Interview
2022.08.18

魅力的な“ネイバーフッド”で豊かな街へ。多様性の街・日本橋でSOILがやりたいこと。

魅力的な“ネイバーフッド”で豊かな街へ。多様性の街・日本橋でSOILがやりたいこと。

日本橋小舟町の堀留児童公園に隣接した築38年のオフィスビルを一棟リノベーションし、都市とローカル(地域)で活動する人の拠点となっている「SOIL Nihonbashi」。2021年1月の開業以来、1階部分のカフェベーカリー「Parklet」は連日賑わい、2階以上も個性豊かな事業者が集まるコーポラティブオフィスとなっています。「SOIL Nihonbashi」(以下、SOIL)がなぜこの場に生まれたのか、公園の隣という立地ではどんな交流がされているのか、同施設を企画・運営されている株式会社Staple(以下、Staple)の代表・岡雄大さんにお話を伺いました。

交流や空気感も含めた良い“ネイバーフッド”をつくりたい

ーまずは岡さんの生い立ちとご経歴を教えてください。

岡山の母の実家で生まれ、幼少期を東京で過ごした後、両親とアメリカ・コネチカット州に渡り、11歳まではアメリカで過ごしました。その後帰国し日本の学校に通い始めましたが、教室の意見を一つにまとめるような日本の文化と、それまでアメリカで当たり前に感じていた多様性を認める文化との違いに戸惑いを感じていました。でも馴染まないといけないから、一生懸命いわゆる日本的なカルチャーに自分を合わせようとチューニングして、その葛藤は大学時代まで続きました。

でも、大学の長期休みではさまざまな国に旅行するようになってから、旅の間はアメリカで経験してきたような多様性を自然と感じられることに気づいたんです。自分が自分らしく生きる上で、「旅」というものがとても必要なものだとわかりました。この気づきが転機となり、旅に関わり続けたいと思うようになりました。
なので、大学を卒業してからは金融業界に入り、旅に不可欠なホテル開発をする企業や企画に投資する仕事に6年間携わりました。ただ投資目的となると、お金を生み出すための大規模な仕事がメインになってきます。規模が大きくなればなるほど、どうしてもヒューマンスケールを超えてしまい、作り手の温度感や人間同士の距離感を感じにくくなってしまう。それは自分が関わりたいと思っていた多様性のある旅とは少し違うと感じ、別の形を考えるようになりました。

ー別の形の「旅」はどんなものだったのでしょう?

自分が携わることができる“マイクロ”な規模で、かつ自分が好きになった場所での “旅”です。
トリップアドバイザーなどのサービスが充実していない頃の旅って、どこに行っても自分の嗅覚で行きたいところを探すのが醍醐味で、唯一無二の場所と出会える楽しさがありましたよね? 一方で今主流となっている旅のしかたって、便利ではあるけれど、人間らしい感覚的なものとは違うなと感じていて。
僕は自分が好きになった場所のことを、空気感や人も含めて“ネイバーフッド”と呼んでいるのですが、このネイバーフッドにこだわった場づくりをしていきたいんです。

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ー“ネイバーフッド”を単位に旅先や場所を捉えるのですね。

ホテルを作ることも旅に誘うためには大事ですが、ホテル単発だと旅の動機付けにはなりづらく、そのエリアに魅力があることの方が旅に出たいと思わせることが多い。さらに言うと、例えば東京ドーム何個分みたいな街を代表するような大きな施設よりも、街中の5席しかないワインバーが作り出す空気感の方が「この街良いな」と印象に残ったり。そういうその場所にいる人のぬくもりや、繋がりも含めた小さな単位での“ネイバーフッド”をプロデュースできたらなと。
ライフラインや生活の充実度を上げるための開発を手掛ける事業者を「デベロッパー」と呼びますが、僕らは人の温もりや繋がりがより伝わるような開発をしていく「ソフトデベロッパー」だと自称しています。
より多様なネイバーフッドを作ることができれば、住む場所も一つでなく、自分の肌に合うところを二つ、三つ選択しながら、まるで旅をするように生活ができるようになり、より面白く、世の中の幸福度も上がるんじゃないかな、と思っているんです。

