Interview
2021.10.07

“新しもの好き”の江戸っ子精神で市場を切り拓く。今に生きる江戸のタイポグラフィ。

“新しもの好き”の江戸っ子精神で市場を切り拓く。今に生きる江戸のタイポグラフィ。

国立劇場、国立演芸場のポスターや有名社寺の筆耕に携わる傍ら、日本橋の料理飲食業組合青年部「三四四会」のロゴ・マークなども手がける、橘流寄席文字・江戸文字書家の橘右之吉さん。長年にわたり日本橋との縁を大切にされ、世代を超えて多くの人々から慕われています。今回はそんな右之吉さんに、江戸文字の歴史や活用法、ご自身が手がける作品について、そして日本橋への思いや今後期待していることをお伺いしました。

マーケットは自分で見つけ、広げていく

ーまず最初に、右之吉さんが江戸文字や寄席文字に出会ったきっかけを教えてください。

僕は浅草の鳶頭の息子として生まれました。家業の付き合いの関係上、父親がもらってきた演芸場の券が僕に回ってきたり、隣の銭湯の番台で演劇のビラを手に入れたりと、子供の頃から芸事が身近にあってよく観に行っていました。様々な分野の演芸鑑賞をするうちに、興行のポスターや寄席の“めくり(出演者名を書いた紙製の札)”などに興味を持つようになり、最初は真似事で文字を書いていたんです。そうしたら、ある時それを見ていた父親が、「本当にやりたいならきちんと師匠について、自分の身につけた方が良い」と。当時は家業を継ぐことが当たり前と思われていた時代でしたが、鳶の息子なのに僕は高いところが苦手だったこともあって(笑)、家業を継がせるより好きなことに邁進したほうが良いと父親も考えてくれたのでしょう。たまたま叔母が橘流寄席文字の家元・橘右近師匠のご自宅の隣に嫁いだこともあり、師匠を紹介してもらったのが15歳のとき。そこから入門し、19歳のときに正式に「橘右之吉」という筆名をもらい、活動をはじめました。

ー寄席文字の師匠に師事されていますが、現在は幅広い分野で江戸文字を使ったクリエイティブに携わっていらっしゃいますよね。

そうですね。そもそもの定義について少し説明しますと、「江戸文字」とは、江戸時代に、芝居・寄席・相撲の世界・染物・千社札・提灯などに使われていた独特の文字を総称です。元々は、公文書や小判に使われる御家流と呼ばれる書体でしたが、それぞれの分野で独特の書風に変わり、発展を遂げてきました。なので江戸文字の中でも例えば寄席演芸で使われるものは「寄席文字」、相撲の番付に使うものは「相撲字」というように、様々な書風が存在しています。今でもよく目にするものでは、千社札や半纏に使われている「籠字」などもありますね。

僕は寄席文字の橘右近師匠に師事しこの世界に入りましたが、江戸時代は400近くあった寄席も、いまや都内には片手で数えるほど。寄席だけをマーケットとしてとらえていても拡大は望めず、文字の文化を広められないと考え、江戸文字を使った幅広い提案をするようになりました。もともと新しいことをするのが好きなもので、千社札をミニシールにしたり、寄席以外のジャンルで様々な筆耕を手掛けたり、ワークショップをしたりといろいろなことをやってきましたね。ヨーロッパの有名ブランドとのご縁をいただいて、外国の方向けに当て字で商品に名入れをしたこともあります。ジョンソンさんには“慈音尊”ですとか(笑)

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SNSにも積極的な右之吉さん。Twitter、Facebook、Youtubeと精力的に活動をしている

洒落がきっかけで広がった千社札シール

―いま「千社札」という例も上がりましたが、昨今よく見かけるミニ千社札シールも右之吉さんが発案されたものだそうですね。

もともと千社札は、江戸時代に神社仏閣を参拝した証に自分の名前を書いた札を残すことでご利益をいただこう、という民間信仰で広まったものです。シールにしたのは立川談志師匠が最初ですが、千社札の伝統の文字と造形を引き継ぎ、使いやすくミニチュア化したのがこのミニ千社札シールです。注文生産のオリジナル商品で、昭和45年の販売開始以来、芸者さんや噺家さんの名刺代わりとして、さらに昨今では宝塚のスターや一般のお客様にもお使いいただいています。

―どのような背景でこのミニ千社札シールのアイデアが生み出されたのでしょう?

