Interview
2021.11.30

東京進出100年へ。 変化し続けるDNAを未来に繋ぐ、文明堂東京の挑戦。

東京進出100年へ。 変化し続けるDNAを未来に繋ぐ、文明堂東京の挑戦。

1900年に長崎の地で創業し暖簾分けにより各地へ広がった、カステラでお馴染みの「文明堂」。1922年に東京に進出したのち、現在は日本橋・新宿・銀座が統合し「文明堂東京グループ」として一つになり、来年には東京進出100周年を迎えようとしています。今回はその経営統合を担いながら、同社にさまざまな変革をもたらしてきた宮﨑進司社長に、長い歴史を持つ企業の歩みと新たなチャレンジについてお話を伺いました。

壁を越えるごとに強くなる社員との絆

ーまずは、文明堂東京の社長に就任された経緯を教えてください。

文明堂は、カステラやどら焼き等さまざまなお菓子の製造販売で皆さまにご愛顧いただいてきた会社ですが、現在、私はそこから暖簾分けをした一社である「文明堂東京」の社長を務めております。ただ、私自身は創業者一族の者ではなく、実は30歳でこの会社に入るまで全く違う畑である半導体メーカーで働いていました。そしてその会社で知り合った同期の女性とお付き合いしていたのですが、彼女が「文明堂新宿店」(当時)の一人娘だったんです。
結婚を考えるようになってから初めてそのことを知ったのですが、在籍していた会社の仕事にもやりがいを感じていましたし、自分の家も大事にしたかったので、義父に挨拶に行ったときに「会社は継げないし、婿にも入れない」とお伝えしたうえで、結婚を了承してもらったんです。
しかし結婚後しばらくして義父が体調を崩し、後継者問題を身近に感じたときに、これも運命なのかもしれないなと思い、入社しました。その後、取締役就任が決まり、いよいよ株主総会で就任挨拶をするという当日の朝に、当時の社長秘書から「今日からあなたが代表取締役社長になりますので、社長として挨拶してください」と告げられて(笑)。今だからこうして笑ってお話しできますが、当時は本当に驚きましたね。

ーそれはすごいエピソードですね。歴史ある会社で急に社長になられたわけですが、社員の方々との関係性を築かれていくのも大変だったのではないでしょうか?

“どうしたら社員と理解し合い、同じ方向を向いてもらえるか”は、社長就任当初からずっと模索しています。自分が「こっち」と旗を振っても、社員がそっちではないと判断すればついてきてもらえないですし、無理矢理ついてきてもらってもお互い幸せになれない。就任当初は特に、私よりずっと前から会社を支えてくれている社員との関係性構築が課題でしたね。

―たしかに社員の方々からしても、急にトップが交代すれば戸惑いがあるように思います。

印象的だったエピソードに、“あんみつ事件”というのがありまして。社長になってすぐの頃、とある百貨店から「倉庫で文明堂のあんみつが爆発した」と連絡が入ったことがあったんです。百貨店限定商品として卸していた缶のあんみつが何かの作用で発酵し破裂してしまったのですが、この事件は大きなターニングポイントでしたね。このとき百貨店担当をしていた課長は文明堂一筋で働いてきた方で、社長に就任したばかりの私のやり方に疑問を持つことが多い方でした。しかしこの時はトラブルの渦中で、私と彼の意見を対立させている場合ではない状況です。お客様を困らせている状況を目の前にお互いが膝を突き合わせて、三日三晩、役割分担をしながらお客様への謝罪対応をし続けました。二人ともほぼ泊まり込みでこのトラブルへ対応をする中で、自然と信頼感が生まれました。不安を与えているお客様に最大限の対応をする、という同じ目的のために二人が一緒の方向を向けたことが、何よりの収穫でしたね。今ではこの方は私の一番の理解者で、文明堂日本橋本店のリニューアルをしたときにも支配人を務めてくれました。

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宮﨑社長が尊敬する偉人の一人は、上杉鷹山だそう。「お婿さんの理想なんです」とのこと

物事の判断軸は、「人を幸せにできるか」という理念。

ー30歳で社長に就かれてから、会社経営において大切にされているのはどんなことでしょう?

会社の理念にもなっていますが、「人々の幸福の追求」です。逆の言い方をすると「誰も不幸にしない」ということを常に意識して経営しているつもりです。2010年の社長就任早々で新宿と日本橋の経営統合を実行したときも、お客様の幸せ・働いている人の幸せを第一に考えましたし、大きな決断をするたびに、これをすることで不幸になる人はいないか?と振り返るようにしています。

ーもともと暖簾分けされていた別会社を統合したきっかけは何だったのでしょうか。

入社してから様々なお店に顔を出すようになったのですが、ある商業施設の食品フロアで、柱を挟んだ両側に別会社の文明堂店舗が並んでいるのが目に付いたんです。お客様からしてみれば、同じブランドに見えるのに味や商品は微妙に違う。これはお客様にとっても混乱を招くだけなのでは?と思っていたところ、案の定お問い合わせもいただいている状態だと知ったのがきっかけでした。

ー統合に際して苦労されたことはありましたか?

