Interview
2021.08.04

「日本橋エリアへの恩返しがしたい。」地元企業の課題解決に伴走するサポーターが描く街の未来。

「日本橋エリアへの恩返しがしたい。」地元企業の課題解決に伴走するサポーターが描く街の未来。

人形町を起点に、日本橋エリアを中心とした中小企業への経営コンサルティングを手がける「福水戸家」。代表の磯部一郎さんは経営者向けのコンサルティング業務や、オンラインサロンで活躍する傍ら、町会の活性化など街づくりにも精力的に活動されています。今回は、人形町で生まれ育ち、日本橋エリアの中小企業と向き合ってきた磯部さんから、今まさに多くの企業が抱える課題や改善のヒントなどを伺いました。

地域に根ざした活動へのシフトチェンジは、「病」がきっかけだった

ーまずは福水戸家創業のきっかけを教えてください。

もともとは26歳のときに業務システム開発の会社を起業し、約10年間経営していました。しかし2015年、37歳のときに血液の癌を発病し、その会社を売却。治療のために骨髄移植をしたため、あまり外出もできない生活が続き、リハビリがてら自分の身近でできることをと思い、町内会の活動をしていたのですが、その中での地元の人たちとのコミュニケーションがきっかけでした。

ー町内会の活動が福水戸家を作ることに繋がったのですか?

はい。闘病生活で時間に余裕ができたことで、初めて地元に目を向け町内会にも参加するようになり、今までは深く気に留めていなかった“地域の課題”に気づいてしまったんです。そこから地元にフォーカスしたコンサル会社を作ることに繋がっていったように思います。
それに、僕は芸者の置屋で生まれ育ち、父親がいない代わりに地域の人たちに育てられたため、このエリアには恩義があって。でも僕を育ててくれた父親代わりの人たちはもう結構な歳になっていることもあり、次は自分が街のために何かできないかな、と。昔の経営者仲間は海外展開など外に目を向けて行く中、自分は地元・人形町にベースを置き、生まれ育った街に向かい合うことにしました。「福水戸家」という屋号も、置屋の名前をそのまま引き継いだものなんですよ。

―そうだったんですね。ちなみに日本橋の地域の課題とは、主に何だったのでしょうか?

新旧の人たちの相互理解が難しいことは大きな課題ですね。たとえば新しくできた飲食店の方には「この辺りは閉鎖的ですね」と言われる一方で、昔からいる地元の商店の方には「新しく来た人たちがなかなか輪に入ってくれない」と言われることもあって。お互いを気にしているのに、うまくコミュニケーションがとれていなかったんです。

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オンラインサロン「ISOBU」も運営。Youtubeでは福水戸家の経営方針発表会の様子もみることができる

ー具体的には課題解決のためにどのように動かれたのですか?

たとえば町内会の活動のひとつに各家庭に届く回覧板やチラシがありますが、あれ、どこで何をしているか分かりづらい書き方で、届いた人が自分ごととして捉えにくくないですか?そもそもSNSが主流の世の中で、回覧板の存在はかなりアナログですし(笑)。なので、前職の経験を生かしてまずはホームページを立ち上げ、フェイスブック(FB)のページを作り、連絡手段にはLINEを使うなど、コミュニケーションのIT化を図り、誰でも参加しやすい仕組みを作りました。そうすることで「一緒に活動しませんか?」というオープンな姿勢を見せ、デジタルに慣れている世代や、この街に新しく入ってきた人たちの共感を得ることにつながりました。

―町内会の参加メンバーには変化がありましたか?

当初地元でイベントを開催するとうちの町内会からの参加人数は10人程度でしたが、IT化してからは3倍くらいの人が集まるようになり、FBやLINEの登録数も増え続けました。餅つき大会では会場が町内会ごとに区切られるのですが、人数が増えすぎて隣の会のエリアにまではみ出て怒られたり(笑)。

―逆に昔からいらっしゃる地元の方たちはどんな反応だったのでしょう?