今から40年以上も前ですが、とあるホテルの大広間で行われた東京の日本料理店が集まる「全国芽生会連合会東京大会」というパーティーのお手伝いを頼まれたことがありました。料理店のほかに、東京・六花街(芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草・柳橋の、料亭やお茶屋さんが集まっている地域)それぞれの花柳会から10人ずつ芸者衆が出席し、お客様は300人ほど。全国からいらっしゃるお客様へ、芸者衆がご挨拶・ご接待をするために名刺代わりのツールとして使っていただいたのです。

ー紙ではなく、シールにした理由を教えていただけますか?

お渡しする際にお客様に「財布の内側に貼ってください」と伝えるためです。財布に着目したのは、「お金が舞い込む(舞妓)ように」(舞妓)、「お金が“もっと”舞い込む(元・舞妓)ように」(芸妓)という意味を込めたから。縁起の良い洒落でしょう?(笑)財布だと開くたびに目にしますから、お客様にも思い出していただけますしね。渡す芸者衆にも、もらうお客様にも分かりやすい意味を持たせることで、ミニ千社札シールの存在を広まりやすくしました。

―なるほど。それは渡す側も会話のきっかけになりますし、お客様も楽しく使ってくれそうです。

実際、このパーティーに来ていたお客様方が、ミニ千社札シールの意味や用途を覚えていてくれたことで、各地の花柳界で存在を広めてくれました。また、僕自身も京都の花柳界でも使ってもらえるようお茶屋さんに予め作ったシールを持っていき、その意味を説明したところ、面白がって使ってくれる芸者衆が増えたんです。

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右之吉さんがデザインした千社札シールの一部。テレビや舞台、ファッション業界で活躍されている方のシールも

江戸文字が多く活用されている日本橋エリア

―クリエイティブに意味を持たせる、ということは重要なことですね。

それは僕がとても大切にしていることでもあります。元々、それぞれの江戸文字には意味があるからこそ、分野によって書風が違うんです。例えば寄席文字は、席が埋まるように、と筆太で余白は少なく、今日より明日、明日より明後日が良くなるように、と右肩上がりに一筆で書き上げるのが特徴です。

寄席文字

少ない余白や跳ね部分に特徴のある寄席文字(画像提供:UNOS)

日本橋エリアにも江戸文字を使ったロゴやマークが多くありますよね。例えば「にんべん」さんのロゴ。創立当初の屋号「伊勢屋伊兵衛」を表す「イ」の右にある「かね」部分は、「指矩(さしがね)」を意味しています。指矩は家を真っ直ぐ建てるために使う大工道具の一つ。つまり、「指矩で寸法を図ったように真っ直ぐな(正直な)商売をします」という意味が込められているんです。

加工ロゴ

「カネにんべん」のロゴ (にんべん公式サイトより)

もう一つの事例は「三越」さん。三越のマークは、円の中に「越」という文字が入っていますが、その筆の跳ね先に注目してみてください。跳ね先が髭のようになっていますが、髭の数がそれぞれ三・五・七になっているんです。これはすべて奇数、つまり「吉数」ととらえ、縁起の良さを表しています。

―意味を知ると、その企業やお店が大切にしていることや姿勢がよくわかりますね。

江戸時代に作られているロゴやマークは、こういうものが非常に多い。だからロゴのリニューアルを頼まれるときなどは、まず昔から使われているロゴの意味を汲み取った上で、「これにはこういう意味が込められていますが、変えてしまっても良いのですか?」と確認することもあります。

形としてとらえて「こういうものです」と言ってしまうのは簡単ですが、そこに込められた意味を知って使うのと知らないで使うのとでは、納得感が違いますし、愛着の度合いも変わってくるはずです。

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「中村座」の「村」部分に「、」がないのは、まだまだ未完成、精進します、という意思が込められているそう

―右之吉さんは日本橋の料理飲食業組合青年部「三四四会」に纏わるクリエイティブも作られていますよね。その背景や込められた意味も教えていただけますか?

