Interview
2023.07.26

目指すのはお客様の「ほっ」。名物だしいなりを大切に守ってきた「海木」の日本橋での新たな挑戦。

目指すのはお客様の「ほっ」。名物だしいなりを大切に守ってきた「海木」の日本橋での新たな挑戦。

1983年に福岡県大牟田市で創業した日本料理店「海木(かいぼく)」。いなり寿司が苦手だった女将のために考案された「だしいなり」は、料理の〆として好評を博していました。博多への移転後もだしいなりは海木の名物として愛され、2019年、海木は「だしいなり専門店」へと生まれ変わりました。そして同年9月に日本橋店をオープン。2021年12月には、だしいなりのお揚げを缶詰にした新商品を発売し、さらに多くの人を笑顔にしています。「だしのお揚げ缶」はどのような背景から生まれたのでしょうか。女将の岡林幸子さん、息子の岡林篤志さんに、海木の歩みやお客様への想いについて聞きました。

料理への真摯な姿勢から生まれた「だしいなり」。長年愛されてきた「ほっ」とするやさしい味。

―海木といえば「だしいなり」ですが、最初は「だしいなり専門店」ではなかったのですよね。創業時のお話を聞かせてください。

岡林幸子(以下、幸子):もともとは、夫・憲次の出身地である長崎で日本料理のお店をやろうと考えていたのですが、1982年に長崎大水害があり、お店を出せる状況ではなくなってしまったので、私の実家がある大牟田へ移りました。私は夫の作る料理がいちばんおいしいと思っていたので、それを食べてもらうためにはやはりお店を出すしかないと考え、40年前、日本料理店として海木を創業しました。といっても、最初は5坪の小さなお店からのスタートでした。当時大牟田には三井三池炭鉱があり、“三井のまち”として栄えていました。海木のお客様も三井関係の方が多く、お客様の接待にも使えるようにお店を広くするなど、海木はお客様とともに育っていったのです。

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「『おいしいものを食べて、みなさんに笑顔になってもらいたい』という一心でやってきました」と話す女将の幸子さん

―だしいなりはどのようにして生まれたのでしょうか。誕生のエピソードを教えてください。

幸子:私の地元では、「南関(なんかん)あげ」という熊本の伝統的なお揚げがよく食べられていたのですが、南関あげを初めて食べた夫は、そのおいしさに感動して、「これでいなり寿司を作りたい」と考えたのです。でも、私はいなり寿司が好きじゃなかったので、「お揚げと酢飯が一体化していない」「酢が強すぎる」「お揚げがパサパサしている」などと、いなり寿しの嫌いな点をいろいろと挙げました。そうしたら、夫がそれらをすべてクリアしたいなり寿司を作ってくれたのです。それが「だしいなり」でした。

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南関あげは、パリパリしていて通常のお揚げよりも水分が少ないので、調理すると出汁や煮汁をよく吸ってふっくらと仕上がるのが特徴(画像提供:海木)

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岡林憲次さんが考案しただしいなりは、大牟田の味として、海木の“おもてなしの一皿”となった。おだしをたっぷり含んでおり、もっちりとした食感が楽しめる

―大牟田で生まれた“ふるさとの味”であるだしいなりですが、今や持ち帰り用や贈答品として東京でも大人気です。どのようにして広まっていったのでしょうか。

幸子:15年前、海木は大牟田から博多に移転したのですが、博多でも大牟田の味を伝えたいと思い、コース料理の〆に1貫だけだしいなりを出すようになりました。そんなある日、大牟田からお客様がいらっしゃって、「入院中の父に、どうしても海木のだしいなりを食べさせてあげたい」とおっしゃるので、特注した箱に詰めてお渡ししたのです。それが持ち帰り用だしいなりの始まりでした。それが口コミなどで広がっていき、東京の百貨店の催事にも出店するようになって、東京でも知られるようになりました。そのうち息子の篤志も「おいなりさんを作りたい」と言い出し、東京の催事には篤志が行くようになったのです。息子は大学でデザインを学んでおり、そちらの道に進むだろうと思っていたので、驚きましたね。

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だしいなりは、JAL福岡→羽田便のファーストクラス機内食にも採用され、JALの機内誌でも紹介されたため、さらに評判となった(画像提供:海木)

―だしいなりは、海木とお客様にとってどのような存在なのでしょうか。

幸子:うちのだしいなりは、口の中に入れたときに肩の力が抜けて、「ほっ」とさせてくれるものだと思います。お客様の心がゆるむような…。東日本大震災で東京から福岡に避難してきた方が、だしいなりを食べて「震災後、初めて涙が出ました…」とおっしゃいました。お客様がほっとできるものを作ることができてうれしかったですし、料理をやっていてほんとうによかったなと思いましたね。そんなふうに、だしいなりはお客様とのご縁や出会いを紡いでくれる存在でもあります。

私たちは、“おいしいもの”や特別なものを作ろうとしているわけではなくて、ただただ、おいなりさんひとつにも、料理人として手を抜かず情熱を込めています。でも、だしいなりを作るのはほんとうに難しいんですよ。大豆の違いやお揚げの状態によって、毎回味が変わりますし、お揚げの炊き具合を見極めるのも簡単ではありません。でも、長年のお客様は、私たちが心を込めて丁寧に作っていることをわかってくださっているので、味の違いも楽しんでくださっています。さらなる進化を目指して、試行錯誤の日々ですね。