最初は「自分たちが作ってきた伝統のやり方を壊そうとしている」と反対する人たちもいましたが、結果がついてきたこともあり、他の町内会に「うちにはIT部隊がいるんだ」と自慢して下さるまでになりました。

集合写真

盛り上がりをみせるFacebookページのトップ画は楽しそうな一枚が(人形町二丁目浪花会青年部Facebookページより)

zoom

オンライン部会なども開催されるように(人形町二丁目浪花会青年部Facebookページより)

ー当初感じていらした街の課題が改善されていったんですね。

そうですね。ただ、僕としては課題解決だけでなく、この成功事例を人形町のある日本橋エリア、延いては中央区全体に広めたいという想いもあって。SNSで情報を発信したり、地域のフリーペーパーに寄稿したり、NPO団体「日本橋フレンド」の交流会「アサゲ・ニホンバシ」で話したりと、自分が取り組んできたことを外に伝えるようにもなりました。すると、「町内会で取り組んだことを、うちの店舗に置き換えられないか」「うちの会社で似たようなことに取り組めないかな?」という声がかかるようになったんです。

ー闘病中とは思えない行動力ですね・・・。

2015年の発病からしばらくは、自宅でできることを中心に個々の相談に応じてきましたが、縁があって2019年に人形町にコワーキングスペース「いいオフィス 日本橋」を構えるようになってからは、会いにきてくれる人も多くなり相談件数がグッと増えました。また、ここ人形町にベースを構えるのであれば今まで個人で活動してきたことを会社として本腰を入れて取り組もうと、同じタイミングで「株式会社 福水戸家」として法人化することにしたんです。

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磯部さんの活動拠点でもある「いいオフィス 日本橋byFUKUMITOYA」。50の座席に、貸しオフィス2部屋、会議室5部屋が揃っている

自らの生き方が示す「決断の早さ」が、課題解決の鍵

ー法人化してからはどのような相談がきましたか?

最初の顧客も、町内会関係の方でしたね。会合で隣に座った方から「代表権を息子に移す予定があるんだけど、僕がしてきた経営とこれからの経営は違うだろうから息子の相談に乗ってほしい」と。実は依頼案件をモデリングすると、この方のように事業継承を考えている社員10人〜15人くらいの中小の問屋・専門商社がほとんどなんです。お父さんから相談があるケース、息子さんが直接相談してくるケースどちらもありますが、いずれにしてもまずは経営者の意識改革から入ることがほとんどで、僕がやっていることはコンサルというよりコーチングが近いかもしれません。

ー磯部さんのコーチングの特徴を教えていただけますか。

「決断の早さ」を重視することでしょうか。事業を続けるのなら「いつかやろう」ではなく、即断して行動に移すことが大事。失敗を怖がらず、早いうちに50回のトライ&エラーを繰り返した方が成長速度が上がる、というマインドを伝えています。僕は発病してから7回くらい死にかけていて、命の危機が3回あったんですね。だから僕自身、決断を早くして今を大事にするという生き方で(笑)。

―ご自身で体現しているから、すごい説得力ですね(笑)

実際お客様にアンケートをとると、手腕の評価より僕の生き方に共感してくれる人が多くて。誰も3年先、5年先は何が起きるかわからないから、答えを示すことは難しい。でも、「僕だったらこうする」ということを伝えながら、その経営者の伴走をする。それが僕の意識改革の進め方です。

例えば、僕の活動は日本橋エリアが中心なので、エリア内の金融機関は大概知っています。なので、お金を借りる算段の手伝いまではできる。ただ、その先、一歩踏み込んで実際に借りてそのお金を使う、という決裁は経営者次第です。この踏み込みができるか否かが、課題解決を大きく左右しますね。

ー大きな決断の連続だからこそ、“伴走”が必要ということですね。

経営者が決断をするときの障壁は2つあると考えています。一つは経営者自身がリスクをとる、という壁。もう一つは経営者が決めたにもかかわらず社員が反対する、という壁です。社長の意識を3ヶ月〜半年で改革したとしても、それだけだと社員はついていけない。だから幹部のマネジメントや、社員のマインドの引き上げを含めると、会社全体の意識改革には短くても1年はかかると思っています。その間経営者に伴走し続ける、というのが僕なりのやり方です。

今後の課題は、業界全体の意識改革

ー日本橋エリアの中小企業が抱えている課題で、特徴的なものはありますか?

