Interview
2019.03.07

“お客さまは仲間、お店は小さなコミュニティ”。うなぎ店「大江戸」十代目が語る、温故知新の哲学。

“お客さまは仲間、お店は小さなコミュニティ”。うなぎ店「大江戸」十代目が語る、温故知新の哲学。

創業200年を超える老舗のうなぎ店―と聞くとどんなイメージでしょうか?伝統・格式・厳格?日本橋のうなぎ店・大江戸は、揺るぎない軸を守りつつ、時代の変化に柔軟な姿勢で対応する老舗店舗。何を変えて、何を変えないか。その取捨選択こそが商売の真髄と言う十代目・湧井浩之さんに、今取り組んでいる様々なチャレンジや、街やお客さまとの関係について伺いました。

営業スタイルも内装も、時代に合わせてゆるやかに変化させてきた。

―お店の歴史について教えてください。

1800年に蔵前で創業したと言われています。当時あの界隈は“蔵の前”という名の示す通り、米蔵が数多く隣接しており、今でいう金融街のような街でした。また川沿いであったため、隅田川で水揚げされたうなぎを運んでくるのにも都合が良い場所でした。やがて時代とともにうなぎの供給も水路から陸路になっていき、1946年からは現在の場所で営業しております。

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―昔は今とは別の屋号だったそうですね。

初代「草加屋吉兵衛(そうかやきちべい)」が「草加屋(そうかや)」という屋号で創業しました。その後江戸末期の頃になると、流れ込んできた官軍が江戸の街で大暴れし、町民との争いごとが絶えなかったんだそうです。争いが起きると当時の主人がうなぎを焼くときの鉄灸(鉄の棒)を着物の背に通し、それを振り回して追いやっていたらしくて。その姿が奴さんに似ていたことから通称「奴うなぎ」と呼ばるようになり、後々それが屋号になっていた時代もあったようです。

―それは江戸っ子らしいエピソードですね。お店にはその後どんな変化があったのでしょうか。

昔は “1日10人来れば蔵が建つ”と言われるほどうなぎ料理は高額だったようです。お座敷に上がり、出てくるのはコース料理のみ。お客さまもひとっ風呂浴びて浴衣に着替え、お酒を飲みながらゆっくりと過ごす料亭のようなスタイルだったと聞いています。昭和に入ると、麻雀や囲碁、将棋を指しながら宴会をする場所としても利用されていました。テーブル席で気軽に利用できる今の形になったのは先々代の頃からで、今ではお座敷の畳の上にテーブル椅子を置くようになりました。座布団に座るスタイルは、時代とともにだんだん敬遠されるようになりましたね。
こんなスタイルの変化に合わせて、建物の増改築を繰り返してきました。天井に段差があったり床が底上げされていたり・・・大工さんの苦労の跡がたくさん残っています。

同じ味を守り続けていてもだめ。老舗は変わり続けることで“同じ”と言われる。

―趣のある素敵な建物ですよね。

バブルの頃はビルにする話もありましたが、やはり大江戸にはこの建物が合っているし、ここを維持することにも価値があると思っています。ビルにしたら、きっとそれまでと同じことをやっていても「あの店はまずくなった」とお客さまに言われてしまいそうです。店主が代替わりするのも一緒。たとえ先代と同じことをやっていたとしても「代替わりしたらまずくなった」と言われてしまうのがつらいところ。何でもいいから先代を超えていかないと認めてもらえないんです。常に進化が求められていると思っています。

―その進化が、長く続いていく秘訣なんでしょうか。

時代とともに変化させていって初めて“同じ”だと言われるんですよ。実は、うなぎのたれも昔と同じわけではないんです。その時代時代のお客さまの味覚に合わせて進化していくことが大事で、そのためにも、現代の人の味覚の変化にも常にアンテナを張っていないといけません。

―変化してこそ同じと言われるとは、歴史ある店舗ならではのお考えですね。

日本橋の老舗はきっとみんなそうですよ。街の文化としてそんな考え方があると思います。でもなんでも変えればいいというものでもない。変えて良いもの、変えてはいけないものの境界を見極めて、取捨選択を続けていくことが大切なんです。先代は基本的には私が変えることには反対はしないんですよ。
でも、若い頃はとにかくいろいろなことをやってみたかった時期がありまして。なかには止められたこともありましたね。

―それは具体的にどんなエピソードでしょうか?

