Interview
2026.07.31

消えゆく職人の技を、建築という「器」へ。Z世代の坊主起業家・塚原龍雲が日本橋で挑む、伝統工芸の新しい活かし方

消えゆく職人の技を、建築という「器」へ。Z世代の坊主起業家・塚原龍雲が日本橋で挑む、伝統工芸の新しい活かし方

着物やうつわとして受け継がれてきた日本の伝統工芸の技術を、建物や内装空間の意匠へと昇華する会社があります。日本橋室町の設計施工会社「KASASAGI」です。同社のショールームの棚には、富山・高岡銅器の職人が錆を“育てて”生み出した青いパネルが並びます。本来なら工芸品として売られていたはずの技を、味わい深い建築の素材として生かしているのです。

代表の塚原龍雲さんは、アメリカ留学中に日本文化の価値を見いだして起業し、やがてインド仏教僧として出家した、2000年生まれの経営者。「橋渡し」を意味する鳥・鵲(カササギ)の社名のとおり、全国の職人と手を組み、工芸と建築のあいだをつないできました。なぜ、モノだけでなく、建物の意匠を職人と共につくるのか。塚原さんが見据える伝統工芸の可能性についてお話を聞きました。

「橋渡し」を志したZ世代の起業家が、日本橋に根を張るまで

ーまずは塚原さんと、KASASAGIという会社について教えてください。

KASASAGIは、2026年で7期目を迎える会社です。私は大阪の高校を出てアメリカの大学へ進んだのですが、在学中の2020年に創業しました。もともと伝統工芸品のオンライン販売を行っていましたが、後に空間づくりに関わるようになり、伝統工芸の技術や素材、手仕事を建築や空間に落とし込む設計施工の会社になりました。今では売上の大部分を、建築関連の領域が占めています。

社名の鵲(カササギ)は、七夕の夜、織姫と彦星のあいだを流れる天の川に橋を架けるという鳥のこと。伝統的なモノを未来へ、日本の工芸を世界へ。その「橋渡し」をするという想いを込めました。創業から決まった拠点を持たなかった私たちが根を張ったのが、「橋の街」である日本橋。特に狙ったわけではないのですが、“橋”というキーワードが重なり、ご縁を感じています。

ー素敵なご縁もありつつ、数ある東京の街のなかで日本橋を拠点に選んだ決め手は何だったのでしょう。

大阪出身で、下町的なふれあいに親しみがあったこともあり、最初は浅草近辺の物件を探していました。でも、求めていた条件に合うところがなかなか見つからなくて。そんなとき、知人に日本橋の老舗の料理店を案内していただくことがあり、そこに同席されていた方に言われた言葉が後押しになりました。「オフィスで営業するのも大事だけど、『街で営業する』という考え方もあるよ」と。

というのも、KASASAGIのお客様には、海外の方も多くいらっしゃいます。その点、日本橋には、海外の方をおもてなしできるお店がたくさんあります。実はこの場所も希望の広さには足りなかったのですが、そこはたいした問題ではなくなったんです。街全体が、自分たちの応接間になるのですから。

実際に腰を据えてみると、日本橋は東京の中心でありながら「村」でしたね。近所の店で「体調を崩した」と話したら、いつのまにかその噂が別の店にも伝わっていて、店長さんから「体の具合は大丈夫?」なんて声をかけられることも。東京駅から歩けるほどの距離に、顔の見える村社会のような関係性があることに嬉しい驚きがありました。

また歴史的に見ても日本橋はもともと、日本中のモノが集まってきた土地。日本全国の工芸を扱う私たちにとって、これ以上なく親和性のある街でしたね。

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商談の舞台となるショールーム。棚を埋めるのは、全国の工房から集めた素材のサンプルたち

海外経験で気づいた、「周回遅れのトップランナー」である日本文化

ー日本の伝統文化や工芸で起業された理由を教えてください。

正直に言えば、創業したのは使命感というより、もっと下心的な野心でした。代々の起業家の家系に生まれたため、自分も起業家になろうとアメリカへ渡ったんです。当初はITでの起業を志していましたが、つたない英語で本場の起業家と話すうち、ITではまったく勝機がないことを痛感しました。そこで突き詰めた末に残ったのが、「日本人であること」それ自体が、最大の武器になるのではないか、という発見でした。

では、その武器をどう活かすか。ヒントは、世界企業の時価総額ランキングにありました。トヨタの上に、ルイ・ヴィトンを擁するフランスのLVMHグループがある。このことは、生活に欠かせない自動車より、ヨーロッパの文化を製品としてマネタイズする会社のほうが、大きな価値を生んでいるとも捉えられます。ならば日本にも、ヨーロッパに引けを取らない文化的な武器があるはずだ。そう考えて行き着いたのが、日本の伝統工芸だったんです。

