Interview
2022.10.12

古来より伝わる“どぶろく”で、日本酒カルチャーに新しい風を。 和歌山の老舗酒蔵が日本橋・兜町で取り組む新たな挑戦とは。

古来より伝わる“どぶろく”で、日本酒カルチャーに新しい風を。 和歌山の老舗酒蔵が日本橋・兜町で取り組む新たな挑戦とは。

2022年6月、兜町でオープンしたどぶろくのブルワリーパブ「平和どぶろく兜町醸造所」。日本でも珍しいどぶろくのブルワリーパブを立ち上げたのは、和歌山県海南市に本社を置く平和酒造株式会社です。創業95年の歴史をもつ酒蔵がなぜ日本橋・兜町にどぶろくのブルワリーパブを開業したのか、この場所との親和性や今後の展望、商品へのこだわりなどを、平和酒造株式会社の4代目・山本典正さんに伺いました。

経営者に憧れ続けた幼少時代、ベンチャーでの学びを経て家業へ

―まずは、平和酒造について教えていただけますか。

和歌山県海南市にある平和酒造は1928年に創業し、今年で95年になります。戦時中は戦局の悪化の影響で酒造免許を取り上げられた時期もあり、戦後に営業再開を許されたときに「平和な時代に酒造りができる喜び」から平和酒造と名付けられました。祖父の時代は大手メーカーの下請けがメインで父の時代では主にパック酒を造ってきましたが、私の代になってから自社ブランドの酒造りに注力しはじめました。日本酒「紀土(キッド)」やリキュール「鶴梅」シリーズ、さらには「平和クラフト」というクラフトビールシリーズなどが現在の主力商品です。

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高野山伏流水である井戸水が豊富な土地にある、平和酒造株式会社(公式サイトより)

―山本さんはどんな経緯で家業を継がれたのでしょうか?

私は大学卒業後に東京のベンチャー企業で数年働いた後、2004年に平和酒造に入社しました。
元々クラスの学級委員長をつとめるようなタイプで、小さなころから漠然と経営者になりたいという夢を持ってはいたんです。小学校高学年の頃、父にその夢を打ち明けると日経新聞を読むことを勧められたのですが、企業の経営者が自伝を綴る「私の履歴書」というコラムが好きで、毎日のように読んでいました。さまざまなリーダーの話を読みながら、いつか自分の才覚一つで企業を興せるような人になりたいと思い、大学は経済学部に進学しました。周りの友人は金融機関や商社に就職を決める中、私はいつか起業する日のために会社を興すノウハウを学ぼうと考え、東京に本社のある人材系のベンチャー企業に就職しました。
睡眠時間を削って働くような日々でしたが、充実していましたし、会社からは評価もいただけていました。しかし当時は今のようにスタートアップで会社を作るエコシステムもない時代でしたし、起業に向けてはなかなか道のりが遠い気がしてきて‥‥。次のチャレンジをどうしようか、と思っていた矢先に先代の父親が体調を崩したこともあり、和歌山に戻ることを決めました。

―家業を継ぐということに、迷いはなかったのでしょうか?

小さい頃から父と母が仕事のことで意見交換をする姿を見てきて、自分もその会話に入っていましたし、今振り返ってみると継ぐことは自然なことだったように思います。両親がお客様へ商品を提供して、買った人が「ありがとう」と言ってくれる、そのコミュニケーションは魅力的に見えていましたし、そんな商売を自分もやってみたいと思って、山で自分が採ってきたカブトムシやクワガタを夏祭りで売ったこともありました。実はそれが自分の商売の原点になっているかもしれません(笑)。

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平和酒造株式会社4代目の社長を務める山本典正さん。自社のことだけでなく、日本酒業界全体を考えたお話をされる。日本酒業界内での講演にもよく立たれるとのこと

日本酒業界が抱える課題に向き合う

戻られたとき、平和酒造はどのような状況だったのでしょう?

日本酒業界は輸出が好調だとか、流行って手に入らない銘柄があるというポジティブな情報もありますが、実は1972年をピークに酒蔵からの出荷量は4分の1にまで減っていて、今もなおその下降は続いているんです。昭和を描いているサザエさんって必ず食卓に日本酒が出てくるでしょう?あんな風に昔は「酒=日本酒」というのが当たり前だったのですが、今やビールやワイン、カクテル類など選択肢が増えて、和食を食べるときだけは時々日本酒、というのが実態。まずはこの課題に向き合わなくてはいけないと思いました。平和酒造ではその頃パック酒をメインで造っていましたが、縮小している産業の中で安いお酒を造っていても将来性は見込めないな、と。

