Interview
2021.07.07

目指すは「長屋」の管理人? 日東タオルの三代目が描く事業継承と街づくりのビジョン。

目指すは「長屋」の管理人? 日東タオルの三代目が描く事業継承と街づくりのビジョン。

日本最大の問屋街である日本橋横山町・馬喰町。この街で2017年末にオープンしたのが、カフェを併設したタオルのセレクトショップ「MORALTEX LAB(モラルテックスラボ)」です。実はこのお店、問屋街では知らぬ者はいない“黄色いビル”でお馴染みの老舗タオル問屋「日東タオル」の三代目、鳥山貴弘さんが代表を務めています。問屋街と異業種を橋渡しする役割も担う鳥山さん曰く、「今この街には新しい風が吹いている」とのこと。今回は、そんな問屋街の未来像や三代目として抱く事業継承への想いを聞きました。

モラルテックス立ち上げのきっかけとなった、衝撃的な出会い

―鳥山さんは日東タオルの三代目でもありますが、「事業を継ごう」と思ったきっかけは何だったのでしょうか?

やはり、父(日東タオル代表取締役の鳥山博司氏)が還暦を迎えたことが大きかったですね。僕は大学卒業後に仙台で10年ほどコンサルタントとして働き、その後は都内で教員をやっていたのですが、30代前半の頃に「長男だし、そろそろ実家に戻らないとなあ」と考えはじめ、家業に入る選択をしました。ただ、自分が日東タオルに戻ったときの問屋業界は、すでに下降の一途を辿っていました。タオル問屋自体も好調な業種とはとても言えず、僕が最初に任された仕事というのは、事業規模を適正化していくこと。経営の数字と向き合いながら「このままでは成り立たないから縮小しましょう」と周囲を説得して、店舗を畳んだり、組織を再編成したり。現場では毎日ケンカばかりでしたよ(笑)。

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モラルテックス株式会社代表の鳥山貴弘さん

―そこから社内ベンチャー的に「モラルテックス」を立ち上げたのには、どんな経緯があったのですか?

日東タオルに戻って3年くらいはタオルの勉強をしていたんですが、今までと同じことをやっていてタオル屋が復活していく……というビジョンが描けませんでした。そんな中、東京・青梅にある「ホットマン」というタオル専門メーカーさんが技術協力していた展示会で、その社長の坂本将之さんとお話する機会がありまして。それはもう、衝撃的な出会いでしたね。とにかく坂本さんのタオルに対する知識、語り口、熱量にガツンとやられてしまった(笑)。恥ずかしながら当時は詳しく存じ上げなかったのですが、「この人は一体どんなタオルを作っているんだろう?」と調べれば調べるほど、いかに魅力的な会社なのかということを知ったんです。そして、「坂本さんとなら、日東タオルが生まれ変わるためのヒントを学べるかもしれない」と思いました。ですから、モラルテックスを立ち上げた最大の理由は「坂本さんと組みたかったから」に尽きますね。

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「ホットマン」の坂本社長と鳥山さん(画像提供:モラルテックス)

―なぜ日東タオルとしてではなく、新しい会社を立ち上げたのでしょう?

ホットマンさんはSPA(製造小売業)なので、いわゆる卸売業とはお付き合いしていなかったんですよ。自社ブランドがあって、それの「技術協力」という立ち位置であれば、喜んで手を貸しますよと。それで「じゃあ会社つくります!」と伝えて(笑)、すぐに企画書をまとめました。ちなみにモラルテックスという名前自体は、日東タオルが創業以来ずっと販売してきた看板商品の名前でもあります。「モラル(Moral)」には倫理、「テックス(Tex)」には織物という意味があるので、その2つを組み合わせた造語です。語感として昨今の「SDGs」のような社会課題と共鳴しますし、企業としても地域としても「サスティナブルでありたい」という僕らの想いに重なる名前だと思っています。

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“世界一のタオル”を目指してホットマン社と作った「オッキデ」をはじめ、モラルテックスの商品は上質な肌触りや吸水性が特徴

―新会社設立にあたって、お父様にはどのようにプレゼンされたのですか?

正直に「坂本さんと組みたいんだ!」という想いを伝えましたね。父も卸売業として大阪のメーカーを開拓したことがありますし、僕の世代で「何か新しいものをつくる」という気持ちや熱意については理解してくれたので、「それならやってみろ」と。あとは、僕が帰ってきて半年後に叔父の和茂(元日東リビング社長の鳥山和茂氏)が亡くなってしまったことで、彼が手掛けていたタオル事業や街づくりの事業を僕が引き継いでいこうとしたことも、父なりに評価してくれていたのかもしれませんね。和茂は2003年から2010年まで開催されていたアート・建築・デザインの複合イベント、「CET(セントラルイースト東京)」の発起メンバーで、その実行委員長も務めていたんです。彼が長年築き上げてきたこの街での人の繋がりがこのまま途絶えてしまうのは勿体ないですし、当時の熱狂を僕たちの世代でも再び巻き起こすことができれば、問屋街に興味を持ってくれる方が増えるんじゃないかと考えました。

