Interview
2021.01.13

SFC出身の起業家が惚れ込んだ、食文化の聖地・日本橋。「歴史とストーリーを感じる家庭料理」を味わってほしい。

SFC出身の起業家が惚れ込んだ、食文化の聖地・日本橋。「歴史とストーリーを感じる家庭料理」を味わってほしい。

日本橋室町エリアの隠れ家的なレストラン、「食の會日本橋」。2019年8月にオープンしたこのお店を切り盛りするのが、元ミス慶應SFCの経歴を持つ食文化研究家/起業家、長内あや愛(おさない・あやめ)さんです。弱冠14歳でスウィーツのブログを始め、大学ではサークル「食の会」も立ち上げるなどバイタリティ溢れる長内さんの現在の主な活動は、明治時代の家庭料理を再解釈し、研究・復刻すること。お料理への熱いこだわりや、「食文化の聖地」として憧れていたという日本橋について、語っていただきました。

「最高で最上級の家庭料理」を目指して

――まず、「食の會」がどんなお店なのか、簡単にご紹介いただいてもよろしいでしょうか。

日本の食文化史実の中で、もっとも大きな変化が起きたのが明治時代。人々がさまざまな食材を楽しむようになってきたのはもちろん、「家庭料理」の概念そのものが誕生したのも明治時代だったんです。「食の會」ではその当時のレシピや調理方法を専門的に研究し、再現する形でお客様に提供しています。最近は、お昼はナポリタンやハヤシライスなどの洋食を、夜は日本酒に合うような和食を、一言でいえば「最高で最上級の家庭料理」を目指して営業しています。ご来店された方にはそういった時代背景、ストーリーを感じていただきながら復刻再現のお料理を楽しんでほしいと思っています。

―若干23歳でお店を持った長内さんですが、「いつか自分のお店を持ちたい」という夢は早くからから持たれていたのでしょうか?

14歳の頃からスウィーツに関するブログを続けていたりもするので、食への関心は昔から高いのですが、はじめは「お店を持ちたい!」という明確な意思はなくて、「自分が食べてみたいから作る」といった衝動が先でしたね(笑)。私はずっと「食文化に精通した人になりたい」という想いがあって、そのためには食関連の企業への就職や料理人になる道もあったと思います。でも、心のどこかでは「自分の力でまだ誰もやってこなかった新たな仕事を作って、お客様に食べていただきたい」と、漠然とではありますが考えていました。

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お話を伺った長内あや愛さん。長内さんのブログ「14才のパティシエ」は現在も更新中。オンラインショップではオリジナルの焼き菓子や和菓子も購入できる

―慶應義塾大学の在学中に立ち上げたサークル「食の会」の活動と、お店との関係性を教えていただけますか。

大学(慶應SFC)のキャンパスが都内から遠い場所にあったので、ひとり暮らしで自炊が不安だという学生を集めて料理を教え合ったり、月2回みんなで集まってごはんを食べたり……といった活動がサークルの始まりでした。このサークルは大学2年のときに立ち上げて今も続いているんですけど、私が学部卒業のタイミングで起業することになったので、「この食を探求する活動を忘れずに、ずっと食べ物と関わっていたい」との気持ちを込めて、屋号をサークルと同じ「食の會」と名付けました。お店をオープンしたのは、大学院修士課程に入学して最初の夏でしたね。立ち上げのメンバーやアルバイトスタッフとして、サークルの後輩たちも参加してくれているんですよ。

―美味しい料理を食べられて、バイトもできるなんて最高のサークルですね。

そうかもしれないですね(笑)。それに日本橋はいろんな会社や企業があるので、実は学生が就職活動をする上でも利便性の高い場所なんです。OB訪問や面接の合間に後輩たちがこの場所を活動拠点として使ってくれることもあって、そういうフラッと立ち寄れる場になっているのは嬉しいなと思います。

―日本橋という立地を選ばれた理由は?

