Interview
2020.11.16

日本橋の広報役として周りをどんどん巻き込みたい。 グッズ展開に SNS 開設、老舗の弁当屋が新しい試みを続ける理由とは?

日本橋の広報役として周りをどんどん巻き込みたい。 グッズ展開に SNS 開設、老舗の弁当屋が新しい試みを続ける理由とは?

現存する中では日本最古の弁当屋「日本橋 弁松総本店」。老舗としての味や伝統を守りつつ、時代に合わせた施策を次々と繰り出すのは八代目・樋口純一さん。中でも、2020年 2 月に開設した Twitter はリアルで親しみやすい投稿が人気を呼び、フォロワーは半年で1万人超えました。創業 170 周年を迎える弁松の歴史と、楽しい施策が生まれる舞台裏、日本橋への想いなどについてお聞きしました。

「弁松」の弁当のはじまりは、忙しい魚河岸の若い衆への心遣い

―まずは弁松さんの創業から現在までの歩みを教えてください。

日本橋弁松総本店は 1810 年に、樋口屋という小さな食堂から始まりました。初代の樋口与一はもともと新潟の出身なのですが、妻の家系が日本橋に土地を持っていたためこの辺りで商売をするようになったそうです。昔は日本橋に魚河岸があったので、そこで働く人向けに食事を出しており、「樋口屋の定食は盛りが良く、コスパがいい」と評判だったと伝え聞いています。ただ、魚河岸で働く若い衆というのは、魚を早く売り切らなくてはいけないので、時間がなくてゆっくり食事などしていられなかった。だから、せっかく大盛りを出しても食べ切れずに残して帰ってしまうんですね。これを見た初代がもったいないと感じて、竹の皮や経木に残ったご飯やおかずをくるんで持たせてあげたところ、そのサービスがすごく評判になったんです。そのうち、お客さんから「最初から全部持ち帰り用で作ってくれ」という要望が出てくるようになった。それが我々のお弁当の原型になっていると言われています。

―屋号が「樋口屋」から「弁松」となったのは、どんないきさつからでしょうか?

樋口屋として三代目まで続いたのですが、その頃にはもう持ち帰り弁当の需要の方が圧倒的に多くなっていたようです。樋口屋=食事処ではなく、弁当屋という認識がお客さんにすっかり浸透していて、三代目は界隈で「弁当屋の松次郎」というあだ名で呼ばれるくらいでした。そして 1850 年に、三代目が「もう店内での飲食提供はやめて、弁当だけにしよう」と決断し、業態が食事処から弁当屋に変わりました。その時に屋号も樋口屋から「弁当屋の松次郎」を略して「弁松」に変わったということです。

その後、関東大震災や空襲の被害も乗り越え、高度経済成長期には日本橋三越さんにも出店させていただき、少しずつ拡大しながら現在まで営業してきました。

―弁松のお弁当の味は、長い歴史の中でもあまり変わっていないと聞きました。これぞ弁松の弁当、という特徴を教えてください。

一番特徴的なのは、煮物じゃないかと思います。弁松では「甘煮(うまに)」と呼んでいて、里芋の煮物が代表的です。里芋の上に砂糖と醤油をばーっと入れて鍋で煮るんですが、途中でさらに2 回砂糖と醤油を足します。これを2 時間以上かけて煮詰めるので、本当に味が濃い。ちなみに昔はもっと味が濃かったと言われることもあって、以前大正末期の生まれのお客さんがお店にいらした時、「今の煮物は箸で持ち上げると里芋の煮汁がとろーっと垂れるくらいだけど、昔は煮汁が落ちきらずに途中でつららのように止まっていた」とおっしゃっていました(笑)。それくらい濃いというのが、みなさんが弁松の煮物に持たれるイメージのようです。好き嫌いは分かれるようで、薄味が好まれる地域などでは苦手だという方もいらっしゃいますね。でもこの濃さこそが弁松の味なので、そこは守りながら作っています。その他の具材では玉子焼、生姜の辛煮、めかじきの照焼などが定番です。

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弁松の定番の一つ「並六」。昔と変わらず経木の箱入り

―次に八代目である樋口さんについてお聞かせください。ご自身はどのように弁松と関わることに?

