて、そしてただひとつ”のハンカチーフ専門店「CLASSICS the Small Luxury」も、そんな老舗企業から生まれたブランドの一つです。1879年に日本橋・人形町で輸入雑貨商として創業した「ブルーミング中西」が、なぜハンカチーフ専門店を開業したのか。日本橋で “ものづくり”をし続けることの意義とはどういったことなのか、5代目社長・中西 一さんに伺いました。

自社ブランドだからこそできる、ストーリーのあるものづくりを。

ー「ブルーミング中西」は、創業の地が日本橋人形町なんですね。

はい、1879年に初代・中西義兵衛が日本橋葺屋町(現在の人形町)に「中西義兵衛商店」という屋号で、欧米雑貨洋物商として創業しました。創業当初は輸入雑貨洋品を販売していたようです。その後、販売するアイテムを拡充するため、色や柄などを自社でアレンジした商品開発もするようになり、それを百貨店などに卸すようになりました。

名称未設定 2

「ブルーミング中西」5代目社長・中西一さん

ー小売業態は過去にも展開されていたのでしょうか?

実は、卸売をしている商品を自分たちで販売する「ブルーミングショップ」という直営店舗を持っていた時期があったんです。ですが、あまり軌道に乗らなかったため閉じました。そこからは卸売に注力していたのですが、六本木ヒルズの開業時に「ハンカチーフの専門店を出さないか?」とお声がけをいただいて、もう一度自社店舗にチャレンジすることとしたんです。

ー再び直営店に挑戦された背景には、どのような想いがあったのでしょうか。

その頃のブルーミング中西は、他社の権利をお借りしてハンカチーフをはじめとした洋雑貨を作る、ライセンス商品ビジネスが主流で、それが売り上げにも結びついていました。しかし当時、商品部のトップをしていた私の叔父は、小売業の希望に沿ったものばかりを作っているという状況に歯痒さを覚えていました。せっかくものづくりができる環境があるのに、クライアントの予算や希望がある中だと、素材や製法など自分たちができる表現が限られてしまっていたからです。そんな葛藤を抱えているときに六本木ヒルズからのお声がけがあったので、叔父はこれを“自分たちのものづくり”のチャンスと捉えたようです。そうして2003年六本木ヒルズに「CLASSICS the Small Luxury」を開業しました。

ーライセンスビジネス事業から自社ブランド事業への挑戦は、一筋縄でいかない部分もあったのではないでしょうか。

そうですね。両者では商品がお客様の手に渡るまでのプロセスやストーリーが大きく違います。ものづくりからサービス、そして店舗づくりまでやる自社ブランド事業は、自分たちの想いを形にしていくことこそが最大のミッション。一方で、ライセンスビジネスはクライアントの要望に応えることが重要。逆に言えば売上の責任に追う部分は少ないわけです。しかし自社ブランドであればそうはいかない。買っていただけるもいただけないも、すべてが自分たち次第です。間にクライアントや売り場が入っていると、売れない理由を他責しがちですが、自社ブランドでは自分たちですべてを解決しなくてはいけません。立ち上げ当初は、作り手にも売り手にも相当な葛藤がありましたが、社員の意識にも前向きな変化があったのではないかと思いますね。

叔父が開拓した自社ブランドのビジネスを通し、我々はブルーミング中西のアイデンティティを見出すことができたわけですが、これは叔父の力だけでは推し進められなかったことであるとも思います。自社ブランドビジネスは当時利益の出る事業ではなく、心配の声もありました。それでも叔父の挑戦を黙って応援していた先代である父の存在も、大きかったと感じています。だから父と叔父、二人の想いが詰まった自社ブランドを次のステップに持っていくためにはどうしたら良いのか?二人の想いを引き継いだ我々が過去に捉われずに、どう進化させていくか? という視点で、今後はさらなる挑戦をしていきたいと思います。

名称未設定 3

中西社長がストーリーを大切にされている2種類のハンカチーフ。ペイズリー柄は、先代の社長が他界される前、最後に企画に携わったハンカチーフ。左の真っ白な麻のハンカチーフは、中西社長が新人のときに叔父さまとベルギーの麻の産地を訪れたことを思い出されるとのこと

