職人の技を大切にし、日本の傘産業を牽引。問屋街のアップデートを目指す老舗洋傘店の挑戦とは。
職人の技を大切にし、日本の傘産業を牽引。問屋街のアップデートを目指す老舗洋傘店の挑戦とは。
昭和5(1930)年に創業した老舗洋傘店、「小宮商店」。愛着をもって長く使ってもらえる“つくりのよさ”にこだわった傘を、職人がひとつひとつ手づくりしています。外国産の安価な傘に押され、国内の傘産業が衰退していくなか、立て直しを図り業界をリードしていこうと奮闘する小宮商店が、大切にしていること・目指していることとは? そして、小宮商店の店舗がある馬喰横山の問屋街をこれからどのような街にしていきたいのか。小宮商店の3代目、小宮宏之さんに話を伺いました。
衰退する傘産業において、職人技・品質にこだわり、業績回復を図る
―まず、創業者が洋傘づくりを始めたきっかけ・背景について教えていただけますか。
山梨出身の初代・小宮宝将が上京し、繊維の街である日本橋・浜町で創業しました。洋傘が明治・大正時代の流行の最先端であったことと、素材となる甲州織の生地屋さんにツテがあり商材が入手しやすかったことから、洋傘づくりを始めることにしたようです。まずは知り合いの傘職人のところで丁稚奉公をし、修行を積んで一人前になった後、昭和5(1930)年に独立。太平洋戦争の空襲で焼けてしまうまで、浜町に店舗を構えていました。
―戦後の小宮商店および傘産業はどのような変遷をたどったのでしょうか。
昭和40(1965)年ごろ、日本は傘の生産量・消費量・輸出量において世界一でした。日本人って傘が好きなんですよね。今では考えられないほど、傘産業は盛んだったのですよ。現在の小宮商店がある東日本橋界隈だけでも、70軒以上の傘関係の店があったそうです。2代目の小宮武は高度経済成長期に業務拡大を図り、国産に加えて中国製も取り入れて、製造卸を手掛けました。順調に売上を伸ばしていったのですが、平成初期にバブルが崩壊。多くの傘製造会社が人件費の安いアジア諸国に製造拠点を移し、安い中国製の傘がどっと入ってきました。
―確かに、今よく見かけるのは中国製の傘で、日本製の傘は希少なイメージです。
そうですね。安い中国製傘が市場を席巻したことで、国内産の傘に対しても値下げ圧力が高まり、コストを下げるため品質が低下していきました。その結果、国内産の傘は価格では中国産にかなわないのに、品質もそんなによくないという、中途半端な立ち位置に……。それでますます日本の傘産業は衰退し、若い職人もどんどんやめていきました。500円傘が出回り始め、5000円以上もする国産の傘は見向きもされないような厳しい時代に、私は小宮商店に入社したのです。
やわらかな物腰で小宮商店の歴史を語る、3代目の小宮宏之さん
―そんな大変なときに入社されたのですね……。どのように小宮商店を立て直していったのでしょうか。
私は2000年に入社したのですが、その前年に会社は赤字に転落し、規模縮小を余儀なくされました。小宮商店は製造卸だったので、街の傘屋さんがどんどん潰れていくにつれて、売り先がなくなっていったのです。店舗の1階を貸し出したり、雑貨を扱ったりしてしのいでいましたが、それだけでは大きなテコ入れにはならなかったので、思い切って小売を始めることにしました。とはいえ小売のノウハウがあるわけではないので、2002年から「職人展」「伝統の技展」といった百貨店の催事コーナーに出店して傘を直接一般のお客様に販売し、売っていくコツを蓄積していきました。そしてこの百貨店の催事コーナーで好評を得たことから、「やはり日本製傘に力を入れてやっていかなければ」と決意しました。並行して、超軽量傘など特徴のある中国製傘の卸販売も行いつつ、2013年にネット販売、2014年に店舗での販売を本格的にスタートし、業績は回復していきました。
東日本橋にある小宮商店の店舗には、色とりどりの美しい傘がずらりと並び、見ているだけで楽しい。店舗、ネット販売とも、ギフトの売り上げが大きいという
―赤字から見事なV字回復を遂げたのですね。その秘訣を教えてください。
経営が悪化して、あの手この手で切り抜けようとしましたが、やはり「餅は餅屋、傘は傘屋」と原点に立ち返り、職人さんに光を当て、品質を追求したことだと思います。具体的には、職人さんが手間暇かけてつくっているということを、想いやストーリーとともにウェブサイトで発信するほか、新しい職人の採用・育成にも力を入れています。品質に関しては、うちは業界トップといえる「小宮基準」を設けていて、徹底して高品質にこだわっています。ほかの会社だったらやらないような細かな手間がかかっているので、職人さんからしたらかなり大変なんでしょうけどね(笑)。
小宮商店の傘は職人がひとつひとつ手づくりしており、職人の経験と知見が仕上がりを左右する。写真は、カバーを骨に糸で縫い付けて固定する工程で、傘づくりにおいて重要なポイントとなる
