ピンチをチャンスに変える行動力。レストランの可能性を拡張する「ラ・ボンヌターブル」中村和成シェフの挑戦。
ピンチをチャンスに変える行動力。レストランの可能性を拡張する「ラ・ボンヌターブル」中村和成シェフの挑戦。
コロナ禍によって街中の飲食店は例外なく大きな打撃を受け、日本橋においても各店が苦境の中でさまざまなチャレンジを続けています。その中でもひときわ目立つ精力的な活動で注目を集めたのが、2014年にコレド室町2にオープンしたフレンチの名店「ラ・ボンヌターブル」です。開業時からシェフを務める中村和成さんは、週末のレストラン営業が制限された2020年3月からInstagramによるライブ配信を開始し、家庭で簡単につくれるレシピの紹介や、さまざまなゲストを招いたコラボ配信などを行ってきました。さらに今年に入ってからは、全国の生産者を応援するためのマルシェを店内で開催するなどさまざまな活動を続けています。多彩なアプローチから食の魅力や楽しみを発信し、レストランの可能性を拡張し続けている中村シェフにお話を伺いました。
ファミレスのバイトから料理人の道へ
ーまずは、中村さんが料理人を志すようになったきっかけを教えてください。
もともと音楽が好きで、学生時代はバンドをしていたので、将来はミュージシャンになりたいとか、好きな音楽が流れているところで働きたいとか、夢ばかり見ていましたね(笑)。私はちょうど就職氷河期にあたる世代で、音楽業界やアパレル業界の就職試験を片っ端から受け、さらに公務員試験にも挑戦したのですが、ことごとく落ちてしまいました。その頃は料理人になりたいとはまったく考えていなかったのですが、普段から自炊をしていて料理は嫌いではなかったし、つくったものを友達に美味しいと言われたりすることは快感だったんですね。何も仕事がなかったこともあって、試しにファミレスでアルバイトをしてみることにしたのですが、それが思いのほか面白くて、料理人を志すようになりました。
2014年の開業時からラ・ボンヌターブルのシェフを務める中村和成さん
ーその頃からフレンチのシェフを目指していたのですか?
当時は特に何も考えていなくて、フレンチを選んだのも食べたことがなかったという安易な理由からでした(笑)。大学卒業後に料理の専門学校に通うようになり、23歳から3年ほど「シェ松尾」というフレンチのレストランで働きました。その後、新江古田にあった「レストラン・ラ・リオン」で3年、西麻布の「レフェルヴェソンス」で4年働き、後半の2年間は副料理長を担当しました。そして、「レフェルヴェソンス」の姉妹店として2014年にオープンした「ラ・ボンヌターブル」では、開店と同時に料理長となり、現在に至っています。
ーラ・ボンヌターブルはどんなお店としてオープンしたのですか?
レフェルヴェソンスが敷居の高いレストランだったこともあり、ラ・ボンヌターブルはよりカジュアルに楽しめるお店にすることがテーマでした。だからといって食材の質を落とすのではなく、表現方法を変えるという考え方で、素材をまるごと使うことにこだわっています。例えば、牛を使うにしても、フィレやロースだけではなく、スジや脂など使いにくい部位を上手く活用したり、各地の生産者から届けられる野菜を、風味を逃さないために皮から使うことなども少なくありません。食材を無駄なく使うことで価格を抑え、廃棄を減らすことができるのですが、食材をまるごと使うためには相応の技術が必要で、時間や手間もかかります。だからこそ、自分たちの技術を磨き、カジュアルな価格で最高の料理を提供することを目指してきました。
「Farm to table」を掲げるラ・ボンヌターブルでは、日本各地より届く旬の食材の魅力を最大限に引き出す中村シェフの料理が楽しめる(画像提供:ラ・ボンヌターブル)
コラボレーションで広がった視野
ーラ・ボンヌターブルは、中村さんが初めて料理長を任されたお店だと思いますが、これまでどのような意識で仕事に臨んできましたか?