関係人口を増やすことで、地方の魅力を拡大

―SOILが広島県・瀬戸田と日本橋の2ヶ所を拠点にしているのもそういった思いからなのでしょうか。

瀬戸田の拠点を作った理由は、シンガポールで仕事をしていたときに、離島などに第二の拠点を持ち都市とローカルを行き来している人が多く、日本にもそういう流れを作れたら良いなと思ったことが原点です。そして、せっかくならば僕の生まれ育った岡山で実現させたいなと。

―拠点を作る際のモデルケースは何かあったのですか?

実現させようと考えたときに、僕が金融関係の仕事をしているときに関わっていた「アマンリゾーツ」からの学びを思い出したんです。
30年前にアマンが2拠点目として竣工したバリ・ウブドの「アマンダリ」は、当時特に観光資源のなかった村に、まるで村の一部を模したかのようにできた宿泊施設でした。地元の人々をスタッフとして雇い、地域と寄り添うようにひっそりと存在させていたにも関わらず、ホテルが醸す素晴らしさは多くの旅行者から人気になったそうで。そしてそれは地元の人にとっては、自分たちの地域の食や文化に自信を持つきっかけにもなり、地域全体がどんどん元気になったという話があるんですね。

これは、何もないと思っていた土地にも住んでいる人が気づかないような魅力があって、それに気づいて表現・発信できたときによりその土地が強くなるという素晴らしい事例だなと思いました。それで僕が大好きな岡山にもこういう形で寄与できないかな、と考えたんです。結果的に岡山ではなく、同じ瀬戸内海の広島県・瀬戸田になりましたが、自分が魅力を感じる場所を第二の拠点にすることで、その場所のために何ができるか、どうしたらもっと知ってもらえるかを能動的に考えられるようになりましたし、多くの人にもそれを経験してもらいたいという思いで作った場所です。

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SOIL Setoda内のMinatoyaでは、食と農にまつわるイベントやポップアップレストランも定期的に開催されている(画像提供:SOIL Nihonbashi)

―SOIL Nihonbashiには岡さんと同じように2拠点を行き来している方も多く入居されていますよね?

そうですね、意図せずではあるのですが、八ヶ岳や北軽井沢、京都、長野などに拠点を持ち、行き来している入居者がいます。
僕らが瀬戸田と日本橋を行き来していて感じるのは、今後高齢化で人口が減る地方において、地元人と観光客の間のような言わば「ニューローカル」=関係人口が増やしたいなということ。そのためには都市に身を置きながら他のエリアにも携わる人、寄与できる人が必要だと考えています。SOILに2拠点を持つ入居者が多いのは、そういう考え方の部分に共感してくれたことも関係あるのかもしれません。
あとは、古くから五街道の起点として存在し、地方にポンプのように人を送り出せる交通の利便性で、日本橋の立地に魅力を感じてくれた部分も大きいと思いますね。

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このエリアの魅力は新旧のバランス、密度と多様性

―立地の話が出ましたが、実際に日本橋にSOILを構えてみて、どんな印象を持ちましたか?

新旧のバランスが絶妙な場所だと感じました。伝統が脈々と受け継がれている場所なのに、新しきも否定せずに受け入れてくれるのが日本橋の懐の深さであだと感じています。
まさにそれを感じたのは、5階にいらっしゃる創業1890年の染料メーカー桂屋さんとの関わりがきっかけです。もともとこのビルは桂屋さんがお持ちだったのですが、そこを三井不動産が買われるタイミングで僕らが運営することになって。初めて僕らがここで新しく始めることを桂屋さんの代表・青山さんに説明するときに、どんな反応をされるんだろう、とドキドキしながら向かったことを今でも思い出します(笑)。じっと話を聞いてくださったあとに「いいじゃん」と一言くださったときは、街の重鎮に認められて日本橋のコミュニティに一歩入れたような気持ちになってうれしかったですね!
そうそう、桂屋さんには、僕らのオフィスフロアのカーテンを手掛けていただき工房で一緒に染めさせてもらいました。茜色のグラデーションにしたいとリクエストしたら、最初は「グラデーションはうちでやっていないよ」と言われたんですが、結局最後はこちらの思いを汲み取ってくれて、希望通りに染めてくださいました。今は合同でワークショップを企画したりと、良い交流もさせてもらっているんです。