また、ネット販売による影響も大きいですね。これまで日本製の傘を買うのは年配の方が多かったのですが、ネット販売の強化で若い客層を開拓することができました。最近は20代・30代でも「ちょっといいものを持ちたい」という人が増えてきているようです。また、ネットで傘を購入されるお客さんは、店舗で買われるお客さんよりも商品そのものに対して見る目が厳しいので、ネットのお客さんに鍛えられて、さらによい傘をつくれるようになってきました。ネット販売では、卸では出せない「小宮商店」という名前を前面に出すことができるので、ブランディングに力を入れ、職人の技や品質をアピールしています。
小宮商店のウェブサイト。美しい写真とともに丁寧な商品説明があり、商品を選びやすい
伝統をつなぎ、日本の傘産業を支えるために、小宮商店が大切にしていること
―厳しい品質基準にもとづく小宮商店の傘づくりで、特にこだわっている点を教えてください。
小宮商店では、伝統工芸品としての細かい工程を大事にしています。たとえば、ダボ巻き(骨の関節部分を「ダボ」と呼び、そこを生地で包むこと)やロクロ巻き(傘を開く際に上に押し上げる部分をロクロと呼び、それを生地で包むこと)などです。また、小宮商店ではひとりの職人が全工程を担います。そのほうが責任感を持って取り組めますし、細かな調整がしやすく形の美しい傘になります。生地の裁断に使う傘の木型も職人によって微妙に形が異なるので、同じ製法で作っていても製品にわずかに個性が出るのもおもしろいですね。
この木製の型に合わせて生地を裁断する。「傘の心」といわれるほど重要なもので、三角形の木型の両辺はゆるくカーブしており、これが傘の美しいフォルムを生み出す
―小宮さんにとっての日本製傘の魅力は何でしょうか。
つくりのよさ、扱いやすさ、そして生地の美しさやバリエーションですね。日本製傘は壊れにくく、長持ちします。私も16年ほど同じ傘を使っているのですが、まだまだ使えそうです。日本製に限らずですが、持っていて楽しくなる、雨の日でも気分がよくなるような傘を、大事に使っていきたいなと思っています。
400年以上の歴史をもつ山梨県の織物「甲州織」を使用した傘。甲州織は染色した細い糸を高密度かつ均一に織り上げており、光沢感のある色合いと上品で重厚感のある質感が特徴
―たしかに日本人は傘を気分で変えたり、洋服や着物とコーディネートしたりと、傘を楽しんできた文化があるように思います。時代の変化、伝統工芸を取り巻くさまざまな変化のなかで、日本の傘業界はどうなっていくのでしょうか。
ペリー来航とともに日本に伝わった洋傘は東京でつくられ始め、先に話したように昭和の時代には一世を風靡しました。現代では日本製傘は流通全体の1%以下になってしまいましたが、ここで伝統を途絶えさせてはいけないと思っています。伝統をつなぎ、よいものを後世に伝えていくために、東京都の伝統工芸品に申請を出し、2018年に「東京洋傘」として伝統工芸品に認定されました。生地屋さんや、傘の骨をつくっているところなども含め、これからも産業として維持できるように、当社としても何とかがんばらなければと思っています。うちは小さな会社ですが、業界を引っ張っていきたいなと。そういう想いもあって、傘産業の肝心な担い手である職人さんの育成に力を入れているというのもあります。
―職人さんはどのように募っているのでしょう? 小宮商店では女性の職人・スタッフを積極的に採用されているとも伺いました。
自社ウェブサイトと伝統工芸職人の求人サイト「四季の美」で、毎年3月に職人を募集しています。
4.5年前は数人しか来なかった応募が年々増え続け、今年は84名もの応募がありました。
伝統工芸の職人というと男性が多いイメージがあるかと思いますが、近年は職人を募集すると8~9割が女性からの応募ですね。当社はもともと男性主体の会社でしたので、2016年から女性活躍推進に取り組み始めました。伝統工芸のなかでも傘はファッション寄りですし、女性も働きやすい職場だと感じていただけたのか、やる気のある女性からの応募が増えたことで採用も増えていきました。
店舗スタッフにも女性が増えてきましたが、店舗に女性スタッフがいると、店舗の内装やギフト包装などに女性ならではのアイデアや感性が生きてきますね。また、女性が働きやすいように職場環境をよくしていこうとすると、男性にとっても働きやすくなります。業務委託により自宅で傘をつくっている職人さんもいますので、多様で柔軟な働き方も可能です。男性が中心だった職人の世界で、性別を問わず積極的な採用を進めて女性の職人を育成していること、男女ともに働きやすい職場づくりを推進していることが評価され、令和2年度「東京都女性活躍推進大賞」を受賞しました。
かつては男性中心の職場だった小宮商店も、近年は女性の職人が増えており、ライフ・ワーク・バランスを推進するなど、全従業員が「ずっと働き続けたいと思える企業」を目指している
馬喰横山を、特色ある専門店が集まるユニークな街にしたい
―小宮さんにとって馬喰横山はどのような街なのでしょうか。問屋街についてはどのように考えていらっしゃいますか?