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「特別な材料は使っていませんし、企業秘密といったものはないのですが、だしを取る際の見極めもポイントのひとつです」と話す幸子さん。手前は息子の篤志さん

そして日本橋へ。「お客様に喜んでもらいたい」という一心から新商品を開発。

―日本橋に2号店を出店されることになった経緯について教えてください。

岡林篤志(以下、篤志):直接のきっかけは、知人が三井不動産の方を博多のお店に連れてきてくれ、だしいなりを食べていただいたことです。それがご縁となり、コレド室町テラスへの出店のお話をいただきました。ちょうど文献で、江戸時代にコレド室町テラスのあたりにいなり寿司を売る店があったと知っていたので、ビビッと来ましたね。また以前より、せっかく東京に出るなら日本の中心といえる日本橋か銀座に出店したいとも思っていました。10年前に銀座三越の催事に出店してから、年に何回か東京に通いましたが、いつも「こんな華やかなところでおいなりさんを売ることができるなんて…!」とワクワクしていましたから。さまざまなご縁やめぐり合わせにより、夢がかなってうれしく思っています。

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コレド室町テラス1階にある海木 日本橋店。キツネがモチーフの大きな暖簾が目を引く。暖簾の朱色は神社の鳥居をイメージしたもので、数十種類の色から選んだという

―日本橋という街の印象や、日本橋に感じる魅力を教えてください。

篤志:日本橋は日本でいちばん華やかな場所で、ずっと憧れてきました。それでいて、長い歴史があるので、浮ついた感じがありません。また、日本橋は素晴らしい専門店が多いですよね。和紙や扇子などのほか、食べ物だとうなぎ屋さん、天ぷら屋さん、とんかつ屋さん、かりんとう屋さん、などなど。「日本橋に来たら〇〇を食べよう」と思う食べ物がたくさんあります。ゆくゆくは「日本橋でだしいなりを食べよう」と思っていただけるようになったらいいなと思っています。

―博多と日本橋で商売のやり方に違いはありますでしょうか?

篤志:お客様に対するスタンスは、博多でも日本橋でもまったく変わりません。博多と日本橋の違いといえば、日本橋は若い方に加えてご年配のお客様が多く、見る目が厳しいため、勉強になることが多く鍛えられています。本店と日本橋店のだしいなりを食べ比べる、通なお客様もいらっしゃるんですよ。

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海木 日本橋店の店長を務める岡林篤志さん。だしいなり専門店となった博多の本店から届く炊いたお揚げを、店舗で巻き上げている

―2021年12月に、だしいなりのお揚げを缶詰にした新商品を発売されましたね。「だしのお揚げ缶」誕生の経緯や、商品の特徴などを教えてください。

幸子:だしいなりを、博多からハワイの娘さんに手土産として届けていたお客様がいたのですが、その娘さんがハワイからアメリカの田舎に引っ越したので、だしいなりを持っていくことが難しくなってしまいました。そこで、だしいなりのお揚げだけでもどうにかお渡しいただけるよう手配しましたら、その娘さんが「泣いて喜んだ」とのこと。そこで、だしいなりのお揚げを日持ちがして持ち運びがしやすいよう、缶詰にすることを考えたのです。炊きたてのお揚げをその場でカットして、そのままのおいしさを缶詰に閉じ込めています。

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「お客様に喜んでもらいたい」という想いから生まれた「だしのお揚げ缶」。特製の鰹だしをたっぷり含んだお揚げは、「ほっ」とするやさしい味わい

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「だしのお揚げ缶」のパッケージにも、海木 日本橋店のシンボルであるキツネがあしらわれている。キツネのビジュアルは版画を彫ったもの

―「だしのお揚げ缶」に続く新たな商品のアイデアがあれば教えてください。

篤志:まだ試作段階ですが、だしのお揚げをそぼろにした缶詰を開発中です。「だしのお揚げを小さく切って子どもに食べさせている」というお客様の声があったので、そのような商品を作ったらお客様に喜んでいただけるのではないかと思いました。ごはんにのせてそぼろ丼にしたり、そのままお酒のお供として食べていただいたりと、お客様に愛される商品になるよう、改良を重ねて仕上げてまいります。

―今後、日本橋でチャレンジしたいことやコラボレーションしてみたいお相手を教えてください。

篤志:江戸時代のいなり寿司店を再現したような、屋台をやってみたいですね。近隣のいろいろなお店と一緒に、「日本橋」の橋の上で屋台を出したら楽しそうだなと(笑)。また、両国なら相撲、浅草なら芝居というように、日本橋エリアにもエンタメがあるとよいなぁと思っています。芸能・エンタメの分野とコラボレーションできたらおもしろいですね。

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スクエア

兜町界隈のお店

HOTEL K 5の「CAVEMAN」というレストランや、ナチュラルワインの専門のワインショップ・角打ちスタンドの「Human Nature」などが行きつけです。(篤志さん)

取材・文:小島まき子 撮影:加藤甫

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