―鳥山さんがチャレンジ精神旺盛なのは、きっと血筋なんでしょうね。

そうですかね(笑)。祖父(創業者の鳥山昇氏)は戦後すぐに福井の田舎から妹2人を連れて上京し、「日本橋横山町にお店を持ちたい!」という強い想いを原動力に何百万円もの資金を貯めたそうですから。そういう開拓者精神は僕も持っていたいと思いますね。

「長屋」のようなコミュニティに憧れて

―ではあらためて、「MORALTEX LAB」がどんな場所なのかご紹介いただけますか?

「日常のなかでも、タオルについてもっと話してほしい」という想いから生まれたオープンなスペースです。タオルの専門家が常駐していて、モラルテックスの商品の拭き心地を実際に試すことができますし、併設されたカフェ「BUTTERFLY effect」は近隣の方たちの憩いの場としてご利用いただいています。コロナ前にはイベントやワークショップも開催していたんですよ。

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「MORALTEX LAB」では高品質なタオルの数々を実際に試せて、その場で購入が可能

―たとえばどんなイベントを開催してきたのですか?

印象深かったのは、立川志の輔一門二ツ目・立川志の彦さんに高座をやっていただいたことですかね。多くのお客さんが来てくださり大盛況でしたので、コロナが収まったらぜひまた開催したいです。あとは、今年3月に箏曲家の西陽子さんにも演奏会「poetic」を開いていただいて、そちらもすごく好評でした。こうしたイベントやカフェをきっかけにタオルを知ってもらうのでもいいし、タオルがきっかけでイベントに参加してもらうのでもいいし、この場所がそういった人やタオルとの「出会いの場」として機能してくれたら嬉しいですね。

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箏曲家・西陽子さんの演奏会には多くの人が集まった(画像提供:モラルテックス)

―問屋さんがセレクトショップ&カフェを運営しているという点も興味深いですよね。このアイディアの原点はどこから来たのでしょう。

単純に、人が集まってワイワイガヤガヤする場所を作りたかったんです。僕は江戸時代に栄えた「長屋」というコミュニティの在り方が大好きで、長屋のようにそれぞれ得意な分野を持つ人たちが寄り合う場を持てたら良いなと。たとえば贈答品に困ったら僕らが相談に乗るし、それ以外の困りごとがあっても、ここに来れば誰かに出会えてその道のプロが助けてくれる…みたいな。「MORALTEX LAB」のコンセプトを考えていた当初から、そんなイメージを頭の中に持っていました。

―「MORALTEX LAB」が生まれたことで、これまでの取引先や街の人々からはどんな反応がありましたか?

「おいおい、日東さんどうした!?」という感じですかね(笑)。和茂も別会社を立ち上げて街づくりや新しい人との関わりに重点を置いていった人なのですが、父親はけっこう職人気質なので、今までのお客さんを守っていこうとするタイプ。そういう意味では、日東タオル自体も周囲からは「前例を踏襲する堅実な会社」だと思われていたはずです。それなのに、僕が戻ってきてからどんどん店舗は閉まっていくわ、なんかお洒落なカフェはオープンさせるわ、メールマガジンやSNSもバンバン活用するわで(笑)。周囲に驚きを与えているんだろうなと思いつつ、「なんか生まれ変わったよね」と温かく見守ってくださる方が多く、ありがたい限りです。

「タオルの可能性を拡張するプロジェクト」で、次々にコラボを実現

―Webサイトに掲載されている「タオルの可能性を拡張するプロジェクト」についても聞かせてください。現時点で12件のプロジェクトが実施済みですが、そもそもこの企画はどのように始まったのでしょうか?

単刀直入に言えば、「タオル屋が生き残るためのブランディング」としてスタートしました。先ほど「長屋」と言いましたが、やっぱり人と一緒に何かをするのが好きなんでしょうね。それに、「問屋」という括りだけで考えると、タオルって御年賀や粗品という用途で終わってしまいますから、可能性がなかなか広がらない。だからタオル以外の何かと組むことで拡張していく必要があると思ったんです。最終目標としては、プロジェクト達成数100件です(笑)。タオル自体は決して珍しいものではありませんが、刺繍を入れたり、ジャガード織りにしたり、あるいはオーガニックコットンを使ったり……いろんな「こだわり」に対応できるのがうちの強みだと自負しています。

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ウェブサイトには興味深いプロジェクトが並ぶ(モラルテックス公式サイトより)

―特に印象深かったコラボレーションは何ですか?