開店当初は、自分の料理の腕やレストランとしてのクオリティを高めて、繁盛するお店にしようという思いがとにかく強かったですね。やがて、何かに縛られるのではなく、自分の中にあるものを表現していくことが大切だと考えるようになり、そのためのインプットとして産地に足を運んだりして、色々なものを見るようになりました。そして、3、4年目の頃は自分の視野を広げるためにも、多くの方たちとコラボレーションをするようになりました。例えば、他のレストランのソムリエと組んでペアリングディナーを提供したり、シェフ同士で交互に料理をつくったり、レストランの内外でかなりの数のコラボレーションをしましたね。
ーコラボレーションの魅力や楽しさはどんなところにありますか?
コラボレーションするシェフというのは、自分とはまったく異なる道のりを経て、いま同じ仕事をしている人たちなので、それぞれの経験や考え方、価値観、アイディアなどを交換し合えるんですよね。また、お互いのお客様をわかちあえるところも非常に大きくて、企画に参加された方たちが両方のお店のファンになってくれることも多いんです。コラボレーションには、さまざまな面で自分たちの世界を2倍、3倍に広げてくれるところがありましたね。
ーお客さんとのコミュニケーションにおいて大切にしていることがあれば教えて下さい。
料理の味、空間、時間など、お客様によって大切なものが異なるので、そのテーブルに何が求められているかということを考えた上で、オケージョンに合わせたサービスを提供することを心がけています。例えば、接待で使われるお客様には、良いタイミングで適切なサービスを提供することが何よりも大切ですし、カップルのお客様ならゆっくり過ごせる時間と空間を求められるかもしれません。食への関心が高いお客様には、私から積極的に料理の話などをすることもあります。また、男性の方で量が足りなさそうな場合は多めに提供したり、お年を召したお客様には柔らかいお肉の部位を選ぶなど、お客様一人ひとりに応じて微調整することも意識しています。
ーいまや日本橋を代表するフレンチのお店となったラ・ボンヌターブルは、「繁盛するお店」という中村さんの当初の目標を達成できているように思います。
おかげさまで多くのお客様にお越し頂くことができ、お店はとても順調だったのですが、その反面、マンネリ化していたところもありました。忙しかったこともあってとにかく突っ走ってきたのですが、お店を回していくことで精一杯で、なかなか新しいアクションを踏み出せずにいたことも事実でした。
ラ・ボンヌターブルの店内の様子(画像提供:ラ・ボンヌターブル)
コロナ禍に始めたSNSのライブ配信
ー新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた昨年の春には、Instagramによるライブ配信をされるようになりましたね。
はい。緊急事態宣言が出る前の3月後半に週末の営業自粛の要請があり、予約されていたお客様に初めてお断りの電話を入れたんです。それがとても虚しくて、このままじっとしていられないという思いから、その次の日にインスタライブを始めました。きっかけは、コロナ禍にラッパーの人たちがインスタライブでコラボ配信などをしているのを目にしたことでした。その頃は料理人でライブ配信をしている人を知らなかったのですが、特に深いことは考えずに始めてみました。すると、レストランで限られたお客様を相手にしている時とは比べられないほどの数の人たちに喜んで頂けたんですね。当時ステイホームをしていた多くの人たちに求められていたのだと強く感じました。
ーインスタライブでは、手近に揃えられる食材で料理をする企画などをされていましたね。
コンビニのカップラーメンなどが品薄状態になっていた時期だったので、スーパーで買える食材でレストランの味を簡単に表現できる技術を伝えることをテーマにしていました。ただ、毎回ぶっつけ本番に近かったのでハプニングは多かったですね。例えば、カルボナーラをつくっている時に、ベーコンを炒めて白ワインを入れたら爆発したり(笑)。「美味しい料理には爆発が必要だ」とか適当なことを言ったらウケたので、ハプニングを売りにすることにしました。フレンチのシェフなのにパスタや麻婆豆腐などもつくっていたのですが、いま自分にできることは、料理のプロとして食を通じて喜んでもらったり、業界を盛り上げていくことだと考え、ほぼ毎日のペースで続けていました。
※スタート直後はほぼ毎日配信をしていたというインスタライブによる料理教室「ハプニングキッチン」の一例
ー印象に残っている視聴者の反応はありますか?