本業の収益と所有している不動産による収入とのバランスがとれていない、古参の社員と代替わりした経営者がうまくいかない、使っているシステムが古い、などが多く見られるように思います。特にコロナ禍に入ってからは、不動産収入が落ち込んだせいか、今までうまくいっていた企業でも収支のバランスが崩れてきたという悩みの相談が増えましたね。

ーコロナ禍で多くの相談に乗ってきて、磯部さんが新たに課題として捉えていることはありますか?

我々にいただく相談を個々の課題として捉えるのではなく、類似した課題を持つ企業を束ねて解決方法を探るということも必要になってくる、と思っているところです。例えば、日本橋の東エリアに多い問屋などは、大きなプラットフォーマーが出てきたら勝てなくなる業種。これに対して普通にアプローチすると「問屋はECサイト化が急務!」などと個別の対策として考えられるケースが多いのですが、僕は問屋が自分たちの強みは一体何なのかを、“業界として”今一度考えるべきだと思うんです。僕が考える問屋の良さは、相談に乗ってもらいながら物を仕入れられるところ=人のあたたかみの部分です。そこを重視してDX化するのであれば、単純にECサイトを作るのではなく、デジタル融合をしながらどのように“人”を感じる顧客体験を作り出していくか、が課題になると考えます。これを一社だけの課題とするのではなく、横のつながりで取り組むことで業界全体が変わるのではないでしょうか。

それに、僕としても一社一社アプローチすることには限界があるので、今後は産業全体、業界全体の意識改革をいかにサポートしていくかが、自分の課題になると思っています。今までの取り組みで蓄積してきたノウハウを語れる、伝える場所を開拓していきたいと考えているところです。

福水戸家ならぬ「◯◯水戸家」を各地に広めたい

ー具体的に日本橋エリア内で、どこかの企業と組んで課題に取り組むことも考えていらっしゃいますか。

日本橋エリアでは三井不動産さんがさまざまな活動をされているので、そのネットワークをお借りしてニーズのある企業を集め、勉強会や情報交換ができたら嬉しいですね。いくら僕がSNSで声を上げても、その情報に興味がある人しか集まってこないですし、そもそも本当に意識改革が必要な層にはデジタルだけだと届かないと思うんです。なので、地域に強い三井さんにも協力いただいて、今までの取り組み事例や自分が持っている情報を共有できればと思っています。それで街全体を前向きにできたら良いな、と。

ー今後、磯部さんが実現させたいことがあれば教えていただけますか。

今日は主に企業や業界・街という比較的大きな側面からお話をしてきましたが、その中で働く“個人”の「働く形のアップデート」もぜひ進めていきたいとですね。福水戸家では、創業時からパラレルキャリア人材を積極的に採用しています。具体的には、フリーランスや個人事業主の方にコワーキングスペースを契約してもらい、業務委託ベースで制作物や業務改善を発注。その人が目指す収入やライフスタイルなどに応じてタスク量を調整しつつ、成果物や対数値目標で評価する仕組みです。僕はこの仕組みを“日本のティール型経営”と呼んでいるのですが、この一つの新しい働き方を、企業の仕組みのモデルケースとして成立させたいと思っているんです。

コロナもあり、会社に所属することが全てではない働き方が目立ち始めた今だからこそ、このモデルケースをいろんなところに広めていきたいな、と。日本橋エリアで事例を作り、それを色々な場所へ展開し、各地に「◯◯水戸家」が作れたらおもしろいですよね。日本橋は昔から“五街道の起点”として色々な場所へ向かう原点の地でもあるので、ここから日本各地に展開していくべく、アップデートされた「働く形」のモデルもこの地で作れたらと思っています。

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磯部さんは、日本橋が変えるべきものを変えた状態を、聖地の代名詞である「エルサレム」に準え「エドサレム」と呼ぶ。オフィス内にはエドサレムをモチーフにした手ぬぐいも

スクエア

三井不動産との合同イベント

福水戸家のノウハウを必要としている企業やお店に伝え、街の課題解決のきっかけを作るイベントを、日本橋の街に精通する三井不動産さんと協力して開催したいです。

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末廣神社

この近辺では小網神社が取り上げられがちですが、末廣神社は所属する浪花町会のエリア内にある小さな神社。僕にとってはいつも神々しく見える、氏神様です。

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:岡村大輔

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