先ほど千社札の話でも触れた「芽生会」で、うなぎ割烹「大江戸」さんや割烹「とよだ」さんの先代と知り合ったことから、日本橋界隈のお料理屋さんとのお付き合いが始まりました。

彼らも所属する三四四会とのお付き合いは、若旦那衆が集まって三越の天女像の前で夏に浴衣のファッションショーをする際の、帯のデザインを頼まれたのが最初でしょうか。また、揃い半纏を手がけたときは「日本橋」というキーワードから橋をモチーフにしたいと考えていたのですが、僕が選んだのは「八ツ橋」。ぱっと見だけでは何を表しているか分からないけれど意味がある仕掛けを作りたくて、シンプルな八ツ橋を二本(日本)デザインすることで「日本橋」を表現しました。

集合写真

浴衣で若旦那衆の個性を出しつつ、帯を統一してまとまりをみせた、2015年の「日本橋三四四会 日本橋三越 浴衣ファッションショー」(画像提供:三四四会)

その後策定した三四四会のマークには、牡丹(ぼたん)字を使っています。これは、百獣の王・獅子と対になる百花の王・牡丹を表現し、「日本橋に欠かせぬ存在」という意味を込めました。さらに「三・四・四」のうち、一つの「四」をひっくり返していますが、これは「何かあっても、すぐに元に戻れる(立て直せる)」という強さを表現しています。

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牡丹字を使った三四四会のマーク

―そんな背景があったのですね。ちなみに右之吉さんからみた、三四四会をはじめとする日本橋界隈はどのような印象でしょう?

街全体で、伝統を守りながら、新しい挑戦をし続けている印象がありますね。特にこの春にやっていたお弁当のコラボレーション(日本橋宴づつみ)など、老舗がこれまでの枠にとらわれないチャレンジをしていることには感心します。皆さんが新しい取り組みをされるたびに「右之吉さんが作ってくれたミニ千社札シールをこんな風に使って良いですか?」などと聞かれるのですが、どんどん使って欲しいですし、僕自身そういうことに役立てるのがすごくありがたい。作ったものが思いもよらないところで使われているのを見ると、嫁にいった娘と意外な場所でばったり再会できたような嬉しさがあるんですよ(笑)。

ミニ千社札シールの話もそうですが、僕も江戸文字の伝統を守りつつ、新しいことをやってきているので、どこか日本橋の皆さんの姿勢と重なる部分もあって。むしろ彼らの挑戦にどんどん巻き込んでもらいたいと思っています。

縁を大事に、ビジネス視点で伝統を変革していく

―今後、右之吉さんはどのような活動をされていきたいですか?

今までもそうですが、江戸文字の伝統を守りながら、ご縁を大切に、時代に合わせて新たな場所での展開を考えていきたいですね。

例えば最近で言うと、「ブラックアイパッチ」というアパレルブランドの依頼を受けました。これは原宿にある西山理髪店という床屋さんにあった私の書いた文字をみたブラックアイパッチの関係者が、うちも同じような看板が欲しいと声をかけてくれたことから始まって。「ブラックアイパッチ」というブランド名をどう表現するかを考え、「黒眼帯」と書いた招木看板を制作しました。さらにそのデザインをJTの電子タバコとコラボさせ、それを販売するための1日限りのポップアップショップを開催。そこには僕が出向き、コラボした電子タバコの購入者向けに文字入れを実施したり、「黒眼帯」のロゴが入ったパーカーなどを販売し、多くの若者で賑わいました。

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老舗が集まる東都のれん会の筆耕の横には、若者に人気のブラックアイパッチの招木看板。UNOSのアトリエには多種多様な作品が所狭しと並んでいる

―若い層には江戸文字が新鮮に映るんでしょうね。そうやって伝統文化が広がっていくのはうれしいことですね。

お客様からの依頼ごとは、何事もまずは一度話を聞いてみる。この姿勢はずっと変わっていません。伝統だからと制限をかけるのではなく、広い土俵に乗った方が文化も広がり、後世まで残ると思うんです。その代わり、キワモノで終わらないように、自分が納得するものを作るということも重要です。 長年かけて築き上げてきた江戸文字の文化をここで終わらせないためにも、常にどうやったら受け入れてもらえるのか、を考えながら、時代に則したアイデアを形にしていきたいと思っています。

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スクエア

「うなぎ割烹 大江戸」、「日本橋いづもや」

毎年三越の「日本の職人 匠の技展」に出展しているので、会期中は毎日日本橋の馴染みのお店に寄ることも、楽しみの一つ。うなぎに関してはこの二店舗が双璧で、どちらも選べないほどお気に入りのお店です。

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:岡村大輔

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