Interview
2024.11.29

日本橋の魅力を伝えながら、大切な記録を残したい。町と共に歩む動画メディア「日本橋チャンネル」の視点

日本橋の魅力を伝えながら、大切な記録を残したい。町と共に歩む動画メディア「日本橋チャンネル」の視点

2024年末に開設3周年を迎えるYouTubeチャンネル「日本橋チャンネル」。動画コンテンツは日本橋の最新情報やイベントレポート、名店紹介、インタビューなど多岐に渡り、その全てが独自取材で構成されています。今回は番組の顔であるメインMCの池永亜美さん、英語コンテンツ担当のアリサさん、そして日本橋チャンネルのプロデューサー/映像制作会社スタジオギフトの照沼安崇さんに番組作りの裏側や、日本橋の人たちとの関わりについて伺いました。

日本橋のイメージが大きく変わった

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(左から)アリサさん、池永亜美さん、照沼安崇さん

―まず、日本橋チャンネルはどのような経緯でスタートしたのでしょうか?

照沼安崇さん(以下、照沼):2019年に日本橋の方から、町の魅力を外国人に伝えたいので何か映像コンテンツを作れないかという相談を受けたところから準備が始まりました。当時は東京オリンピックをきっかけに外国人観光客もたくさん見込まれていたということもあり、海外向けに日本橋を盛り上げていくのが狙いでした。ただ、僕自身も日本橋に知人はいたのですが町自体に携わったことがなく、この企画をきっかけに初めましてという感じでした。

しかしその後コロナ禍が到来しオリンピックは延期に。東京からインバウンドの姿も消えてしまい、この企画も中止かなと思っていました。でも町の方から「そもそも日本人にも日本橋の魅力はちゃんと伝わっていない、海外からのゲストが戻ってくるまでは日本人向けのコンテンツとしてやりましょう」と言っていただき、日本橋チャンネルの原型ができました。

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映像制作会社スタジオギフト代表取締役の照沼さん。日本橋チャンネルではプロデューサーを務める。

―そしてメインMCを池永さんが務めることになりますが、池永さんはどのようにこの番組に携わることになったのでしょうか?

池永亜美さん(以下、池永):ある日急に照沼さんから電話がかかってきて、番組の企画や構想についてお聞きし、「この番組のMCを任せたいと思ってる」と言われて「やります!」とすぐにお返事しました。ただ、私もそれまで日本橋という場所にはほぼご縁がなく、日本橋チャンネルをやることになって初めて町の歴史などを勉強しました。

―お二人は以前からのお知り合いなんですね。

照沼:彼女とは20年以上の付き合いで、何年かぶりに再会しては一緒に仕事する、というようなことが何回かあったんですが、困った時には彼女を頼るという感じ(笑)。でも日本橋で取材していると、地元の方々からこの町の魅力を引き出せるのは彼女しかいないなって思うんですよ。だから声を掛けました。

―確かに動画を拝見していると、池永さんの明るさや人懐っこいお人柄は日本橋の人たちとの相性バッチリですよね。

池永:番組のスタート当初は、「日本橋は大人っぽい町だから、池永らしさも大切だけどちょっと抑えて大人っぽく」なんてディレクターに言われたりもしたんです。でも10秒くらいで終わりました(笑)。

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番組メインMCの池永さん。ご本人曰く、「初対面の人でもグイグイいけちゃう性格は母親譲り」だそう。

―日本人向けに方針転換してからは、どんな内容や方向性にしようと考えましたか?

照沼:いつから配信スタートという設定もあったので、今あるもので作らなきゃという感じで、初期の頃はとにかく手探りで進めていきましたね。ただ、町の人と仲良くなって、一緒に作っていこうというのは大軸にありました。そこは大きく日本橋のイメージが変わった部分ですね。

―イメージが変わった、と言いますと?

照沼:元々はオフィス街で、敷居が高くて、庶民が近寄れないような場所を想像してたんです。でも実際に町の方々とお会いして話し始めてみたら5分もしないうちにイメージがガラリと変わりました。私と池永は2人とも九州出身で、日本橋なんて日本史の教科書に出てくる町という感覚だった。だから外様である自分たちは他所者だと思っていたんですけど、皆さんが「江戸は庶民文化の町だし、数百年遡ればみんなお上りさん」って言ってくださったんですよね。

そして僕が「日本橋ってどんな町ですか」って質問したら、「なんだか敷居が高いと思われているけど、本当は若者がバイトで稼いだなけなしのお金を握りしめて来たら、最高のデートをさせてやれる町なんだよ」って言われたんですよ。僕の中では日本橋ってそれなりに稼げるようになってからでないと楽しめる町じゃないというイメージだったのに、「2万円握りしめて来てくれたら最高の思いをさせてやる、ってことが伝わる番組を作ってほしい」と。これにはびっくりしました。

町の姿をアーカイブしておくメディアとしての重要性

―チャンネルの中にはニュース、イベント、名店紹介などいくつかのコンテンツのジャンルがありますが、取材対象はどのように選定しているのですか?