私は直系の血が入っていないので、それが良い方向に作用した面もあったと感じています。昔の思い出など個人的な感情が少ない分、冷静に判断ができる。統合の目的は社員とお客様の幸せでしたから、そこさえぶれなければ良いと考え、思い切って進めました。

ー統合をされた際のロゴや商品の見直しなど、実務的な部分はいかがでしたか?

商品の統合はとても難しい課題でしたね。例えば、「特撰五三カステラ」(文明堂新宿店・文明堂銀座店)と「特撰ハニーかすてら吟匠」(文明堂日本橋店)の味の統合には約10年をかけました。お客様へのヒアリングをはじめ、時には職人と一緒に呑みながら意見交換をして、妥協せずより良いものを作ろうと議論を重ねた結果、2021年の秋に満を辞して文明堂東京グループとしての「特撰五三カステラ」を登場させることができました。各店のこだわりが結集した自信作が生まれたと思っています。  

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文明堂が100年培ってきた「焼きの技術」を生かし、リニューアルした「特撰五三カステラ」。卵黄のコクとしっとり口どけのよい食感が特長(画像提供:文明堂東京)

ロゴに関しては、当時新宿店は長崎と同じものを、日本橋店は別のものを使っていました。どちらにするのか、はたまたまったく違うものを作るのか・・・最終的には長崎を中心に暖簾分けをしてきた企業なので、長崎を中心に再度まとまっていこうという考えのもと、新宿が使っていたロゴをベースとすることで決着しましたが、そこに至るまでには相当な議論がありました。

実は半導体の会社にいたときに合併を経験していて、その際に統合比率の低い側にいたんです。だから、ロゴ一つとっても、どちらかがどちらかに吸収されるというイメージは残したくないし、誰にも悲しい思いをさせたくないと感じていました。だから、「この理由でこの観点で議論をしている」という途中経過はなるべく社内に伝わるようにしていましたね。そうすることで社員も「きちんと理由があった上で、こうなった」と納得をしてくれたのではないかなと思います。

日本橋カフェ内観

今回のインタビューをおこなった「BUNMEIDO CAFE」。スイーツだけでなく本格的な洋食をランチ・ディナーともに楽しめるのも人気の秘密(画像提供:文明堂東京)

変化し続けてきた100年と、見据えるその先。

ー統合という大きな変革期を経て、まもなく東京進出100周年を迎えますが、何か特別な想いはありますか?

個人的には通過点だと思っていますが、節目として歴史を振り返る良い機会だとも感じています。カステラのルーツは長崎ですが、もっと前を辿ればスペイン・ポルトガルに原点はあって、大航海時代にザビエルらヨーロッパの人が来航したことから持ち込まれました。それを長崎で日本に合うように作り替え、我々の先祖が東京に持ってきて、全国へ広がったのです。そして時代に合わせて改良を重ね、暖簾分けされたお店が互いに良いものを作ろうと競争をしながら、ルーツは守りつつも商品を見直し続けて今に至っている。そういう歴史を辿ると、私が手がけた統合は確かに一つの変革なのかもしれませんが、もともと変化し続けるDNAを持った会社なんですよね。

―変化の歴史のうえに現在の文明堂があるのですね。

そうですね。歴史が長い分、会社への想いが強い社員の方も多く、3代続けて文明堂で働いている社員もいるほどです。OB会も存在しているので、その会合に参加すると文明堂の伝統や絆が再確認できます。暖簾分けされていたときはそれぞれ熱く切磋琢磨していたOBが、いまは仲間として集まってくれる。歴史がある分、こういう仲間が多いというのは会社としての強みでもあると感じています。

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文明堂日本橋本店には、120年の歴史が綴られた年表や写真パネルの展示も

ー今後はどんな変化を遂げていくのでしょうか。

文明堂のお菓子の用途をさらに広げていきたいと思っています。文明堂のお菓子って、“贈答”のイメージがありますよね?でも実はその使われ方は、お中元やお歳暮などの伝統的な形式だけではなく、ちょっとした手土産のような贈答に使われるニーズも多いんです。だから今後はもう少し手軽においしい焼き菓子を食べてもらう、という方向にも振っていきたいと考えています。

