街の魅力を発掘し新たな“視点”をつくる。日本橋・問屋街発のメディア「さんかく問屋街アップロード」とは。
街の魅力を発掘し新たな“視点”をつくる。日本橋・問屋街発のメディア「さんかく問屋街アップロード」とは。
日本橋横山町・馬喰町問屋街地区のまちづくりをサポートするUR都市機構(以下、UR)。問屋街のさまざまなプレーヤーとともに、街を盛り上げる取り組みを行っています。2021年4月に、エリアの活性化とブランディングのため、ウェブメディア「さんかく問屋街アップロード」を立ち上げました。「さんかく問屋街アップロード」はどのようなメディアなのか、問屋街の未来にどう関わっていくのか。UR東日本都市再生本部の志村有美さん・功刀龍一さん、「さんかく問屋街アップロード」の編集長で勝亦丸山建築計画の勝亦優祐さん、祭事用品の卸売問屋「丸三繊商」の代表・村上信夫さんにお話を聞きました。(タイトル写真:©︎NaomiCircus)
横山町・馬喰町問屋街のまちづくりに関わるプレーヤーたち
―まず、みなさんの自己紹介をお願いします。
志村有美さん(以下、志村):2年ほど前から、URにて日本橋横山町・馬喰町問屋街地区の業務(土地有効利用事業・コーディネート業務)に携わっています。その街らしい開発を進めていくために、地元の方々と協議しながら空き物件を買い支える(物件を一時的に買い上げ、他の入居者が入らないようにすること)ほか、ネットワーキングなどによる持続可能な街の仕組みづくりといったソフト面での取り組みも行っています。
功刀龍一さん(以下、功刀):URには昨年度入社しました。志村と同じく横山町・馬喰町問屋街地区のまちづくりを担当し、ともに横山町・馬喰町問屋街の情報を発信するウェブサイト「さんかく問屋街アップロード」の運営にも携わっています。
UR都市機構 東日本都市再生本部に所属し、ともに日本橋横山町・馬喰町問屋街地区土地有効利用事業・コーディネート事業に携わっている志村有美さん(上)と功刀龍一さん(下)
日本橋横山町・馬喰町問屋街地区土地有効利用事業・コーディネート事業では、ハード面での不動産開発だけでなく、人を大事にし、人と人をつなぐことにも力を入れている。写真はURが買い支えした土地に建つ交流&イベントスペース「PLUS LOBBY」 (画像:WEB UR PRESS vol.66「URのまちづくり最前線 第20回」より)
勝亦優祐さん(以下、勝亦):僕は友人の丸山くんと勝亦丸山建築計画という設計事務所をやっていて、静岡県富士市と東京の2拠点で活動しています。近年は、設計だけでなく、使うことからつくることを考えようと、老朽化した遊休不動産の活用・再生可能性検討プロジェクトなどを行なっています。また、シェアハウスをはじめとした「場」のデザイン、運営を行う「デザインオペレーション」も行っており、2022年春に馬喰町にもオープン予定です。昨年スタートした「さんかく問屋街アップロード」では編集長を務め、企画・取材を担当しています。
村上信夫さん(以下、村上):創業明治32年、お祭り用品や和装小物を扱う卸売問屋「丸三繊商」の代表を務めています。私はこの街に来て17年ほど。この街を盛り上げていきたいので、つながりをつくろうと、さまざまな交流の場に積極的に顔を出しています。横山町馬喰町街づくり株式会社(※)のメンバーとして「さんかく問屋街アップロード」編集部に参画。いわゆる街のお目付け役というところでしょうか(笑)。
(※)横山町馬喰町街づくり株式会社:2017年4月、横山町町会、横山町奉仕会、(協)東京問屋連盟、(株)横山町奉仕会館によって設立。横山町・馬喰町エリアの活性化を目指し、エリア内の建築などに対して街づくりの観点から計画内容を審査する。
勝亦丸山建築計画の代表取締役であり、「さんかく問屋街アップロード」の編集長を務める勝亦優祐さん(左)と、丸三繊商の代表取締役で横山町馬喰町街づくり株式会社の一員でもある村上信夫さん(右)
ユニークな“視点”のメディア「さんかく問屋街アップロード」
―ウェブサイト「さんかく問屋街アップロード」のコンセプトや立ち上げの経緯を教えていただけますか。