もともと日本橋には「日本の食文化の聖地」としての憧れがあったんですけど、この場所と出会えたのは本当に運命の巡り合わせです。偶然、ここのテナントで飲食店ができる人を探している……という情報を知人から聞きまして、入居することになりました。何世代も続く老舗や名店が多い中、この地で新たなお店を出すということは大きなチャレンジですが、思いきって飛び込んでみたんです。

―学生時代から日本橋にはよく訪れていたとか。

はい。これも偶然なのですが、ゼミの勉強会の開催場所が日本橋だったので、毎週のように通っていました。それと、早くに亡くなった祖母が水天宮のあたりの出身で、日本橋がどれほど素晴らしい場所かということを、幼い頃から母伝いによく聞いてましたね。ですから、この街には勝手にご縁を感じています。

福沢諭吉が食べたものを、自分も食べてみたい

―「食の會」で提供される復刻料理は、どのように始まったのでしょうか?

もともとは食文化史実において食べられていたお料理を、自分でも食べてみたい――という私の欲求から始めたもので、当時のお料理をできるだけ忠実に復刻・再現することを大切にしています。福沢諭吉、北大路魯山人、渋沢栄一といった偉人たちが食べたもの、愛したものがどんな食べ物だったのか?それを知りたいし、そのストーリーを頭でも舌でも味わいたい。そんな欲求から過去のレシピを紐解いたり、大学で研究を重ねた成果として誕生したメニューを、お客様にも提供しています。

―その「欲求」をスタート地点に、具体的にはどんなことを研究するのでしょうか?

たとえば本日ご用意したお料理の一部は、1880年代の『時事新報』(明治15年に福沢諭吉が創刊した新聞)の家庭欄に掲載されていたレシピを再現したものです。『時事新報』は日本で初めて家庭欄を作った新聞で、日本の家庭料理/食文化を変えた大きな一歩になった新聞。私の研究でもたびたび参考にしている、思い入れの深い媒体です。『時事新報』がレシピを掲載されていたのって、わずか半年程度だったんですが、その間で世間に与えた影響力は相当のものだったようで、その後様々な新聞や料理本に派生していきました。ただ、今みたいに写真が載っているわけではないので、実際にメニューとして再現する時は同時代に刊行されていた料理書の絵をヒントに組み合わせたりして……。言葉遣いも全然違うので、まず文章を読み解くのが大変ですね(笑)。ただ、研究をする環境という意味では、慶應は福沢諭吉ゆかりの大学なので資料が充実していて助かっています。

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長内さんの要約によると「奥さんが毎日献立を考えるのって大変だから、ここを見れば毎日のレシピに困ることはないですよ」ということが書かれている

―大学でのメニュー開発から、実際に「食の會」で提供されるまでのプロセスを教えてください。

まずは、「この御膳を作ってみたい!」と思ったときに、先ほどの『時事新報』などを読み漁ります。そこからメニューを決めていって、当時の料理書を国立国会図書館で参照したり、各自治体に頼んで昔の農業関係の取引履歴などを見せてもらったり。味付けに関しても、お塩、醤油、味噌とかの分量だって今とは全然違うんですよ。昔のお塩は今より塩分濃度が高かったから、今の時代に合わせるならこれぐらいかな?と一つひとつ紐解いていくので、すごく手間暇のかかる作業ですね。

―長内さんの周りには、やはり料理に対する情熱を持った方が集まるのでしょうか?

大学の後輩には、私と似たような関心やマインドを持っている女性が多いですね。それぞれ自分のテーマで研究をしてはいますが、家庭料理の歴史を紐解くと、女性の家事を進化させる……つまり、「女性の地位向上」という文脈とも密接に繋がってきます。生まれてきた時代は違うけれど、当事者として女性たちが特に気になるテーマなのかもしれません。家庭料理って身近なものであると同時に、知れば知るほど奥深い世界。私も、生涯をかけて研究していかなきゃいけないなって感じています。

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店内の本棚には、長内さん私物の参考文献がずらり

―では、初めて食の會を訪れる方におすすめのメニューを教えていただけますか。

1860年の「桜田門外の変」のきっかけになったのではないかとも言われている(※)、「牛肉の味噌漬け」ですね。「食い物の恨みは恐ろしい」ということわざもありますが、美味しすぎて国を揺るがす大事件を引き起こした逸品です。彦根藩と将軍家の攻防のストーリーを思い浮かべながら、お酒と共に味わってほしいですね。ちなみに今回お出しした御膳にはビールを合わせてみたのですが、ここにもひとつ歴史的なエピソードがありまして。ビールの原料の「ホップ」はハーブの一種でもあるので、明治時代には健康飲料として薬局で売られていたんです。つまり食べ物の栄養を補助する役割をビールが担っていたということで、まさに食事に合わせるお酒としての原点がこのあたりにあったのかもしれません。