まず大学を出て 2 年間、新潟で伯父が社長をやっている小さな料亭で修行をさせてもらいました。もともと弁松に入社するつもりではあったのですが、大学を卒業してすぐではなく、少し外の空気を吸って客観的な視点も持った上で入りたいという考えからの選択でしたね。

そして修行を終え、父である先代社長のもとで働くことになったのですが、まもなく先代が亡くなってしまい、僕が急遽社長を継ぐことになりました。床掃除や洗い物からスタートし、少しずつ調理を教わるようになってきた矢先でした。本来ならいろいろな仕事を一通りやってから社長に就任するのが理想だったにも拘わらず、その過程を飛び越していきなり社長になってしまいました。なので、僕は弁松の弁当をすべて調理できるわけではありません。実は何年か前に、やっぱり自分でも作れた方が良いと思って再度チャレンジしてみたのですが、どうしても手際が悪く職人たちのようにはいかないものですから、厨房の雰囲気が悪くなってしまうんですよね(笑)。なので習得に時間のかかる調理は一旦あきらめて、僕は社長業に専念しながら、忙しいときだけ現場を手伝うなど、調理場からは一歩引いたスタンスを取るようにしています。

Twitter はお客さんに弁松のことを伝え、自分たちの「芸を見せる場」

―今年は 170 周年ということで、さまざまな取り組みをされていらっしゃいますね。

そうですね。節目の年だったので、年初に「毎月なにか一つ、今までやっていなかったことをやろう」という個人的な目標を立てていました。ところが 2 月頃からコロナの流行が始まり、例年受けている卒業式関係のお弁当注文のキャンセルが相次ぐようになって、だんだんと不安を感じてきて。お客さんにもっと弁松のことを伝達できるツールが必要だと感じる中、前から立ち上げたいと思っていた会社の公式 Twitter アカウントを開設することにしました。それが 2 月の「毎月何かやろう」の実施項目にもなったわけです。Twitter では弁松のいろいろな取り組みを発信しています。

―その公式 Twitter アカウントは現在フォロワー1 万人を超えています。どのような方針で運営しているのですか?

始めるにあたっては、まず老舗の SNS アカウントをチェックしてみたのですが、作り手の顔が見えない、真面目すぎるアカウントが多い気がしたんですよね・・・。写真はすごくきれいだけど文章は商品の宣伝がほとんどで、読んでいておもしろいとは思えなかった。そこから「うちはもっと弁当屋としての内幕を見せて、リアルで親しみやすい投稿をしていこう」という運営の方向性を固めました。

お弁当

弁松の公式 Twitter より。調理風景などお店の内側の様子を公開している

―たしかに、弁松さんの Twitter は人間味のある生き生きした投稿が多いです。

弁松のアカウントは会社の業務として時間をかけてやっているものなので、営業に結びつかないと意味がない。個人の趣味アカウントとは違い、根底には“商売”があります。最終的には見ている人に何かを売るためにやっているんです。

でも、それを前面に出すのですのでは、やっぱり面白くなくなってしまう。だからうちが意識しているのは、まず自分たちの芸を見せること。まかないメニューも、調理シーンも、イベントの告知も、コラボで手拭いを作ってみるのも、お店とつながりのある方々に登場していただくもの、全部芸のうちだと思っています。それを見た人が、おもしろかったらおひねりとして「いいね」を押してくれたり、お弁当を買いに来てくれる、そういう流れにしたいのです。先日、ある人が、「弁松さんのアカウントって、だんだん弁松サーカスみたいになってきましたね」っておっしゃったんですよ。その評価こそ、僕が目指しているものです。見世物小屋と言っても良いかもしれません。業が深そうな芸人を集めて(笑)、ちょっと陰のある芸をどんどん見せたいです。

とはいえ最初は勝手がわからず、日本橋関係や落語・歌舞伎関係のアカウントをこちらからフォローしたり「いいね」したりしてポツポツとフォロワーが増える、くらいでした。フォロワー獲得の追い風になってくれたのは、糸井重里さん。糸井さんはもともとうちでよく買っていただいていたお得意さんでもあり、取材も何回かしていただいたことがあるんです。糸井さんが弁松のつぶやきを気に入ってリツイートしてくれたことで一気にフォロワーが 4 桁になって、そこからどんどん増えていきましたね。

―フォロワーとのコミュニケーションも見ていて楽しいですが、見ている方からのリアクションを受けて弁松さんが取り入れたことなどはあるのでしょうか?