志村:JR総武快速線の馬喰町駅、都営新宿線の馬喰横山駅、都営浅草線の東日本橋駅の3駅に囲まれた「三角(さんかく)」の中にある日本橋横山町・馬喰町問屋街に「参画(さんかく)」する人を増やしたいという思いから、URと横山町馬喰町街づくり株式会社が共同で開設しました。エリアの現状や魅力的な“人”を発掘・発信し、新しい切り口から街を紹介しています。2021年4月のサイトオープン以来、月1回のペースで記事をアップしています。
―「さんかく問屋街アップロード」が目指していること、こだわっている点について教えてください。
勝亦:人とアクティビティの紹介に加え、今後は馬喰町の新たな発見につながるようなおもしろいネタを増やしていきたいと思っています。今まで見過ごされていたものにスポットを当て、「視点をつくる」ことを大事にしたいですね。必ずしも完成度の高いメディアを目指すのではなく、人の興味を引き、突っ込みどころのある情報を発信していきたいなと。たとえば先日はアイデアブレストの中で、電柱など人じゃないものを擬人化して、その視点で街のことを語ってみたらどうだろうなんて話をしてました(笑)。普通にしていたら感じられないおもしろさを追求していきます。
―電柱! 斬新ですね(笑)。URさんのメディアということで、かっちりしたものをイメージしていました。
功刀:勝亦さんたちと組んだことで、いい意味でURらしくない(笑)、おもしろいウェブサイトになっています。日本橋には「Bridgine」を含めいろいろなメディアがありますが、ほかとの差別化を図り、「さんかく問屋街アップロード」はニッチなところを狙っていきたいと思っています
勝亦:そういう意味でも、問屋街の外の人間である自分の役割としては、街の人たちと違う視点を持ち、同質性のなかに一石を投じることだと考えています。
「これまでは“三角”のエリア内で活動している人を紹介してきましたが、馬喰町出身で活躍している人が外から見て馬喰町をどう思うか?といった企画もやっていきたいです」と勝亦さんは話す
メディアが人と人をつなげ、街に変化をもたらす
―まちづくりや「さんかく問屋街アップロード」の運営を進めるなかで、街の人との出会いや関わりが増えていると思いますが、街の人の印象・特徴はどのようなものでしょうか。
志村:最初は問屋さんが何をやっているかよくわからず、店舗にも正直入りにくかったのですが、問屋街の方々と交流を深めていくとおもしろい人ばかりです。地元に愛着があり、街をよくしていきたいという熱い思いを持った人が集まっています。そのような人たちとのつながりを大事にしたいですね
功刀:街の人たちと話してみると、地元に残りたいという人が多いです。最近は街の外から入ってくるプレーヤーとの交流が増え、地元の方たちにとってよい刺激となっているようです。
村上:古い問屋街に新しい風が吹き込み、今は過渡期ですね。外からの刺激を受けながら、「いっぴんいち」のようなイベントなど、新しい試みで成功体験を積み重ねて、少しずつ仲間を増やしていっているところです。問屋街の人は家業を継がなければいけないというプレッシャーが大きく、いろいろな立場の人がいてしがらみも多いのですが、お酒でも飲みながら(笑)本音で語り合い、みんなで一緒におもしろいことをやっていきたいですね。
「逸品を一品のみ販売する」というコンセプトのもと、さまざまな事業者が出店する「いっぴんいち」。2021年10月16〜24日に日本橋横山町・馬喰町で「いっぴんいち@日本橋問屋街」が開催され、老舗の問屋から建築事務所、コワーキングスペース、マッサージ店など29店舗が出店した
―「さんかく問屋街アップロード」がきっかけで生まれた変化はありますか。
志村:問屋街のウェブサイトができたことで、私自身も新たな発見がありました。また、横山町・馬喰町のまちづくりはURとしても新しいチャレンジなので、社内で注目されており、「さんかく問屋街アップロード」も社内でよく閲覧されています。横山町・馬喰町のまちづくりプロジェクトについて、より社内外に伝えやすくなりましたし、他地域URから横山町・馬喰町の視察も増えています