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5階の桂屋の中には、染色体験ワークスペース「SOMENOVA」が併設されている(画像提供:SOIL Nihonbashi)

―このビルは公園が隣接しているのも大きな特徴です。老若男女さまざまな方がいて、街の空気感を身近に感じられそうですね。

公園の隣の立地で特に感じる魅力は、密度と多様性でしょうか。オフィスが多いので、平日は活気があっても週末は静かなのかなと思いきや、実際はそんなこともなくて。堀留公園には子供が元気に駆け回っているそばで高齢者住宅の方も交流していたり、子供がおじいちゃんおばあちゃんの荷物を持ってあげている微笑ましい姿なんかも見られます。週末は家族連れやカップルも多いですね。SOILは今、入居者が100人くらいいるんですが、この公園の中にその100人がちらほら混ざってもきっと調和できるだろうなと思うくらいいろんな人がいて。コンパクトな場所で多様性を感じられるというのは、何にも変え難い良さだと思います。

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オフィススペースの窓からは、公園が望める。都心とは思えない鳥のさえずりがBGMに。(画像提供:SOIL Nihonbashi)

昔の日本橋を、現代版にアップデートした企画を

―その公園と隣接している部分にカフェベーカリー「Parklet」を作ったのにはどんな意図があったのでしょうか?

パン屋さんを作りたいとリクエストをくれたのは、先ほどの桂屋さんの代表・青山さんなんです。魅力的なネイバーフッドを作るために何が必要なのかは僕らも考えるのですが、その街の人に求められているものを作ることも一つの正解だと思っていて。今回は街をよく知っていらっしゃる方が“パン屋”だとおっしゃるので、やったことなかったけれどやってみよう!と(笑)。とはいえ、東京はパンの激戦区。差別化を図るためにも、アメリカでよく見かけるような食事パンを主役にしようと、北海道でベーカリーを営んでいたジェイジェイさん夫婦にお願いし、カフェベーカリーを作ってもらいました。せっかく公園前の立地なので、公園でも食べられるし、店内で落ち着いて食事としても楽しんでもらえる、そんなメニューを提供しています。

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パンやベーカリーメニューはもちろん、お酒と合わせても楽しめる食事メニューが多くラインナップされているParklet bakery(画像提供:SOIL Nihonbashi)

―今後はここでどんな挑戦をしていきたいですか?

せっかく公園に隣接しているからこそ、この立地を使って地域に住む人や、商いをしている方と交わりたいと思っています。公園を使ったマルシェや、イベントなど、地域の方が楽しめるものを企画したいですね。Parkletはもちろん、ローカルの事業者なども募って、かつて日本中から様々なものが日本橋に集まっていた感じを、現代版にアップデートしてマルシェとして再現できたらおもしろいだろうなと。そして日本橋の重鎮の方達に「昔の日本橋の良さが現れている気がする!」なんて言ってもらえたら嬉しいですね。そうした挑戦を通して、より地域との結びつきを深めていければと考えています。そして良い街を予感させるネイバーフッドを、街の人と僕たちが一緒につくっていけたらいいなと思います。

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高嶋家さん(鰻店)

日本橋名物と言われて僕の中で浮かぶ食べ物が鰻。その中でも、SOILのスタッフでファンが多い高嶋家さんと、Parkletで何らかのカタチでコラボレーションできたら嬉しいです。

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レストラン桂

日本橋に一週間滞在していると、1日ずつは行きたくなるお店。70歳でも若手というスタッフに元気ももらえるし、昔ながらのこういうお店にはずっと残っていてほしいと思います。(画像:レストラン桂公式サイトより)

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:岡村大輔

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