Interview
2020.04.02

働く場所を、第二の地元に。NPO法人「日本橋フレンド」が、ワーカーたちと取り組む街づくりとは?

働く場所を、第二の地元に。NPO法人「日本橋フレンド」が、ワーカーたちと取り組む街づくりとは?

「日本橋フレンド」は、「働く場所を、第二の地元に。」を掲げ、日本橋で働くワーカーたちと地域との新しい関係性づくりを目指すNPO団体です。地元飲食店の出前朝食=「アサゲ」をいただきながら、日本橋で100年以上続く老舗=「マエヒャク(前の100年)」と、ベンチャー企業やクリエイターなど街に新たな風を吹き込むアトヒャク(後の100年)」の活動に触れられる交流会「アサゲ・ニホンバシ」を2012年から継続するなど、街に関わる多様な人たちをつなぐさまざまな活動に取り組んできました。そんな日本橋フレンドの設立代表である三井不動産の川路武さんと、現代表の清水拓郎さんのおふたりに、これまでの団体の歩みや活動にかける思い、そして街の未来について伺いました。

街とワーカーをつなぐハブになる

ーまずは、日本橋フレンド設立の経緯からお聞かせ頂けますか?

川路武さん(以下、川路): 三井不動産社内で行っていた有志の勉強会がきっかけです。当時は働き方改革という言葉もない時代で、朝早くから電車に揺られて職場に通い、夜遅くまで仕事をして帰るというのが多くの会社員にとって当たり前だった中で、働いている街ともっと関わることはできないかと漠然と考えていました。そんなある時、勉強会にお呼びしたメディア関係の方から、「自分の出身地と同じで、会社の創業地を好きになったり愛したりすることに理由なんていらないんだ」という話をされたんですね。その時に、この地で創業した三井不動産と同じような思いを持つ企業の人たちが他にもたくさんいるはずだと感じ、日本橋に根ざしている人たちが集まれる場を、みんなが調整できそうな朝の時間帯につくろうということになったんです。

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日本橋フレンド設立時の代表だった川路 武さん

清水拓郎さん(以下、清水):川路も私もすでに入社してから20年ほどが経つのですが、かつての日本橋は証券会社や製薬会社などで働いているワーカーの人たちこそいましたが、夜になると静まり返り、週末も人がほとんど来ないような状況でした。その後、COREDOの開発が始まるにあたり、三井不動産には日本橋街づくり推進部という部署ができたのですが、少し前までそうした状況にあった日本橋でまちづくりをすると言った時に、「単にビルを建てるだけ」というのは何か違うだろうという思いがありました。代々商いを営む老舗の方からオフィスワーカーまで、もっと色々な人がこの街に関わり、日本橋のことを知ることが大切で、自分たちがそのハブになれないかと考えたんです。

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団体設立時より参画し、現在は代表を務めている清水拓郎さん

川路:結果、社内ではじめた勉強会ではあったのですが、社内の事業にするよりも会社の外に出て活動した方が色々な人たちを巻き込めるだろうということで、NPOを立ち上げることになりました。とはいえ、特に高尚な考えがあったわけではありません。「アサゲ・ニホンバシ」を始めたのも自分たちのためという側面が多分にあり、みんなで朝ごはんを食べながら街の色んな人の話を聞いたら面白いんじゃないかという安易な考えから、まずは一回イベントをしてみることにしたんです。大々的な告知をしたわけではなかったのですが、予想以上に多くの人たちにお越し頂き、とりあえずその年の年末まで10回は続けようという話になり、そこからズルズルと現在に至っています(笑)。

日本橋の素顔が見えるイベント  

ー「マエヒャク」「アトヒャク」という街に関わる新旧のプレイヤーが登壇するというのも日本橋らしいコンセプトですね。

清水:そうですね。当時はちょうど朝活が流行っていた時期で、すでに色々な街で朝のイベントが開かれていて、僕らも潜入調査をしてみたりしました。中には、登壇者数名が自分たちの活動を街の人たちにピッチするという形式もあったのですが、日本橋に根ざしている人たちが求めているものとは少し違うように感じたし、具体的な登壇者をイメージしていく中で、自ずと新旧それぞれが登壇するという形になりました。いわゆる「朝活」とは違うんだ、という謎のプライドも持っていました(笑)。