勝亦:記事を読んだことがきっかけで、問屋街を実際に歩いたという人がいました。「さんかく問屋街アップロード」のコンセプトにあるように、今後、さらに読者が参画できるような仕掛けをつくっていきたいですね。
村上:「さんかく問屋街アップロード」という新しいスタイルのメディアに、問屋街の人間は刺激を受けています。横山町馬喰町街づくり株式会社がURさんとつながったように、いろいろな人が芋づる式につながる、そのきっかけになっているメディアだと思います。
音楽と都市のコラボレーションとしての楽曲 沖メイさんの「レスタウロ」が「さんかく問屋街アップロード」のテーマソング。問屋街を舞台にしたミュージックビデオが印象的
問屋街に隙間・余白をつくり、新しい流れ・動きを生み出す
―横山町・馬喰町問屋街を今後どのように盛り上げていきたいと思われますか。
勝亦:問屋は、時代の流れとともにビジネスとしてはなかなか厳しい局面にあるのが現実です。どうしたら問屋が産業として活性化するのか、なかなか仮説がつくれず答えは見えないのですが、試行錯誤しながら街をデザインしていきたいと思っています。問屋街は区画が小さいので再開発が難しく、これまでは参入しづらかったので、いわば“聖域”となっていました。しかしそこに我々のようなメディアやさまざまなプレイヤーの視点が入ったことで風穴が開いた。これまで手付かずだった場所を開放していくのがおもしろいですね。問屋街らしさは残しつつ、隙間・余白をつくり新しいものを入れて、まちづくりを行っていきます。
村上:良い方向に変化しつつある問屋街ですが、もっともっと変わっていっていいと思っています。問屋とか小売りとか気にせずに、いろいろな人と会って、話して、つながって…。その結果として問屋のビジネスがうまく回り、儲かったらいいなぁと(笑)。
「URさんとタッグを組んだおかげでおもしろいことができている」と話す勝亦さんと村上さん
―今後日本橋で挑戦したいことは何でしょうか。
功刀:日本橋エリアの価値向上によりエリアの魅力アップを図ることです。極小土地の活用やイベント企画など、まずURとしてできることをやっていきたいと思います。そして、それが問屋さんのためになったらうれしいですね。
志村:いま街にいる人たちが「この街に残りたい」と思い、また外から「この街に来たい」と思えるような街をつくっていきたいですね。問屋街の関係者だけでなく、もっと一般の人が訪れるように、問屋街の人の流れを変えられたらと…。それが問屋業の支えになればと願っています。
街のみなさん!
みなさんと一緒に「いっぴんいち」のようなイベントをまた開催できたらと思っています。あと、来年の神田祭にも一緒に参加したいですね。(村上さん)
個人事業主のアーティストやクリエーター
問屋街の一棟ビルを改修して、クリエーターやリモートワーカー向けのシェアハウス「馬喰町のSOHO」をつくっているので、ぜひ利用してもらいたいです。(勝亦さん)
取材・文:小島まき子 撮影:Adit(Konel)
UR都市機構
1955年に設立された日本住宅公団を母体とし、「人が輝く都市をめざして、美しく安全で快適なまちをプロデュース」することを使命に、都市再生、賃貸住宅、災害復興の分野で、未来につながるまちづくりを行う。人口減少・少子高齢化、頻発する大規模災害、環境問題など重要な社会的課題にも積極的に向き合い、国の政策実施機関として、地方公共団体や民間事業者と連携しながら業務を推進している。
勝亦丸山建築計画
「その場所や前提の条件を探り(RESEACH)、そこに何が必要かを考え(DESIGN)、実践を通して学びを得る(OPERATION)」までを行う建築家チーム。建築やインテリア、リノベーションの設計・監理に加え、「デザインオペレーション」の手法を用いた企画から運営まで行う事業のほか、行政と連携し、まちづくりのコンサルティングやリサーチ、家具のプロダクト開発など、多岐にわたる活動を行っている。
丸三繊商
1899(明治32)年創業の祭り用品・和装小物の卸売問屋。オーダーメイド品含め、半天・鯉口シャツ・ダボシャツ・股引・腹掛・帯・小物などを扱い、日本の祭り文化を支えている。祭り用品は外国人にも人気。