多くの人たちが自分でつくった料理の写真を送ってくれました。また、配信をきっかけにお店の存在を知ってくださった方たちから、コロナが落ち着いたら「絶対行きます」というコメントを頂き、営業を再開してからは実際に配信をご覧になった多くの方が来店されています。これまで、お店の常連になって頂くまでには、料理の味に満足して何度かお店に足を運んで頂き、徐々に信頼関係を築いていくという、なかなか長い道のりがありました。一方でインスタライブをご覧頂いた方たちは、初めてお店に来て対面した瞬間に常連さんになってくれるような不思議な感覚があるんです。自分という人間を表現することによって人の心に何かを訴えかけ、お店にまで足を運んでもらえるまでになるのが、SNSの時代なのだと感じています。
※インスタライブの中でもコラボレーションを実施。こちらは2020年夏に、日本橋のフレンチの名店「ラペ」の松本一平シェフを招いて行ったインスタライブの様子
アクションを続けるレストラン
ーコロナ禍にはインスタライブの他に、店舗を使った朝市を週末に開催されていましたね。
インスタライブを通して視聴者の方たちに有益な情報をお届けできたとは思いますが、食材をまわしていけないという課題がありました。そこで、マルシェという形でレストランが使っている食材や、それをさまざまな方法で調理した加工品を売ることにしたんです。さらにその様子をSNSで発信することで、全国の生産者さんたちの存在を宣伝できればと考えました。これまでは最高の料理をつくるということがレストランの価値でしたが、たとえ営業ができなくても、食のハブとしての役割を担うことで、レストランの可能性を広げていけるのではないかという思いがありました。
毎週日曜の朝に開催されていたラ・ボンヌターブルの朝市。全国の生産者による野菜や果物を中心に、中村シェフがつくる真空パックの加工品なども販売されていた(画像提供:ラ・ボンヌターブル)
ー朝市や、その後に始められた「生産者応援マルシェ」は、普段レストランには足を運ばない人たちとコミュニケーションする機会にもなりますよね。
そうなんです。マルシェを開くことで、ラ・ボンヌターブルを高級フレンチのお店だと思っていた方たちも気軽に入ってくれるようになり、交流が持てるようになりました。この界隈は週末の朝は人通りもそう多くないですし、どこまで需要があるのか当初は不安もあったのですが、いざ始めてみると多くの方がリピーターになってくれました。また、このお店は意外と朝が似合うということを発見できたり、やってみてわかったことがたくさんありましたね。
ーコロナ禍によってさまざまなアクションを起こしたことで、多くの気付きがあったのですね。
はい。これまでとはまったく別の店になったと言ってもいいくらい表現方法は変わりましたし、色々な可能性が見えてきました。例えば、インスタライブを見てくれた方たちに料理を直接お届けしたいという思いから冷凍加工品をつくり、ダイレクトメッセージのやり取りだけで全国のお客様に配送したのですが、想像をはるかに超える注文を頂くことができました。また、先に話したシェフとのコラボレーションというのもインスタライブでは簡単に実現できて、なおかつそれを全世界に発信できる。日々の営業で精一杯だったコロナ禍以前にはいまの状況は全く想像できていませんでしたし、レストランとして大きく前進できたと感じています。
ーラ・ボンヌターブルの発信を受け取る側にも、これまでにはなかったレストランとの接点や食の楽しみ方を発見できた人は多かったように思います。
そうですね。これからは、レストランというひとつの空間の中だけで世界観を表現する時代ではなくなっていくと感じています。もちろん、この場で料理を提供することがこれからも大きな軸ではありますが、あくまでも日本橋にあるラ・ボンヌターブルは活動の拠点に過ぎず、ここからさまざまなアクションを起こすことで食の魅力を国内外に発信していきたいですね。例えば、冷凍加工品にしても、気持ちを込めてお届けしたものを温めてお皿に盛り付けて頂ければ、それぞれの食卓がラ・ボンヌターブルになると思っています。私たちだけに限らず、各々のレストランがそれぞれの方法で、自分たちのことを表現ができる未来になるといいですね。
街のプレイヤーと協力し、朝の文化をつくる