また日本酒であれば、冬は熱燗も相性が良いと思います。これは余談ですが、原液のまま温められるお酒って世界中で日本酒しかないんですよ!それに、温度の変化で味が変わるのも魅力で、お肉との相性も最高ですしね。日本酒は「寒造り」といって冬に醸造することが多いので、今の時期は絞りたての旬な日本酒を味わいに来ていただくのもおすすめです。

(※彦根藩と水戸藩の関係が悪くなったのは、井伊直弼が徳川斉昭から頼まれた牛肉の味噌漬けを贈らなかったから…という説がある)

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会話中にも登場した「牛肉の味噌漬け」を含む和食御膳。日本酒はもちろん、ビールとの相性も◎

―日本酒やワインとのペアリングにもこだわりを感じます。お酒はどんな観点で選ばれていますか?

日本酒はお料理との相性を第一に選んではいますが、日本酒のストーリーも楽しんでいただきたいと思っています。私は全国の酒蔵さんを訪れたり、酒蔵の当主の方にお会いしてお話するのが好きで、そのために唎酒師(ききさけし)の資格を取得しました。酒蔵さんのお酒はどれも本当に美味しいんですが、杜氏(とうじ)の方にあえて「蔵の中で一番好きな日本酒と、一番好きなおつまみ」を伺って、お店でのメニューの参考にしてみたり…(笑)。先日も、長野県・佐久市まで「蔵人体験」に行ってきまして、実際にお米を洗ったり、調合をやらせていただきました。日本酒は47都道府県各地の特色が出るし、すごく歴史が深いんですよね。いわゆるペアリングのセオリーも頭に入れつつ、「この香川のお酒は香川産の野菜と合わせてみよう」とか、地域の繋がりも重要視しています。私自身もお酒が大好きなので、日々いろんなお酒を飲んで勉強中です。

夢は日本橋魚河岸と現代のコラボレーション!?

―コロナの影響で大変な開業1年目だったと思われますが、これまでで特に印象的だった出来事はありますか?

4月から6月まで休業していたんですが、その後営業再開したときにたくさんのお客様が来店してくださったことですね。自粛前はおもに、日本橋にオフィスがある方たちがランチを食べにいらっしゃることが多かったのですが、再開後は近隣にお住まいの方々も来てくださって、「支援するよ!」と……。私は日本橋では新参者ですし、ただでさえ室町は飲食店の激戦区でもありますから、「忘れられてしまったんじゃないか」「お客様がもう来てくれないのでは?」と不安だったんです。でも、ちゃんと憶えてくださる方がこんなにいたんだ!と驚きましたし、とても励みにもなりました。

―日本橋は新しく来た人に対してもオープンな気風があると皆さんおっしゃいますね。お客様だけでなく、老舗の飲食店との交流やコラボの可能性もあるのではないでしょうか?

日本の食文化を守り続けてきた歴史と伝統の重み……というものを日本橋に来てから日々痛感しています。創業100年を超えるような老舗のトップの方たちってメディアへの露出も多くて、この地域の「顔」になっていると思うんですね。その方たちが街を歩いているのを見かけると、私にとってはもう、芸能人に遭遇したのと同じくらいの興奮で(笑)。老舗の方々がこのお店に来てくださったこともあるんですけど、「コラボレーションしたい」というのはまだまだ先の夢で、恐れ多いというか……たぶん、お婆ちゃんになっても無理です(笑)。今はとにかく新参者として腕を磨いて、日本橋の歴史と伝統の末席に入れていただけるよう精進したいと考えています。

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―最後に、日本橋で長内さんが自身の研究をもとにチャレンジしてみたいことは何ですか?

「食の會」のすぐ近くにも日本橋魚河岸記念碑が立っているんですが、豊洲市場や築地市場のルーツって、江戸時代の日本橋魚河岸なんですよね。その歴史に敬意を表して、魚河岸時代からずっと続いている老舗と、築地時代から活躍している問屋さんや魚屋さん、そして豊洲市場から新たに始まったお店など、3つの時代にまたがった食材を使ったお料理やおつまみを作ってみたいです。日本橋魚河岸で作られていた乾き物や鮭とばと、数百年続く酒蔵さんの日本酒を合わせたら……夢は広がるばかりです!

取材・文 : 上野功平(Konel) 撮影 : 岡村大輔

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