照沼:最初は本当に何もわからなかったので、日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会さんからイベントなど紹介いただいて取材に行くことが多かったです。

池永:途中からは、仲良くなった日本橋の町の方に「今度ある○○のイベント、来るんでしょ?」って言われて、内心では初耳ですけど!?と思いながら「い、行きます!」と返事して、取材させてもらうこともよくありました。町を歩いていると別のイベントのポスターを見かけたり、町の人たちから「今度こういうイベントやるから来てよ」と声を掛けてもらったりすることも増えてきましたね。

照沼:3年経ってスタート当時と大きく変わったのは、町の方から誘ってもらえるようになったことですね。町内会長さんからお電話をいただいて「今度うちのところでこういう催しがあるよ」って教えていただくとか。そんな時には「ああ、町の一員として認めてもらえたな」って嬉しくなります。

池永:最近では取材をしているといろんなところで「あ、日本橋チャンネルさん」って声を掛けてもらえることも本当に増えました。私はオリジナルの法被、スタッフも日本橋チャンネルのロゴ入りTシャツを着ているので、それで見つけてくださるみたいで。

照沼:名刺がわりに、二次元コードのついた千社札も作りました。すぐにYouTubeチャンネルを見てもらえるように。日本橋チャンネルの動画をどこから見たらいいかわからないという方も少なくないので。

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池永さんが着ている番組オリジナルの法被の毛筆は、書家である父・池永溪洲氏に依頼して書いてもらったもの。

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千社札を模した日本橋チャンネルのステッカー。二次元コードを読み込むとYouTubeチャンネルにアクセスできる。

―取材は何人くらいで行なってるんでしょうか?

池永:大体3人ですね。私とカメラマンとディレクターのことが多いです。ただ天王祭や山王祭のような大きなイベントでは全員体制で動きます。10人が3〜4の班に分かれて、レポートを収録するチーム、別のお神輿を追いかけるチーム、動画配信するチーム……という感じです。

照沼:そういう大掛かりな取材ができるようになったのもこの1年ほどですね。それまではイベント自体がコロナの影響でなかったので。今年は開催前の段階から町内会の方たちに取材させてもらって動画を公開して、お祭り当日も改めて取材させてもらうことができました。お祭りのクライマックスでは、こちらとしては大事な場面の邪魔をしちゃいけないと思って端っこの方から撮ってたんですが、池永を見つけた町内会の人が「こっちこっち! ここが一番よく撮れるところだから!」って優遇してくれたり(笑)。

池永:「私ここにいて大丈夫なんですか?」って訊いても「誰々さんがいいって言ってるんだからいいんだよ!」ってね。他にも「ここにいれば向こうからお神輿が来るよ」と教えてくださったり、お神輿の担ぎ手の方々への差し入れを私もいただいちゃったり。本当に日本橋の人って、一度身内と認めてくれたらどこまでも温かくて、なんでも話してくれるし、家族みたいに迎えてくれるんです。

照沼:その分、プレッシャーも大きいですね。今年の天王祭は107年ぶりにお神輿が日本橋を渡るという瞬間を一番いい場所で撮らせてもらった以上、どこよりも最高の記録にしなくちゃいけないという気持ちも自然と湧き上がってきます。すごい映像財産ですから。

日本橋チャンネルには町の魅力を発信して人を呼び込む目的ももちろんありますが、記録映像のプラットフォームという意味合いも日に日に増してきていると感じます。そういった思いを深めるきっかけの一つが、視聴者からのコメントでした。学生時代を日本橋で過ごしたという方が、日本橋チャンネルが今後取り壊し予定の建物を取材した動画をご覧になって「思い出の場所がなくなるのは寂しいけど、こうやって映像に残っていて嬉しいです」というコメントを下さったんですね。その時に、メディアとして変わっていく町の姿を残していかなきゃいけないなって思いを新たにしました。

「日本橋を知れたからこそ」インバウンド向けの日本橋紹介コーナースタート

―そして最近、インバウンド向けの新コーナー「アリサのWhy don’t you try?」がスタートしましたが、これは日本橋チャンネルとしては出発点に立ち返った企画ということなんですね。