ーものづくりへの想いを強くもたれて始まったブランドなんですね。ブランド名の「CLASSICS the Small Luxury」は、どのような想いで名付けられたのでしょうか。

「CLASSICS the Small Luxury」には、「密やかな贅沢」という意味合いを持たせています。こだわりや想いが詰まったちょっとした贅沢を手のひらで感じていただきたく、というコンセプトです。

私が自社ブランドで大切にしていることは、「お客様にきちんと説明できる素材であること」「製造方法を説明できるものづくりであること」の二点です。私たちがお客様に一枚一枚に込められた想いを伝え、お客様がそれを理解して買ってくださる。そしてどなたかに贈られるときもその想いが手に渡った方に伝わる、そんな“ストーリーの繋がり”を大事にしていたいと思っています。そのため、店舗に関してもお客様と対話ができる空間であることを意識し、木のぬくもりを生かすことで、布が一番魅力的に見え、かつ、自然なあたたかさを感じられるような場づくりを心掛けています。

_NA02482

木目調を基調にしたぬくもりを感じられる店内には、色とりどりのハンカチーフが並べられている

日本橋でビジネスをする覚悟とアドバンテージ。

ー六本木ヒルズを皮切りに、「CLASSICS the Small Luxury」は多店舗に拡大してらっしゃいますが、そこにはどのような背景があったのでしょうか。

最初に店舗を作った時は、フラッグシップという位置付けで六本木ヒルズのみ、という予定でした。しかし、私としてはせっかくやるなら本格的に事業化をしたいという想いが強く、オンラインショップの立ち上げと多店舗化を叔父に相談したんです。オンラインショップについては、お客様との対話を重視した対面販売をしたかった叔父に最初反対されましたが、時代背景やお客様の意向変化なども鑑みた上、理解してもらいました。そして2店舗目は、3代目の出身地であり、私たちにとっても所縁のある九州・福岡に2014年に出店。その後2016年に、ブルーミング中西の創業の地でもある日本橋人形町に3店舗目を出店することになりました。

ー創業の地に自社ブランドの店舗を出店するというのは、過去2店舗とは意味合いも違ったのでしょうか?

会社自体は日本橋人形町が創業の地なのですが、私自身は生まれも育ちはこの辺りではなかったため、正直なところ「本社がある場所」としての認識しかありませんでした。しかし人形町の店舗計画を立てる前、2009年頃に日本橋界隈で事業を営まれている皆さんとお会いする機会があり、そのときの出会いが私の意識を大きく変えたんです。日本橋で生まれ育ち、商売を継ぎ、子供達も同じ場所で育っている…という方々のお話を伺うと、日本橋という街で事業をすることへの覚悟が全然違う。代々受け継いで、その土地に根ざした事業をするには、街としっかり向き合う覚悟が必要だと感じたんです。それと同時に、「日本橋」という、国の名前がつく街でビジネスをするということは、世界に向けて何かを発信する上で大きなアドバンテージになるのでは?とも気づきました。

当時私たちは「世界中の人々にモノづくりを通して潤いと豊かさを提供する」という企業理念を元に、海外に向き合うための行動指針となるキーワードを探していたのですが、この気づきが大きなヒントになりました。今一度日本橋という街とつながることへの覚悟やアドバンテージを感じたことで、「日本橋・人形町から世界へ」という言葉を掲げることに決めました。

しかし、本社機能しかないこの地から一体何を発信するのか、自分も社員もいまいち実感が湧かない。当初、人形町に店舗を持つことは考えていませんでしたが、ここに「CLASSICS the Small Luxury」を作ったら、みんなが自社ブランドの商品が世界へはばたけるイメージを描けるのでは?そして、「日本橋人形町から世界へ」をよりリアルなものにできるのでは?と考え、この地に出店することにしたのです。

名称未設定 1

人形町駅から徒歩3分ほどのところにある、「CLASSICS the Small Luxury」日本橋人形町店

ーそれはすてきな出店背景ですね。この土地に出店してから、社長ご自身は何か変わられましたか?