ーラ・ボンヌターブルの発信拠点となる日本橋という街の印象についてもお聞かせ下さい。
ラ・ボンヌターブルを開く前までは、日本橋に来たことがほとんどなかったんです。「日本の橋」と言うくらいですし、東京駅にも近いので、経済の中心地なんだろうという漠然としたイメージしかありませんでした(笑)。開店してからはずっと日本橋に住み続けているのですが、やはりどこに行くにも非常に便利な場所ですよね。また、日本橋には昔からあるお店が多いですが、みなさん横のつながりをとても大切にされていますし、日本橋のことが大好きで誇りに思っている方が多くて素敵ですよね。この街には、「競争」よりも「協力」の意識が強く働いている気がしますし、いまの時代に必要なことをずっと前から実践してきた街なのだと感じています。最近は、私が暮らしている兜町界隈にも新しいスポットができていて、昔からあるものの中にさり気なく新しいものが交わってきているんですよね。
日本橋の名店の味と体験を三段のお重に詰めて自宅で楽しめる企画として開催された「日本橋 宴づつみ -2021 春-」。ラ・ボンヌターブルも同企画に参加し、フレンチの枠にとらわれない和洋折衷の味を詰め込んだお弁当を販売した(画像提供:日本橋宴づつみ)
—今後日本橋の街でやりたいことはありますか?
先ほど朝市の話をしましたが、日本橋は朝が似合う街だと感じますし、朝の文化がこの街に根付いたらいいなと思っています。それこそ各店が朝から営業し、街全体が朝市のようになる日があっても面白いですよね。こうしたことは自分ひとりで実現することはできないので、同世代で以前から交流があるラペの松本(一平)シェフをはじめ、色々な方たちとそんな話をしています。
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松本シェフら日本橋の飲食店の店主たちからも、中村シェフの取り組みは注目を集める。
「街の繋がりから生まれた多彩な飲食店ビル。3人の料理人が描く“垣根のない街”の未来。」
ー中村さんの構想が実現する日は、そう遠くないかもしれないですね。
コロナ禍でこれまでにないほど多くのアクションを起こしたので、いまは自分の中でやりきった感があるのですが(笑)、一度クールダウンをしたらまた色々動き出したいですね。コロナ禍によってレストランからお客様が遠のいていく状況を黙って見ているという選択肢は自分たちにはないですし、さまざまな価値観が変わったいまだからこそできることがあるはずです。いまは新しい表現が受け入れられやすい状況が社会にあると思いますし、自分の中に表現したいこともたくさんあるので、色々な分野の人たちと一緒に、この街を楽しく盛り上げていきたいですね。
中村シェフは、以前にBridgineでも取材した「日本橋フレンド」が主催するイベント「アサゲ・ニホンバシ」にゲスト出演している(日本橋フレンドウェブサイトより)
日本橋に朝の文化をつくる仲間
さまざまな分野の人たちと協力して、日本橋の街全体が朝市となるような、朝の文化を根付かせていきたいです。
江戸桜通り
春にはオカメザクラが満開になるレストランの前の通りで、季節とともに変わっていく風景を見るのが大好きです。家からレストランに行くまでの道は2通りあるのですが、100%こちらを選んでいます。日本橋で最も好きな通りですね。
取材・文:原田優輝(Qonversations) 撮影:岡村大輔
ラ・ボンヌターブル
ミシュランで三つ星を獲得したフレンチの名店「レフェルヴェソンス」の味をより手軽に味わえるセカンドダイニングとして、2014年に日本橋・コレド室町2にてオープン。開業時から料理長を務める中村和成シェフのもと、「Farm to table(生産者から消費者へ、農園から食卓へ)」「Whole food(丸ごとの食べ物、命の尊厳)」「Chefs to guests(料理人からお客様へ)」を掲げて営業を続けている。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、2020年3月よりInstagramによる動画配信を開始し、2021年からは店舗の一部を開放して朝市や生産者応援マルシェを開催するなど、柔軟かつ精力的な取り組みを行っている。