アサゲ最新

すでに80回以上開催されている「アサゲ・ニホンバシ」には、毎回100人以上の参加者が集まる。(日本橋フレンド 「アサゲ・ニホンバシ」Facebookページより)

川路:自分たちらしさという点では、ゆるさやユーモアも大事にしていますね。少し前のことですが、前方の良い席を取ろうとする人たちの行列が会場の前にできるようになってしまったことがあったんです。その時に、並んでも開場時間まで入れませんと注意書きを出しても良かったのですが、もっと面白い形で伝えられないかと考え、開場の15分以上前に来た人たちには鼻眼鏡をつけて待ってもらうという旨をFacebookに投稿してみました。その結果、行列は少なくなったのですが、今度は鼻眼鏡をかけたいというおじさんたちが来て写真を撮るようになってしまって(笑)。でもそういった状況は、実は少し期待していた光景でもあったんです。

ー日本橋という街のキャラクターが伝わってくるエピソードですね。

清水:日本橋フレンドは、法人格の方が活動しやすいという理由からNPOの体を取っているのですが、NPOがまちづくりをすると言うと真面目な活動に捉えられがちですよね。僕らとしてはそう思われたくなかったし、自分たちがやりたいことをやる、くだらないことを真剣にするというのを裏のミッションにしているんです。

鼻眼鏡

日本橋フレンド 「アサゲ・ニホンバシ」Facebookページより

ー「アサゲ・ニホンバシ」の登壇者はどのように選定しているのですか?

清水:いまも毎週月曜の夜に定例会議をしていて、そこで話し合いをしながら決めています。困った時は地元の方にご相談することもあります。また、新しくできたお店にメンバーみんなで行って、タイミングを見計らってその場で出演交渉をすることもありますね。最初の頃は、街の作法を知らずに地雷を踏んだりもしながら(笑)、あいさつ回りの仕方などを徐々に学んでいきました。

川路:3年目くらいまでは、何のためにやっている活動なのかということをしっかり説明しなければなかなか理解されなかったですし、門前払いのようなこともありました。でも、続けていくうちに徐々に認知されるようになり、人づての紹介も増えてきましたし、最近は「俺はいつ出られるのか」と逆に聞かれたりすることもあります(笑)。

清水:ある時から、地域のお祭りに日本橋フレンドとして呼ばれるようになったんです。僕らは三井不動産のハッピを着ておみこしを担がせていただくこともできるのですが、企業の半纏ではなく、「本町○丁目」「室町△丁目」と書かれた、町会の絆纏をお借りして担がせていただけるようになりました。その他にも、地元の方々の新年会などに呼んでいただけたり、少しずつ地域の一員として認めてもらえるようになった感覚です。

お祭り

日本橋フレンド 「アサゲ・ニホンバシ」Facebookページより

街に欠かせない交流の場に  

ー当初は自分たちのためという話もあった「アサゲ・ニホンバシ」ですが、いまや街の人たちにとっても大切な交流の場になっているように感じます。

川路:いつしか常連の人たちが、「ここでしか会わないね」という話をされるようになったんですよね。老舗の旦那さんだけではなく、企業に務めている会社員にもそういう人たちがいるのを見て、定期的に会を開くことの大切さを感じ、これは続けないといけないという思いが強まっていきました。39回目のアサゲの時に、仕出し弁当の「弁松」さんが、「お前らよくがんばってるな」と、過去の登壇者のコメントをまとめていただいたカッコ良い冊子をつくってくださったんです。「凄くお金がかかったぞ」とその場で言われたのですが(笑)、もう男泣き寸前でしたね。

清水:何かお返しをしようと思い、みんなで弁松さんの弁当を100個買おうという話になったんです。でも、一度に買っても食べきれないので、団体のメンバーで累計100個になるまで買い続けることにして、Facebookページに食べたお弁当の写真を投稿していこうということになりました。ですが、弁松さんはFacebookをされていなかったので、最後にページを印刷してお持ちしたんです。その時にその印刷物と一緒に、「たくさん食べてわかりましたが、弁松さんのお箸、よく折れますよね」とお伝えしたら、数十年ぶりにお箸が改良されることになって(笑)。このエピソードに限らず、「こういうことをしたら面白いかも」というノリでその都度色々やってきたところがありますね。

ー日本橋フレンドの運営にはどんな人たちが関わってきたのですか?