例えば、箱に入った1本のカステラは、いかにも贈答品というイメージですが、もらった人が食べやすいように切って箱で売るようになったのも、少人数でも食べやすい半斤サイズで売り出したのも文明堂が最初でした。家庭や職場でおやつに食べてほしいという意図から誕生した、カステラ2切れのパッケージ「おやつカステラ」も含め、いずれも消費者の日常生活に寄り添いたい、という意識を具現化しています。  

―文明堂のカステラをもっと身近に感じられる商品が増えてきそうですね。

はい。おいしいカステラをもっと幅広く楽しんでもらえるよう、贈答の用途も大切にしつつ、“自分向け”の商品開発も進めています。
そのチャレンジの一つとして、 最近はご自身のために買ってもらえるように「V!カステラ」というものも販売しはじめました。これは、もともとカステラがアスリートの補食として使われていたことにヒントを得て、山登りや運動をする人の栄養補給に食べてもらいたいという考えで開発をしてきました。材料の配合はカステラと変わらないのですが、圧縮させることで潰れる心配をなくし、上下についている紙もなくしてビニールパッケージの個包装にしています。 
※「V!カステラ」は現在好評につき販売を一時中止しており、再開の時期は2022年1月中を予定しております。

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「V!カステラ」は山登りに行く時にカステラをラップで巻いて持っていくという人の話をきっかけに考えられたそう

ー個包装の雰囲気も、文明堂のカステラとはだいぶ変わりますね。

今までの文明堂のカステラのイメージとガラッと変えた商品にすることで、ブランドイメージ自体は変えずに贈答品との差別化をしているのがポイントです。今はまだ日持ちがしない仕様になっていますが、いつかはコンビニエンスストアやドラッグストアにも置いてもらい、自分のために買ってもらえるカステラ、という位置付けを作れればと思っています。

日本橋で仕掛けるコラボ企画も。挑戦が“自然”なことになる社風へ。

ー伝統を守りながらも常に変化していく、というのが今までの文明堂であり、これからの文明堂でもあるのですね。

私自身、「変えない=進歩がない」と考えていますから、どんどん変え続けて会社を進化させていきたいと思っています。それは社員に関しても同じです。どんどん挑戦をすることで社員が人として成長し、それがその人の幸せにつながるのであれば、会社としてその挑戦に投資したいと思っています。
仮に失敗をしても、それが屋台骨を揺るがすようなものでなけでば良いんです。失敗も経験にはなります。人として成長できるもの、文明堂のブランドイメージを揺るがさないもの、という2つの判断基準さえクリアしていれば、どんどん挑戦や提案をしてほしいと考えています。

フレンチカステラ

「BUNMEIDO CAFE」では、ブランドを大切にしつつも革新的なメニューを提供。カステラをフレンチトースト風にアレンジした「フレンチカステラ」もその一つ(画像提供:文明堂東京)

ー日本橋エリアを見ても、伝統ある企業がさまざまな挑戦をしているケースが多くありますし、文明堂東京もまさにそのうちの一社なのですね。

日本橋の街って、おもしろいですよね。外から見ていると敷居が高そうにみえるけど、実際に街に入り込んでみると、懐が深くて横の繋がりも濃い。同じ街の飲食店同士がライバルなのかと思いきや、お互いが情報交換しながら切磋琢磨していて、「力を合わせて日本橋の街全体に人を呼び込みましょう」という考え方なんですよね。結果それがみんなの幸せに繋がるから、協力し合おうという考え方は、他の街ではあまり例をみないと思います。

ー今後、日本橋の街を舞台に挑戦したいことなどはありますか?

実は日本橋エリアでも、コラボレーション企画が進んでいます。来年の春にはお披露目できる予定ですので、ぜひ楽しみにしていてください。この企画もお話をいただいたときに、「面白そうだからやろう!」と、断る理由はありませんでした。こういう新しいことに関わる担当者は大変かもしれませんし、色々な人や部署が関わってきて、大ごとになるかもしれません(笑)。
でも一度やってしまったら、その大変さも次からは“普通”になってブラッシュアップの段階に入っていく。そして次の挑戦に向かっていける。そのサイクルが自然なことになり、常に社員が成長できるような社風を作っていければと思っています。

取材・文:古田啓(Konel) 撮影:Adit(Konel)

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梱包資材やラッピングのメーカーさん

文明堂の商品と風呂敷や、箱、和紙など、日本橋らしさが演出できるギフトラッピングでコラボレーションを一緒に考えていただけたら嬉しいです。

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江戸桜通りのライトアップ

夜にライトアップされている江戸桜通りを通ると、日中とは全然違う雰囲気で1日の終わりを感じることができます。気持ちを切り替えられる場所です。

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