たとえば「まかない動画」がシリーズ化したのは、思いのほかフォロワーからのリアクションが良かったからです。最初は「ネタがないので今日はちょっとこれを載せてみるか」くらいのつもりでアップしましたが、今では毎日投稿する人気ネタの一つになりました。まかないの調理担当の中にも、Twitter でのリアクションを気にしている者もいて、自分が作ったまかないの動画に対して「いいね」がたくさんつくと喜んで張り切ったりしています。「いいね」の数で給料が増えることはありませんけどね(笑)。

―コロナ渦で外食産業は大変な時期かと思いますが、弁松さんの前向きでアイディア満載のつぶやきは、周囲に元気を与えているように感じます。

うちはテイクアウトのみなので、打撃を受けている外食産業の中でも比較的手の打ちようがあって、最近(※取材は 2020 年 10 月上旬)ではデパート店舗などの売り上げも一部を除いて前年並みに戻りつつあるんです。とはいえ、今の状況が冬以降も続いてしまったら楽観視はできませんが・・・。ともあれ、コロナの感染拡大が始まってから、弁松にとって Twitter は非常に救いになりました。

コロナと言えば余談ですが、歌舞伎座の前にあった「辨松」というお弁当屋さんが先日閉店して話題になりました。うちはあちらのお店とは無関係にも拘わらず、よく間違えられてまして。弁松が閉店したと思っている方や、うちを「辨松」さんだと思ってお弁当を買っていかれる方など、いろいろな勘違いをされましたね(笑)

同じ店名を名乗る者同士、過去には多少の諍いもあったのですが、最終日には私もお弁当を買う長蛇の列に並び、その日の夜に弁松の Twitter に「辨松」のお弁当の画像と、お疲れ様でしたの意味をこめて敬礼のような絵文字を載せました。そうしたらあちらの社長からコメントがありまして。「雨の中ありがとうございました。これからも『べんまつ』の名前をよろしくお願いします」って書いてあるから、改まってそんなこと言っちゃって・・・なんて思いつつ(笑)、さすがにちょっと寂しかったですね。

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八代目店主、樋口純一さん。毎日明け方の工場に顔を出し、現場の声にも耳を傾ける

目指すは日本橋の広報部長

―弁松さんは日本橋の街の情報もたくさん紹介されていますよね。

それは日本橋全体を盛り上げていきたいからです。おもしろいネタがたくさんある場所なんですよ、日本橋は。お店だけじゃなく、もっとみんなに知ってもらいたい面白い人もたくさんいるのに、老舗の SNS アカウントは大人しくて、僕からするとちょっと物足りない。だから弁松が代わりにやってます(笑)。

パフェ

弁松公式 Twitter より。弁松以外のお店のおすすめ情報もたくさん発信

―まさに日本橋の SNS 広報部長ですね!

やっていて嬉しかったのは、今まで日本橋に来たことがないフォロワーの方が、弁松のアカウントを通じて日本橋という街自体に興味を持ちはじめているということです。うちが紹介したと黒江屋さん(漆器専門店)、江戸屋さん(刷毛・ブラシ専門店)の情報や、住庄ほてるさん(ホテル)と弁松とのTwitter上でのやり取りを見て、日本橋に行ってみたくなったという方がけっこういらっしゃるみたいで。実際、黒江屋さんの若旦那は「コロナ渦で開催した割には漆器市にお客さんが入った」と言っていましたし、ほかにも弁松のTwitterで紹介されていたのを見て来たとお客さんに言われたというお店もあります。こうして日本橋の内側のつながりを見せることで、間接的にでも日本橋という街自体への集客と・アピールになってたらいいなと思います。Twitterを通じてどんどん周りを巻き込みたいですね。

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オリジナルグッズのエコバッグと手拭いは通販で購入可能

―今後挑戦したいことやコラボしてみたいお相手はいますか?

今年、戸田屋さん(手拭いの老舗)や浜町高虎さん(半纏や袋物などの染元)とコラボして手拭いやエコバッグといったグッズを作ったら予想以上に好評をいただいて。また年末に新作を出す予定です。そんな風に、うちと関わりのある老舗とコラボしてグッズをもっと作ってみたいなと考えています。

それともう一つ、最近お惣菜を日本全国クール便でお届けするという試みを始めています。コロナの影響でなかなか東京まで来られないという遠方のお客さんには非常に喜んでいただきました。ただ、生の状態でクール便でお届けすると、どうしても味と食感が店頭でお渡しするものに比べると劣ってしまうので、真空パックや冷凍などでもっと味と鮮度を保ってお届けする方法がないものだろうかと考えているところです。

―これからの季節に向けての一押し商品はありますか?

おせちをよろしくお願いします!いつもの弁松のお弁当がおせちみたいなものなので、年の始まりを弁松の濃ゆいおせちで迎えるのはいかがでしょうか。きっと濃ゆい一年になりますよ(笑)。

取材・文:中嶋友理 撮影:岡村大輔

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