確信を強めたのは、大学でプレゼンテーションしたときの同級生の反応です。私が「アメリカ人はモノを買うとき、あとでリセールできるかどうかを気にするが、日本人は、祖父母から受け継いだ着物や、使い込んだ革製品にこそ価値を見いだす」と発表したら、「それは、これからの時代の考え方だね」と言われたんです。私たちにとってはあたりまえの価値観が、彼らには最先端に映った。「周回遅れのトップランナー」の気分でした。とはいえ、私自身は最初は工芸にも日本文化にも、ほとんど知識のない状況でした。

100通の手紙を送り築いた、職人との関係

ーそこからどうやって伝統工芸を担う職人の方たちと関係性を築いていったのでしょう。

まずは、手紙を書くことから始めました。手書きの手紙なら、きっと職人さんも喜んでくれるはず。そう思って、全国の工房に100通ほど送ったんです。ところが、返ってきたのはたった1通。さっそくその方を訪ねると、今度は別の職人さんを紹介してくださって。人から人へ、少しずつ交流の輪が広がっていきました。創業から5年間は家を持たず、キャンピングカーで全国の約2,000の工房をまわりながら暮らしていたんです。

不思議なのは、返事をくれなかった99の工房とも、今ではほとんどお付き合いがあること。なぜあのとき返してくれなかったのかと聞いたら「怖かった」と言うんです。ラブレターのような手紙を送りつけたものですから(笑)。今では職人さんと普通にLINEでやり取りしているのですから、「職人さん=アナログな人たち」という先入観はいけませんね。

ー実際に職人の方々と仕事をされるようになって、いちばん心を動かされたことは何でしたか。

職人さんの「生きざま」そのものです。彼らには、「ワークライフバランス」という発想がありません。扱うのが自然素材だからです。たとえば蚕(かいこ)は、急かしても糸をつくらない。漆も、「早く乾いて」と願えば乾くものではない。だから職人さんは、自然のリズムに合わせて生きるしかない。仕事と暮らしのバランスを取るのではなく、仕事が暮らしで、暮らしが仕事になっている。職業ではなく、生き方そのものとして職人をやっている。そのあり方に、私はずっと美しさを感じてきました。

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ショールームには、笠原さんが全国の工房を訪ね歩くなかで出会った職人さんたちの手仕事も並ぶ

出家を経てたどり着いた「51対49」の優先順位

ー2022年にはインドで出家されています。何がきっかけだったのでしょう。

先に出家していた先輩起業家(小野龍光氏)に誘われ、その師であるインド仏教の最高指導者(佐々井秀嶺氏)を訪ねたんです。10日間ほど共にお務めをするうち、ある日「袈裟を着てみないか」と言われました。浅草で着物をレンタルするくらいの軽い気持ちで応じたら、気づけば得度式が始まっていて…。流れに身を任せるまま、私自身も僧になっていた、というのが正直なところです。

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画像提供:塚原さん

ー起業家としての視点や、文化を扱う姿勢に、どんな変化がありましたか。

当時の私は、ふたつの時間軸のあいだで苦しんでいました。資本主義の速いリズムに身を置く一方で、自然のリズムで生きる職人さんと仕事をしている。会社が大きくなるほど経営者としての意識が前に出て、コストやスピードばかり考えてしまう。本当は職人さんの豊かさのためにモノをつくっていたはずが、いつのまにかお金のためにモノをつくり始めてしまう。それが、苦しかったんです。

その堂々めぐりに、出家を経てようやく整理がつきました。鍵は、“順番”です。お金をつくるためにモノをつくるのではなく、美しいモノをつくるためにお金を稼ぐ。今の日本で、資本主義を否定しても良いモノはつくれません。ただ、あくまで美しいものをつくるためにビジネスがあるのであって、決してその逆ではないのです。

社内ではよく「51対49」と言っています。ものづくりが51、ビジネスが49。わずか2の違いでも、天秤がどちらに傾いているか。その一点が、私にはとても大事なんです。この優先順位は、自分が“坊主経営者”だからこそ、定まった基準だと感じています。

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アウトプットは現代的に、技術は伝統のままに

ー実際に職人さんと向き合うなかで、課題に感じてきたことはありますか?。

すばらしい技術を持ちながら、その価値を世に正しく届けられない職人さんが、少なくないことです。そういう方ほど、子どもには家業を継いでほしくないと言う。稼ぐのが難しいうえに、本当につくりたいモノをつくれないからです。全力でこだわり抜けば、相場からかけ離れて売れない。相場に合わせれば、情熱の抜け落ちたものになる。結局、機械でもできることを手で再現する仕事しか残らず、面白さも誇りも持てない状況に陥ることがある。それが、伝統工芸をめぐる厳しさの一面です。

たとえば、ある職人さんがつくる5千円の器。その口の縁が、ほんのわずかに外へ反っているとします。反りをなくして平らにすれば、3千円で売られてしまう。流通の現場では、この2千円の差が「ムダ」として削られ、まっすぐな器に直されてしまうことがあります。