川路:初期メンバーはもともと縁があった人たちでしたが、それ以降はアサゲに参加したことがきっかけで運営に関わるようになった人がほとんどです。入れ替わりはありますが、OB・OGも入れると関係者は100人くらいになるかもしれません。

清水:活動を続けているうちに、街の困りごとなどを相談いただくようにもなってきたのですが、メンバーの中にはさまざまな職能を持っている人間がいるので、プロボノ的に対応するようになりました。例えば、建築現場の仮囲いのデザインをお願いされた時には、日本橋で働く100人のポートレートを撮影して貼り出して、それがきっかけで「TOKYO24区 日本橋」というプロジェクトなども生まれました。

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「TOKYO24区 日本橋」では、アプリを使った情報発信も行う (「TOKYO24区 日本橋」ホームページより)

顔が見えるワーカーたちが働く街  

ーすでに9年目に入っているアサゲ・ニホンバシですが、参加者の構成などに変化はありますか?

川路:あまり変わらないですね。参加者は毎回約半数が新顔で、おおよその内訳としては会社員が5割、老舗の旦那衆が2割、残りがフリーランスなどで活動している人たちです。面白いなと思うのは、続けていくうちに何度も来てくれる会社員と、この地で長く商いを営んでいる老舗店の人の街に対する知識量の差がどんどん縮まっていくことです。気づいたら老舗の旦那と一緒に飲み会をしたり、ゴルフに行ったりするような関係になっている会社員もざっと20人くらいはいますね。

清水:一国一城の主とも言える老舗の旦那衆は、傍から見ると保守的なイメージもあるし、ちょっと入りづらいと感じてしまいますよね。でも、当の本人たちの中には、外に開きたいという思いを持ちつつ、シャイだからどうすればいいかわからないという人も少なくないんです。だからこそ、アサゲのような機会をつくり、昔からこの街にいる人と、ワーカーとして街に関わるようになった人をつなぐことが大事なのかなと思っています。

アサゲ開催の様子

「アサゲ・ニホンバシ」での講演の様子(日本橋フレンド 「アサゲ・ニホンバシ」Facebookページより)

川路:以前に日本橋の老舗のお寿司屋さんの店主が、「昔は老舗と勤め人の距離がもっと近かったんだよね」とお話をされていたのですが、いまでも老舗の人たちは新しい交流をしていきたいと思っていらっしゃいます。でも、これだけ大きく、歴史もある街だからこそ、両者をつなぐ水先案内人のような存在が必要なのかなという気がしています。

清水:先ほどの20人の会社員ではないですが、水先案内人的な存在が色んな会社の中にいると、この街はもっと泳ぎやすくなると思うんです。本来は会社員をはじめとしたワーカーも街のプレイヤーであるはずなのですが、これまでは街との接点があまりに少なかった。街で働くワーカーがしっかり顔の見える存在になることは良いことですし、一人ひとりのワーカーに光が当たり、発言できる場があるということが、街の価値を高めていくことにもなるのではないかと思っています。

川路:老舗の旦那衆さんは、ご自分の顔がのれん代わりのようなところがあると感じています。同じように日本橋のコンビニや商業施設などの店主も顔が立つ存在になったら面白いですよね。例えば、コレドに入っているテナントの店長になったら、お店で働くだけではなく、街ともつながることが当たり前というような価値観が定着したり、老舗もチェーン店も関係なく、顔が見えるオンリーワンの人たちが働いている街になったら素敵だなと思います。