店舗の拡大展開を少し考えた時に先代に相談したのですが、「これ以上新しい店を出してはいけない」と言われました。
私なりに大江戸の繁盛を考えてのことだったのですが、あくまで日本橋を拠点にすることは変えてはいけない部分だったんですよね。この土地で“商売させてもらっている”という気持ちを大事にしなさいと。“売り手良し、買い手良し、世間良し”の三方良しの考え方と一緒です。自分だけが儲けてもだめなんですよね。それで初めて世間に評価してもらえる。そうしないと、残っていけないぞ!いつか火つけられるぞ!って(笑)。地域全体で良くしていこうという日本橋の風土はとても好きです。

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お店の入り口にはたくさんの歴史的な資料が飾られている。

―そういう風土があるからこそ、これほど長い間街が栄え続けてきたんですね。

ちょうど先日、銀座でご商売をされているある方から「日本橋は歴史があるからいいよな。羨ましいよ。それだけはいくら頑張っても勝てない。」という趣旨のことを言われたんです。銀座と比較されることは多いですが、銀座の人が日本橋をそういう風に見ていたのかと驚きました。正直“日本一の繁華街”銀座を羨ましいと思う気持ちはありますから、そんな風に言われるとちょっと嬉しいですよね。華やかで一体感もある銀座をリスペクトしつつ、日本橋の良さを磨いていけたらと思います。

若手ならではのユニークな企画で、食の街を盛り上げたい。

―湧井さんは日本橋料理飲食業組合の青年部である、“三四四会(みよしかい)”の会長でもいらっしゃいます。

三四四会には現在約70人が参加しています。料理屋としての研鑽が目的で、勉強会や懇親会などをしています。また昨今は三四四会として活動の場を広げていく流れがあり、日本橋周辺の企業の皆さんと協力しながらイベントや催事出店なども積極的に行うようになってきています。三四四会の活動を通して日本橋を盛り上げたいですし、“日本橋=食の街”としての盛り上がりも創り出していきたいですね。

―料理屋としての研鑽が目的ということであれば、皆さんで他のお店に食べ行くことなどもあるんでしょうか。

それはもう飲食店に関わる身として食べることも仕事ですからね、勉強会でも様々な飲食店に行きます。幅広いジャンルを食べてこそ自己研鑽になりますし、同時に一番の楽しみでもあります。次回の勉強会は“究極のビール”がテーマで、広島から専門家を招いてビールの注ぎ方の奥深さを学ぶ予定です。以前その方に注いでもらったビールがあまりに美味しく衝撃を受けたので、三四四会のメンバーにもそれを体験してほしくて。

―老舗の店主の方たちが浴衣ファッションショーに出るなど、ユニークな企画もあります。そうしたアイディアはどこから生まれるのでしょうか?

自分たちから出ることもあるし、コラボする企業との話し合いの中で生まれることもあるし、いろいろです。我々は今まであまりそういう話し合いをする機会もなかったので、初めは不慣れな部分もありましたが、だんだんと様々な意見が出るようになってきました。若手は怖いもの知らずで、失敗を恐れずどんどんやろう!という空気感があります。でもこの街の良いところは、先輩方がそれに対してあまり口を出さないところ。良いとも悪いとも言わないので内心どう思っているかわかりませんが(笑)。

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―若い人に任せていこうという意識があるのでしょうか?

あると思います。世代交代しないと街は続いていかないと考える人が多く、次世代の育成は常に意識されています。問題が起こったら面倒を見てやるよ、くらいの距離感で見守ってくれている気がします。もちろん勝手にやると角が立ったり、変わったことは理解されにくかったりするので、きちんと事前の相談や報告はしますが。そういうコミュニケーションはとても大事です。

うなぎ屋でロカボメニュー?歴史ある店舗が時代の流れに合わせる価値。

―先日お店にお伺いした際“ロカボ(※)メニュー”があって驚きました。異色なメニューですよね。

日本橋の街全体で、健康を意識したメニュー開発をしようという企画があり、その一環で作りました。大江戸ではうな丼のご飯の量を控えて代わりに卵焼きを乗せた“うな玉茶漬け”というものを提供しました。うなぎ屋でロカボとは、企画をうかがったときは挑戦状をたたきつけられたような気分でしたね(笑)。うなぎ屋に寿司屋、ロカボに取り組むにはハードルが高いお店もたくさんありましたが、専門家の方のアドバイスを受けながら、みんなでチャレンジしてメニューを考案しました。
※ゆるやかに糖質(炭水化物)コントロールをする食生活

―時代の流れに対応するための大きなチャレンジですよね。こだわられた点はありますか?