でも私から見れば、その削られた2千円にこそ、職人さんの個性や情熱が詰まっているんですよね。そうした切り捨てられがちなこだわりに、もう一度光を当てたい。その点、工芸を建築や空間に組み込む設計施工とは、好相性でした。うつわを一つ売るなら、こだわりはそのまま値段に跳ね返ります。けれど建築なら、物件全体の予算に収まれば大きな問題にならない。職人さんのこだわりを削らずに活かせるのです。

ー伝統的な工芸を現代的なかたちにアウトプットする。職人さんから、戸惑いの声はないのですか。

むしろ、頑固に職人としての流儀を貫く方ほど、受け入れてくださるんです。アウトプットの形態は新しくても、「あなたのこの手仕事を心からリスペクトしているからこそ、技術そのものを魅せる形にこだわりたい」と伝えるようにしています。

先日は、ある建築のアートパネルに、西陣織で最古とされる織りの技術を使いました。今では祇園祭の山鉾(やまぼこ)に使われるほどの貴重な技術を採用して、琵琶湖の水面を思わせる一枚に仕立てたんです。

実は西陣織は今、大半が機械化されています。着物が手の届く価格であり続けるために必要なこと。けれど、すべてが機械生産になれば、手仕事の技術が途絶えてしまう。だからこそKASASAGIでは、アウトプットは現代的でも、最も古い手仕事の領域を守ることに向き合っています。

おそらく「工芸品」と聞けば、多くの人は着物やうつわを思い浮かべますよね。でも、それは表に出たアウトプットにすぎません。私たちが大切にしているのは、職人さんの生きざまや、自然との向き合い方、素材と対話しながらかたちを生む、その哲学そのものなんです。

ーKASASAGIのプロジェクトに参加したことで、職人さんの経済的状況が変わった事例はありますか。

象徴的なのは、ある物流施設の意匠に、大阪の欄間技術を取り入れた事例です。欄間というのは、和室の天井と鴨居のあいだを飾る、透かし彫りの建具のこと。お願いしたのは、日本家屋が減って注文が先細り、苦しい時期を過ごしていた工房でした。その欄間の技術を、建築に繰り返し取り入れられる体制に整え、2年前から継続的に発注しています。KASASAGIの発注だけで、その工房の年商は一桁上がるほどになりました。その結果、この工房は事業を続けられ、若手の職人さんも雇えるようになったそうです。

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「組紐」から発想した、人形町のマンションプロジェクト

ー直近では、2027年に入居を開始する三井不動産レジデンシャルの分譲マンション「パークホームズ日本橋人形町三丁目」に参画されていますね。

エントランスホールのベンチや、エントランス前の空間を飾るアートを、日本橋にある龍工房さんの「組紐」でつくりました。組紐とは、絹糸を組み上げてつくる、帯締めなどに使われる伝統工芸。以前から一緒に仕事をしている工房でしたから、「住まいの形を、組紐を起点に考えませんか」と持ちかけました。

※参考記事:「人と人をつなぐ組紐の力。コラボレーションを通じて江戸の「粋」を進化させる「龍工房」」

こんな進め方ができたのは、計画段階からチームに合流できたからです。デベロッパーの担当者も設計士も、本当にオープンな方たちで、職人も交えて、ゼロから一緒に考えられました。普通、建築は建物の構想から始まり、素材は最後に決まります。でも今回は、その逆。組紐という素材を建物のインスピレーションにしたんです。

もっとも、組紐を住まいの設備に仕立てるのは簡単ではありませんでした。組紐は本来、やわらかく繊細なもの。ベンチにすれば、人がもたれるたびに、紐がたわんだり伸びたりしてしまいます。求められる強度をどう実現するか、設計士の方々とも何度も議論しました。

そうして行き着いたのが、組紐の芯を空洞にしてなかにパイプを通し、さらにワイヤーで引き締めるという構造です。見た目は美しい組紐のまま、もたれてもびくともしない強度を持たせました。デザインやそれを支える構造、現場での取り付けまで、皆でアイデアを出し合い、ようやくかたちにできたんです。たくさんの人の知恵が凝縮しているので、来年の竣工が楽しみですね。

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画像提供:KASASAGI

日本橋を拠点に描く、工芸の未来

ーすでに日本橋でもKASASAGIらしいコラボレーションが始まっているようですが、これからの展望を教えてください。

会社はこれからも大きくしていきたいですね。それが職人さんの誇り高い仕事を増やしていくことにつながると信じていますから。ただ、どれだけ大きくなっても、日本橋から出ることはないと思います。

ー その先に、思い描いている日本橋の景色はありますか。

いつか誰もが気軽に伝統工芸に触れられる、ひらかれた場所をつくりたいんです。たとえばソウルでは、街の中心に伝統工芸の美術館があります。けれど日本では、すばらしい施設ほど、なぜか街の外れにあることが多い。だから、人が自然と行き交うこの日本橋に、日本中の工芸を集めた場所があっていい。たとえば、ビル一棟まるごとぐらいのダイナミックな空間で、職人の手仕事に触れられる。そんな場所を、この街から生み出すことが目標です。

取材・文:皆本類 撮影:隼田大輔(幽玄舎)

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