清水:最近、日本橋の老舗店が世代交代をする時に、跡継ぎを紹介してくれることがあるんですね。逆に僕らも会社の若手をお店に連れて行ってお店の方に紹介したりしますし、そういう関係性がもっと街に増えていくと良いなと思います。

NPOだからこそできること 

ー「アサゲ・ニホンバシ」は100回を機に終了するそうですね。

川路:50回を迎える時に、その場のノリで「あと50回で終わります」と言ったんです。当時は半分冗談のつもりだったのですが、面白いもので終わりが見えるとなんとかそこまでは続けなければという思いになるし、街の人からも「あと50回しかないから早く出たい」と言われたりするようになりました。

清水:入れ替わりはあるとはいえ、運営メンバーも高齢化していますし、正直途中で息切れもしました(笑)。僕らのようなNPOは利益ベースで成長していくものではないし、血縁でつながっているわけでもないから、組織を維持していくことは簡単ではないんです。アサゲが終わると言っても団体自体をたたむわけではないので、これからのことも考えないといけないですね。

アサゲのごはん写真

「アサゲ・ニホンバシ」では、毎回地元のお店の朝食が振舞われる(日本橋フレンド 「アサゲ・ニホンバシ」Facebookページより)

ー100回目のアサゲは今年の12月になるそうですが、すでに構想はあるのですか?

川路:朝から晩まで開催しよう、とか色々なアイデアは出ています。OB・OGも含め気にかけてくれている人も多いですし、しっかり最後の時間を噛み締められるような会にしたいですね。感傷に浸るだけではなく、最後くらいは真面目な話をするのもいいかもしれない。…とか言いながら、100回目を祝った後に、普通に翌月「シーズン2」と銘打ってまた始まったりして(笑)。

清水:100回目についてはかれこれ1年半くらい漠然と考えていますが、結局まだ何も決まっていないというのが自分たちらしいのかなと(笑)。個人的には、「100回目だからこうすべきだ」という議論にはしたくないという思いがあります。団体のメンバーも長くいればいるほど、こうあるべきじゃないかという話をしがちになるんですね。それだけ価値観が共有されているということかもしれませんが、あくまで日本橋フレンドは、メンバー各々が好きなことに取り組める団体であり続けたいと思っています。

46ドウフケン

五街道の基点だった日本橋から日本各地の情報を発信するというコンセプトのもと、リレー形式で46道府県の魅力を紹介していくイベント「ニホンバシ46ドウフケン」。(「ニホンバシ46ドウフケン」Facebookページより)

川路:以前に飲みの席で、僕らの活動に対して「君たちはどうなりたいのか?」と詰められたことがあったのですが、その場に居合わせたアトヒャクさんが、「どうなりたいかとかは関係なく、やっていて楽しいんだからやる、それでいいんだよな?」と助け舟を出してくれたんです。周りの人からすると、目的や結果を聞きたくなるのだと思いますが、企業の活動ではないので、正直そんなに計画を立てていないんです(笑)。やって良かったという人がいればそれでいいと言える団体でありたいし、そのためにも専業スタッフはつけずに運営してきたんです。

清水:その場その場で色々なことが起こり、その都度問題を解決するということを続けているうちに10年近くが経っていたという感覚で、どうせこれからも色々なことが起こるのだろうなと。特にゴールを設定しているわけでもないのですが、僕個人としては、会社員であろうとNPOの代表の立場であろうと、この街に関わっていきたいという思いが常にあったのだと思います。ただ、会社員の立場だとどうしても企業の論理に縛られがちなので、個人的に街にコミットしたいと思うことについては、NPOの活動にしていくのが良いのだろうなといまは思っています。

川路:いま振り返ってみると、会社員とは別の顔が持てたことは良かったなと思います。まだ副業というものも認知されていない時代から、NPOの名刺で街の色々な場所に入っていけたことは、自分にとっても非常に良い経験だったんだなと改めて感じますね。

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取材・文:原田優輝(Qonversations) 撮影:岡村大輔

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