神田の「ノーガホテル 秋葉原 東京」と作った客室オリジナルタオルや、華硝(はなしょう)さんと一緒にクラウドファンディングを行った「米つなぎ紋様タオル」ですかね。また、最近ではこうした取り組みをきっかけに弊社のことを知った会社さんから、「サウナ施設のリノベーションに向けてクラウドファンディングを予定しているんですが、そのリターン商品として御社のタオルとコラボできませんか?」というお話もいただきまして。自分でも思いがけない繋がりが生まれるので、やっていて良かったなあと実感しています。

<関連記事>「伝統工芸をもっとオープンに。異業種の発想を軽やかに取り入れる、江戸切子の店・華硝の挑戦。」

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江戸切子の華硝とのコラボ企画「米つなぎ紋様タオル」は、プロジェクト公開からわずか3日で目標額に達成

―モラルテックスでは、タオルの学校「Towel School」も開校していますね。

はい。その前身となったのが、和茂がタオル組合に提案したことをきっかけに開催していた「タオル塾」なんです。この塾を通して僕もタオルの勉強をさせてもらいましたし、本場のアメリカやトルコのタオル工場まで見学に行ったりと貴重な体験をしてきたので、次は僕がそこから得たものを伝えていってタオル業界に少しでも恩返しができればなと。それに、僕は前職が教員だったので物事を分かりやすく人に教えることは得意なので、やるなら僕しかいないなと思いまして。そんな使命感から、「Towel School」を始めるに至りました。コロナ収束後は2時間くらいで内容の濃いワークショップも開催できたらと思っています。

街づくりとは、可能性のタネを植え続け絶やさないこと

―今も再開発が続く日本橋ですが、最近の横山町・馬喰町問屋街の動きについて鳥山さんが思うところはありますか?

おそらく、「今のままじゃ生き残れないよね」という危機感は共有していると思います。だから僕はこの街が良い方向に向かうきっかけになるような出会いを信じて、モラルテックスを旗印としつつ「タオル」をキーワードに興味を持ってくれた方には、“来る者拒まず”でお会いするようにしていて。街を変える手段としては、たとえばうちの場合は祖父が遺してくれたビルや建物がいくつかあるので、それらを賃貸物件として運用しながら街を活気づけていくことも一つですが、これからはその貸し先が問屋である必要はないと思っています。たとえばアーティストとか、小売店、セレクトショップでもいい。交通のアクセスも良いし、比較的賃料も安いですし、何より「歴史」というここにしかない要素もありますから。面白くなる素材はたくさん転がっている街だと思いますよ。

―問屋街の再生という観点では、どんなビジョンを描いているのでしょうか。

これは自戒を込めて言うんですけど、僕らの世代だけですべてを変えるのは不可能です。問屋街として200年以上の歴史があるけれど、まだ誰もこの街のはっきりとした未来像は描けてはいないと思うんですよね。そんな中で僕らができることのひとつは、アイディアのある若い世代が興味を持ち続けてくれる街にするということ。「何かが起こる場所」という期待感とでも言いますか。可能性のタネを植え続け、そして絶やさないことが大切なのかなと今は感じています。

―そういうお考えをお持ちだからこそ、鳥山さんのところには多くの人が相談に訪れて、街のハブのような存在になっているのかもしれませんね。

そうだと嬉しいですね。僕は決してタオルに詳しいわけではないし、勤続ウン十年の社員さんたちから見たら、まだまだポッと出の新人です。だから、僕が得意な領域で街づくりを盛り上げていきたい。とりあえず僕のところに来てもらえれば、「でしたらこの方のお話を聞いてみませんか?」とアドバイスすることもできますし、困ったときはお互い様ですから僕の方も相談に乗ってもらうかもしれない。それに、日東タオルの名前があると、若い世代と重鎮の方を繋ぎやすいんですよね。新しい血を入れることに多少の拒否感がある親方世代に対して、もう少しマイルドに僕自身が緩衝材みたいな役割を担っていければ(笑)。

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―最後に、三代目として日東タオルの事業を継承するにあたっての想いや、大切にしていきたいことを教えてください。

若い後継者の方とお話しすると、「まだ事業継承の準備ができてないんです」という声が多いんですよね。そこを僕の知見でお手伝いできればなと。まずはお前が独り立ちしないとダメだろ! って父には突っ込まれそうですけど(笑)。ただ、繰り返しになりますが「街の入口」としての長屋の管理人になりたいというビジョンがあるので、事業継承にお困りの方がいたらその相談役みたいなこともできたらいいなあって。そうそう、華硝さんとのコラボで「私が後継者です」と発信したら、「自分も家業の後継者なんです」っていろいろな方からメッセージをもらえるようになったんですよ。やっぱり、“発信”することって大事なんだなって思います。今後は100年続く企業として、祖父や父にも負けない仕事をしていきたいですね!

取材・文 : 上野功平(Konel) 撮影 : 岡村大輔

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