ロカボというと、例えばご飯の代わりにカリフラワーやブロッコリーで代用するような流れが一般的ですが、美味しさには少々疑問があります。我々は健康的でかつ“美味しい”ことにこだわって、お店の味をそのまま楽しめることを大切にしました。それでこそ日本橋かな、と。
健康はこれからの時代非常に重要なキーワードですし、我々みたいな歴史ある店がそういうことに挑戦するということも価値があると思うんです。少しずつ広がっていつか大きな流れになっていったら良いなと思っています。

お客さまは、神様ではなく仲間。扉の向こうには温かいコミュニティが広がる。

―食の街・日本橋を盛り上げるために今後どんなことをしていきたいですか?

良い店がたくさんあることをもっと知ってもらいたいです。昔からこの街はPRが苦手なんです。PRすることが“粋”だとも思っていない部分もあって。その結果、知る人ぞ知る的な名店がけっこう多い気がします。まずはお店を知ってもらい、一度ご来店いただければ、必ずや満足して帰ってもらう自負はあります。
街全体の飲食店のレベルが高く、どこに行っても美味しいのが日本橋のすごいところです。会社が移転して他の街に行ったある方がおっしゃっていました。「移転先はどこも美味しくない。日本橋に戻りたい!」と。それが一つの評価かなと思いました。実は下町だから、みな肩肘はらずにワイワイしていて楽しめる場所が多いし、そういうことも知ってもらえたらさらに良いですね。

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―確かに日本橋にいると、東京の中心とは思えない温かさを感じることがあります。

誤解を恐れずに敢えて言わせていただければ、私はお客さまが神様です!なんて考えていなくて、お客さまとお店は50:50の関係であるべきだと考えています。お客さまと対等な信頼関係を築いていく方が、長いお付き合いをしていけるんではないでしょうか。
言い方を変えれば、お客さまは飲食店というコミュニティに参加する“仲間”だと思っています。例えばお寿司屋さんなんて「へい、らっしゃい!」と軽い感じで、目線が一緒。お客さまもどこか「来させてもらいましたよ」なんて雰囲気で。ファミレスにはない関係性です。

―飲食店がコミュニティとは面白いです。この辺りでは昔からある雰囲気なのかもしれませんが、今の時代どこか新しく感じます。

コミュニティとしての店舗作りという考え方は、日本橋の横のつながりの中で身についた部分が大きいです。例えば自分が仲間の店に行く時はお客さまの立場になるので、いつもと逆の角度からコミュニティの一員になるわけです。そういう場面で学ぶことは多いです。料理屋というのはお客さまを含めた全ての立場の人の気持ちがわからないとできないもの。だから日々いろんな人の気持ちを想像しながら観察する習慣があります。

―このインタビューを読んで、そんなコミュニティに興味を持つ方もいるかもしれませんね。

ぜひどんどん飛び込んできてほしいです。でも我々、とっつきにくいんですよ(笑)。わかりやすく解放していないし、万人に対してウェルカムな雰囲気は出してないですよね。でもそこをなんとか乗り越えて扉を叩いてもらえたら、中は懐の深い居心地の良い場所です。大江戸もよく入りづらい店構えと言われるのですが、中に入ればいたって普通の店です。あえて万人が入りやすい店にはしておらず、扉を開けた人だけが味わえる世界観がそこにはあり、それを味わった人だけが得られる優越感が存在しているんじゃないかなと思っています。
あまりこの街に馴染みのない若い人たちが、新しい視点でこのコミュニティに関わってきてくれたらとても面白そうです。ちょっとだけ勇気を出して、ぜひ扉を叩いてほしいですね。

取材・文:丑田美奈子(Konel) 撮影:佐藤達哉(Konel)

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