馬喰横山は私が生まれたところなので、愛着があります。いったん離れて千葉や長野で生活しましたが、2000年に小宮商店に入社するタイミングで戻ってきました。問屋の組合である「横山町奉仕会」にも入って、よく会のみなさんと街の活性化について話し合っていますよ。たとえば、マンウさん(帽子専門卸)、東洋衣料さん(子ども服)、日東タオルさんと街を盛り上げるイベントでもやりましょうと、日々コミュニケーションを取っています。まだ具体的なことは決まってないのですが(笑)。
うちも小売を始めましたし、ほかにも少しずつ小売店や飲食店が増えてきているので、小宮商店で傘を買っていただき、どこかで食事をして、あともう1店舗くらい買い物して……と、遠くからでも足を運んでもらえるように街の回遊性を高めたいなと思っています。そのために、小売店を増やしていきたいので、横山町奉仕会のメンバーで小売をやりたいというところに声をかけています。でも、昔ながらの問屋さんたちはなかなか身動きが取りにくく、新しいことに挑戦できなかったりするんですよね。そこへ、馬喰横山の活性化を目的としたコミュニティスペース「+PLUS LOBBY」でイベントが行われるなど、最近は外からいろいろな人が入ってきて、街に新しい風が吹き込んでいます。今は新旧が混沌とした状態だと思いますが、そこからよいもの・街に合うものが残っていって、馬喰横山がもっとおもしろい街になったらいいなと思っています。
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小宮商店のような小売店が増えることで街の回遊性を高め、より多くの人が集まる街へとアップデートしたいと話す小宮さん
―馬喰横山の街づくりにおいて、これからチャレンジしたいことを教えてください。
馬喰横山を、帽子屋さん、ベルト屋さん、タオル屋さんなど、さまざまな専門店が集まるユニークな街にしたいと思っています。ショッピングセンターだと全国どこでも同じようなものを売っていますが、馬喰横山にはおもしろいもの、ほかとはちょっと違うものがたくさんあります。そういった特色ある小売店を増やしていくことが、問屋が集積している東日本橋だからこそできる街づくりだと思います。そして、馬喰横山がおもしろい街だということを多くの人に知ってもらえるよう、発信にも力を入れていきたいですね。
昔の面影を残す小宮商店の実店舗。問屋街に新たな客層を呼び込む場となっている(画像提供:小宮商店)
新しく馬喰横山に入ってきた皆さん
アートなどこれまでは絡みがなかった分野でも、機会があれば何か一緒にやりたいです。そのために、この街にどんな人がいるのか、アンテナを張って情報収集したり、交流の場に積極的に顔を出したりしています。
中華料理 帆
横山町奉仕会の人に教えてもらったお店で、餃子がおいしい!「餃子コース」だとひとつずつ違う種類の餃子が出てくるんです。「エビとトマトの両面かた焼きソバ」もおすすめ(画像提供:中華料理 帆)
取材・文:小島まき子 撮影:岡村大輔
小宮商店
愛着を持って、ファッションの一部として末永く使ってもらう、「つくりのよさ」にこだわった日本製の傘を1930年からつくり続けている。伝統技法を受け継ぎ、手間のかかる作業も妥協せず、職人がひとつひとつ丁寧につくった傘を、馬喰横山の実店舗やオンラインショップで販売。日本製の手づくり洋傘「小宮商店」の商品から、機能的な海外製洋傘「小宮商店 Daily Use Umbrella」の商品まで、多様な利用シーン・ライフスタイルに合わせてさまざまな洋傘を取りそろえている。