―どんな打開策を考えられたのでしょうか。

高品質なものづくり、付加価値があるものを造らないと先はないと思いました。なぜなら、僕が戻った当時はパック酒を中心とした価格訴求型の商品を扱っていて、問屋さんに営業に行っても、値段とスペックだけで商品を判断され、試飲すらしてもらえない状況だったからです。消費者に届ける以前に、まずは得意先や問屋さんが興味を持つものを造らなくてはならない。そのためにもまずはこの地で造っている理由が必要だ、と考えました。
和歌山県って、米どころのイメージがなく、全国的に有名な銘酒もないので、日本酒のイメージがないんです。それも試飲すらしてもらえない要因の一つではないかと思ったんですね。なので、まずは和歌山県の特産物である梅を使い、2005年に「鶴梅」というリキュールをリリースしました。

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最初にリリースしたのは「完熟梅」。その後、「完熟にごり」「すっぱい」「ゆず」などがシリーズ化されている

―日本酒ではなく、リキュールからというのが面白いですね。得意先はどんな反応をされたのでしょう?

父には「うちは酒蔵だ!」と言われ最初は反対されましたが・・・(笑)。でも自分たちの強みを生かせる商品が必要と考えていましたし、結果的に多くの得意先から興味を持ってもらえる糸口になりました。この商品がヒットして次に私が仕掛けたことは流通の制限でした。特約店を作り、パートナーシップを築くことで、値引きなどを要求されずに自分たち主導の流通ができるようになりましたし、酒屋さんと濃い関係性を作ることもできました。
そんな風に少しずつ自分たちの色を出しはじめた矢先に、ある酒屋さんから「よかったら日本酒も持っておいでよ」って声をかけてもらって。「山本くんのリキュールが話題になっているし、頑張っている若手が造った日本酒だったら、仲間の酒屋も興味持ってくれると思うから」って。その申し出は本当に嬉しかったのですが、持っていけなかったんですよね。

―せっかく平和酒造の日本酒を広げるチャンスだったのに、どうしてですか?

当時自分たちの酒蔵で生み出していたお酒は正直あまり美味しくなかったんです。パック酒を中心に造っていたので、革新的な技術もなかったし、新しい日本酒を造るには設備も古かった。さらに良くないことに、品質を求めず安い酒を大量に造るための効率化だけを追い求めた結果、スタッフのやる気も低下していました。それでは良い酒は生み出せないと思ったんです。良い酒というのは付加価値があるお酒のこと。そうなると効率とは違うアプローチを考えなくてはと感じ、全国各地の酒蔵を回ったり、スタッフともよく話し合うようになり、会社の内部のモチベーションが上げていくことをじっくりやったんです。新しい日本酒が作れるレベルまでの軌道に乗りはじめたのは3〜4年経ってからで、のちに多くの賞をいただくことになる日本酒「紀土(キッド)」は2008年に誕生しました。

―有名な「紀土」が生まれるまでにはご苦労もあったのですね。

私がベンチャーで働いていたときは、長時間労働で業務は辛かったのですが、一緒に働いていた仲間は会社を上場させたい、成長させたい、という志を持っていてみんなイキイキしていたんです。一方で酒蔵はモノづくりという前向きな仕事や使命があるのに、真逆の雰囲気で。だからまずは前向きなマインドを作れるようにしたいと考え、方針作りや組織改革、新卒採用に積極的に取り組みました。

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平和どぶろく兜町醸造所店長であり、同店の醸造責任をしている宿南さんも、新卒採用で採用されたうちの一人。ここを訪れるお客さまにどぶろくや日本酒の魅力を伝えている

―改めて日本酒に向き合われたとき、どんなことを意識されましたか?

日本酒の主原料である米は、どの時代も日本を支えてきたものなんです。縄文時代に伝来して、弥生時代には稲作が始まり、江戸時代には流通貨幣の代わりにもなっているくらいの歴史を持っている。さらに日本の食事は、米を中心にメニューが組み立てられています。米ってそれくらい日本では重要なもので、私は米から醸造するという行為は非常に尊いものだと思っているんです。でも、現代はお酒の種類も増えて日本人のライフスタイルが変わってきたことで、日本酒への関心が低くなっている。そんな日本酒業界をこの会社で一緒に変えていこう、日本酒を日本人にとってメジャーなものに戻していこうと。

―会社だけでなく、業界全体を変えていこうという大きな決意を持たれているんですね。

いまの日本酒業界は少ないパイ(消費者)を奪い合っている、まるで椅子取りゲームのような状況なんです。だからうちはゲームでいうところの椅子(消費者)をつくるメーカーになろうと。そのためには、もっと多くの人たちに日本酒の魅力を知ってもらう努力が必要で、今は日本酒のイベントを主催したり、著名人とのコラボレーションなども仕掛けるようになりました。どぶろくの醸造所を東京に出店したのもその一環です。

どぶろく醸造所のヒントは、クラフトビールから

―なぜどぶろくだったのでしょうか?