「日本らしさ」をもっと追究したくなりましたね。私は入社してから、ものづくりを勉強するために、叔父と一緒に様々な国を回り、各国の色々なストーリーに触れてきました。しかし日本に戻ってきてみて、自分が主に活動をしていた青山や六本木周辺を見てみると、欧米文化の真似が多くて日本独自のストーリーは感じられなかったんです。むしろ、日本じゃなくても良いものばかり。でも、日本橋周辺で育ち、この辺りを拠点にしている方達の話を聞いたり、接点を持つと、独自の日本らしさが見えてきました。自分はその文化の中で育ってはいないけれど、日本らしい文化とは何か、何が自分たちのアイデンティティになるのかを勉強したくなりました。

また、様々な商材が海外で生産される中、実はハンカチーフは全体の6〜7割が日本で作られている商材です。織ったり、染めたり、というのはまだまだ日本が誇れる得意な分野だと思っています。そういう意味でも、「CLASSICS the Small Luxury」のハンカチーフを通して、もっともっと日本の良さを伝えていきたいと考えています。

_NA02506

2019年末に発売された和柄の新作「鳳凰」(中央)と、右の赤い「水引」。こちらは日本の伝統色からインスピレーションを得てつくられた

日本らしい表現を追究し、日本のものづくりを発信する。

ー「CLASSICS the Small Luxury」の今後の事業展開についてや、注力されていきたいことを教えてください。

先ほども触れましたが、日本橋人形町でビジネスをしているからこそ、「日本らしさ」という部分にもっと向き合いたいと思っています。世界に何かを発信していくには、欧米文化のモノマネをしていても仕方がない。例えば、いまメディアでは環境問題が取り上げられていますが、本来日本では江戸時代から着物の帯は、代々に渡って使われ、最後は雑巾になるなど、エコを体現してきたと思います。しかし段々と欧米化する中で、そういった元来持っていたような感覚が薄れてきているとも思うんです。なので、本来持っている日本独自の価値観というものをもう一度考え、立ち返った上で現代に合う形にすることも必要だと思っています。

具体的には、能や歌舞伎など、日本の文化をもっと身近に捉えてもらえるような商品を打ち出してみたいです。以前歌舞伎を観に行ったときに、演者が身につけている着物の色がうちの商品にはないものだと気づいて、すごく新鮮に映ったんですよね。歌舞伎の色は江戸時代から使われているものですが、時代とともに消えていき、我々がハンカチーフの色に使う現代のパントーンには存在しないようなんです。このように、日本で大切にされてきたものをもっと勉強して、ハンカチーフというキャンバス上で表現していきたいと思っています。

ー日本橋人形町という“街”とも何か取り組めたら面白そうですね。

街自体とコラボレーションすることにはとても興味がありますし、すでに取り組んでいることもあります。例えば、神戸にもお店があるのですが、地元愛の強い神戸の方々が喜んでくださるような商品をつくりたく、何か神戸の街と取り組めないか、と考えていたときに、夙川で能の普及活動を行っている「瓦照苑(がしょうえん)」をご紹介いただきました。彼らと組むことで、我々が発信したい日本らしさが新たな形で表現できるのではと考え、実際に能の舞台で使う装束の柄をピックアップして、コラボレーションハンカチーフを作る取り組みをさせてもらいました。

名称未設定 4

瓦照苑の貴重な能衣装を、手捺染で、一流の職人技を通して表現。伝統と歴史が融合したハンカチーフが誕生した

このように、日本古来の文化や、和のアイデンティティを追究したものづくりに挑戦することで、より和の美しさや魅力の真髄を表現でき、海外のお客様にも本当の日本らしさや、日本が昔から大切にしている価値観を理解していただけるのでは、と思っています。

ーハンカチーフを通じて「日本橋人形町から世界へ」という言葉が、ますます体現されていきそうですね。

日本橋という街で事業を長く続け、街に根付かせるためには、時代に合わせたチャレンジが必要だと感じています。古き良きものを生かしながらも新しいものを築いていく。それが体現されている街で、私たちもチャレンジをし続けたいと思っています。

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:坂本恭一(LUSH LIFE)

Facebookでシェア Twitterでシェア

TAGS

Related
Collaboration Magazine Bridgine