照沼:そうですね。コロナ禍前と比べても100%に近いくらい海外からの観光客が日本に戻ってきたので、「日本橋にインバウンドをどう誘致するか」という当初の課題に取り組もうということでスタートしました。でも「Why don’t you try?」はこの3年間で日本橋にしっかり携わらせてもらった上で始めたからこそ、この形にしようと思ったので、3年という時間はとても大事な準備期間だったような気がしています。3年前だったら、ただ英語でナレーションを入れて観光名所を紹介するだけのよくあるビデオを作っていたと思うんです。でも今は、ここに暮らしている人や商売をしている人と触れ合ってほしいなっていう思いが我々制作サイドに強くあって、コーナー名も「Why don’t you try?(やらなきゃもったいないよ)」というちょっと挑戦的なフレーズになっています。

―そんな新コーナーの担当にアリサさんが抜擢された経緯は?

アリサさん:私が事務所に所属する話を進めている時にちょうど照沼さんから連絡があり、日本橋チャンネルで英語コンテンツの企画があるんだけど興味ある?というお話をいただきました。私自身、外国の方と交流したい、海外に行きたいという気持ちを常に持っているので、せっかくそういうチャンスがあるならということで、その場でやりたいと即答しました。

照沼:台本を作ってナレーターさんに読んでもらうという作り方もありますが、このコーナーに関しては日本橋を好きになって突撃していくというキャラクターにしていきたかったので、英語が話せて明るい子にやってもらいたいということで、アリサにお願いしました。

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ブラジルと日本にルーツを持つアリサさん。実は英語よりポルトガル語の方が得意だが、世界共通言語である英語も独学でマスターした。

―「Why don’t you try?」は映像のトーンも他の動画シリーズとはちょっと異なりますよね。

照沼:これは海外の視聴者の受けを狙って、外国映画っぽく見せるためそういう色合いに調整しています。色合いだけじゃなくライティングや衣装、メイクなんかの事前準備もかなりこだわっていて、他のコーナーの担当者には怒られちゃいますけど(笑)、アリサのコーナーが一番準備に力が入っていますね。彼女はミックスルーツですがルックスは日本人寄りなので、メイクや髪型も日本を意識したものにして、日本の女の子が一生懸命説明してくれるというような演出にしています。

―では最後に、今後日本橋チャンネルでやりたいこと、挑戦したいことをお聞かせください。

照沼:取材したいところは山ほどあります。3年やってもまだ1〜2%しか取材できてないんじゃないかってくらい日本橋には魅力的な場所やものがたくさんありますから。

池永:日本銀行本店とか行ってみたいですね。

照沼:滅多に開かないという三井住友銀行の地下にある巨大金庫も、機会があれば入ってみたいです。あと首都高の工事はフェーズごとに取材して、しっかり撮りたいと思っています。

池永:日本橋チャンネルにとっての初コラボが首都高チャンネルさんだったんですよね。首都高側のお話も聞けましたし、首都高を歩いてみるという普段はできない経験もさせていただきました。「地下を掘り続けているから、何も変化がないように見える作業をしている時間が一番長いんだよ」というお話がすごく面白くて。

照沼:撮影している隣のレーンは普通に車が通行しているので、大型トラックが結構なスピードでビュンビュン走ってて、撮影しながらもすごく怖いし、早く帰りたいなと思いましたけど(笑)。日本橋の上の高速道路がなくなることをまだ知らない人も多いじゃないですか(※首都高の日本橋区間は2040年度完成を目指して地下化・高架の撤去が進められている)。そういうことをコラボを通じて日本橋チャンネルの視聴者に届けられたのはよかったですね。これからも最新情報を追いかけていきたいです。

取材・文:中嶋友理 撮影:川島悠輝

cropped-日本橋もの繋ぎロゴ

日本橋もの繋ぎプロジェクト

YouTubeチャンネルとして始まった時期も近いし、取り上げているテーマも似ているので取材に行くとちょくちょくニアミスもするんですよ。山本海苔の貴大社長ともよくお会いするし話すんですけど、番組としてコラボしたことはないので、ぜひ一度コラボしたいです(池永)

日本橋三越本店 屋上庭園

気持ちがいい場所なんですよね。みんなが撮影している間にちょっと休憩、って言って三越さんの屋上で一息ついています。日本橋で働いている方にも、三越さんの屋上で偶然会ったりして。みんなの憩いの場です(照沼)

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