6年前からクラフトビール事業も手がけるようになったのですが、そこで学んだことがヒントになっています。クラフトビールってブルワリーパブ(醸造所併設型レストラン)が多くありますよね。これはビールが造られているその場所で味わえて、消費者がモノづくりを身近に感じられる機会創出だなと思ったんです。日本酒にもそういった場所があったら、もっと日本酒を身近に感じてくれる人が増えるのではないだろうか?と。そしてもしこれをやるならそもそもの人口が多い東京でやろうと思ったんです。

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平和クラフトは定番のペールエール、IPAから和歌山特産品の梅や山椒、柑橘を使ったものも。平和どぶろく兜町醸造所ではこれらのドラフトも提供している

また、日本酒ではなくどぶろくでやろうと思ったのは、日本酒の由来と造れる場所に関係しています。米を発酵させてできた“濁酒”を濾したものが“清酒”で、濾していないものがどぶろく。どぶろくは現在日本酒として市場に出ている“清酒”の元にもなっているものなんです。だから私はどぶろくは日本酒の“入口”として親しまれてほしいと思っていて。さらにどぶろくは少量から造ることができるため、面積が限られた場所でもブルワリーが開けると思ったんです。

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お米のコクや、甘みを感じることができる「平和どぶろく」。プレーンのほか、小豆や雑穀を使ったものも販売されている

―日本橋・兜町を選ばれたのにはどんな理由があるのでしょう。

江戸時代から関西では兵庫県・灘と京都・伏見が日本酒の名産地で、そこで造られたお酒は灘港から江戸に出荷されていたんです。その船着場が今の兜町や茅場町で、そこから江戸のさまざまな街に運ばれていったと。そんな歴史的背景を知り、東京でどぶろく醸造所を出店するなら、日本酒との親和性がある日本橋界隈が良いなと思っていたんです。
探していたエリア内で兜町の再開発は面白いものが多いなと感じていたのですが、その中心となっていたのは奇しくも同じ名前を持つ平和不動産という会社で。その平和不動産がこの「KITOKI」という木とコンクリートのハイブリッドな建築物の1階にシンボリックなテナントを探されていると伺って。私たちもこの建物と場所にとても魅力を感じていたので、企画で思い描いていたどぶろく醸造所の構想を提案し、決まったという経緯があります。

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画像提供:平和酒造

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木目調であたたかみもありながら、スタイリッシュな店内には木の香りが漂う。店内には醸造室もあり、ここでどぶろくが造られている

ものづくりを体感してもらえる、オープンなカルチャーを作りたい

―ここで造られているどぶろくの特徴を教えてください。

どぶろくは寸胴鍋サイズで作ることができるので、ここではさまざまなフレーバーのどぶろく造りに挑戦しています。
例えば、小豆、黒豆などの穀物系は出店時からの定番になりつつありますし、和歌山の名産・梅を使ったものや、エディブルフラワーやバジル、ミントなどのハーブを使ったものまで幅広く造っています。米のベースが幅広く色々なフレーバーを受け止めてくれるので、意外性のあるユニークな食材と組み合わせられるのが、どぶろくの魅力かもしれません。また、平和酒造は日本酒に限らずどんなお酒も「清らかできれいなお酒」をコンセプトにしており、口当たりを大切にしているので、どぶろくも飲みやすい口当たりになっています。

―お客さまからの反応はいかがですか?

どぶろくの醸造所が珍しいからと足を運んでくださる方もいらっしゃいますが、入り口は日本酒だったり、クラフトビールだったり、と様々です。お酒や食に興味がある方に、日本酒やどぶろくの魅力を伝えられたらという想いで出店したので、来客のきっかけが幅広いことはとてもうれしく思っています。最初はビールや日本酒を嗜まれ、醸造のことをお話ししているうちにどぶろくに興味を持ち、頼んでくださる方も多いんですよ。

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日替わりでフレーバーは変わるが、この日はまろやかな味わいの小豆のどぶろくがメニュー入り

―開業して4ヶ月ほど経ちますが、今後この地でどんなチャレンジをしていきたいですか?

どぶろくのブルワリーパブだからこそ、醸造過程に触れて、どぶろくや日本酒の魅力を体感してもらえる場所でありたいですね。和歌山の酒蔵ではその場でお客様に味わってもらうことは難しかったのですが、日本酒をもっと知ってもらいたいという思いから、酒米の田植えや稲刈りをお客様と一緒にやってきました。ここではもっと日常的にお客様と交流ができると思うので、作り手にもお客様の意見や声を体感してもらう場所になれればと思っています。そんな交流の中に、きっと日本酒業界全体を元気にできるようなヒントがあるのではと期待もしているんです。
そしてこの歴史のある街に、自分たちも新たな歴史が作れるような存在として馴染んでいけたらいいですね。

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日本橋日枝神社

映画「君の名は。」でも描かれたように、神事と日本酒は昔から深い関係性があり、この店舗の氏社でもあるのでよくお詣りに訪れます。

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:Adit(Konel)

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