Interview
2024.02.16

福徳神社の隣に根を下ろして14年。フレンチの名店が受け継ぐ先代の思いと味。

福徳神社の隣に根を下ろして14年。フレンチの名店が受け継ぐ先代の思いと味。

福徳神社から道路を一本挟んだビルの一階にあるレストラン「Pont d'Or Inno(ポンドール・イノ)」。日本のフランス料理界の重鎮、井上旭氏が京橋のシェ・イノの姉妹店としてオープンしたお店で、現在は彼の元で修行を積んだ柚原賢シェフが料理長を務めています。ここ日本橋でフランス料理の名店として歩んできた時間を振り返りつつ、お店が大切にしていることをお聞きしました。

ファミレスのアルバイトからスタートした料理人人生

―まずは柚原さんが料理の世界に入られたきっかけを教えてください。

元々ものづくりは好きだったんですが、高校生の時にファミリーレストランでアルバイトをして、料理の仕事っておもしろいなと思ったのが始まりですね。今ではファミレスってある程度セントラルキッチンで作られたものを店舗で調理するシステムになっていますが、その頃はまだお店で手作りするものが多かったんです。それがおもしろかった。だからもしかしたら、そのままファミレスの運営会社の社員になる道もあったかもしれません。でも高校3年生の頃、テレビ番組の『料理の鉄人』がすごく流行っていて、料理人たちが皆すごく輝いて見えて。それで「こんな世界があるんだ。やっぱり料理をやるなら本格的にやりたい」という気持ちが芽生えました。その時点ではまだフランス料理をやりたいという気持ちはなかったんですけど、料理をやるなら専門学校が良さそうだし、就職先の紹介もしてもらえるだろうと考え、服部栄養専門学校に進みました。当時の『料理の鉄人』の影響力は絶大で、専門学校の生徒数もかなりのものでしたね。

―そこからフランス料理の道に進まれた経緯は?

入学した時点ではまだどんな料理をやりたいということは全然決めていなくて、漠然と料理の仕事がしたいなという感じだったんですが、なんとなくフランス料理ってかっこいいなというイメージはありました。ただ、井上シェフは弟子の教育がすごく厳しいというのは業界でも有名で、その噂は僕も聞いていました。

当時の専門学校は1年制だったので割と早い段階で進路を決める必要があったんですが、その年の秋頃に料理の鉄人にも出演されていた石鍋裕シェフのフレンチのお店「クイーン・アリス」が100人近い募集をかけたんですよ。それで僕も面接に行ったんですが、なんと僕だけ落とされちゃって。どうしようかなと思っていたのですが、その1ヶ月後くらいに、専門学校の客員講師に井上シェフが来る特別講義があったんです。学校にはいろいろなジャンルの料理人が来て、生徒の前で調理のデモンストレーションを見せてくれる講義があったんですね。通常はそこで講師が作ったものは生徒は食べさせてもらえないのですが、井上シェフは「食べなきゃわからないだろう」ということで、舌ビラメと仔羊の料理を、一口ずつですが生徒に食べさせてくれたんです。それが今まで味わったことのないような味わいで、こんなに美味しいものがあるんだとすごく感動しました。それで授業が終わった後、「働かせてください!」と直談判しに行ったら「とりあえず研修に来い」と言って下さって。そこからは学校が終わった後、お店に行って研修に明け暮れる日々でした。

―井上シェフの厳しさは前評判通りだったのでしょうか?

聞いていた通りでしたね(笑)。でも自分のストレスをぶつけてくる怒り方じゃなくて、愛情のある叱り方だったのでついていけたんだと思います。もちろんついていけなくなる人も少なくなかったけど、今でも日本中に井上シェフの弟子がたくさんいるのは、厳しくされてもなお魅力的な人間性を持っていたからなんでしょうね。

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鰻が大好物だという柚原シェフ。ポンドール・イノでは毎月1回は柚原シェフのリクエストでまかないに鰻が出るんだそう

日本橋では珍しいフレンチ。和食の街で続けていくための秘訣

―柚原シェフは2014年からポンドール・イノの料理長を務められていますが、お店を任されるにあたって井上シェフからはどんな言葉をかけられたのでしょうか?

特にこれといった言葉はなく、「とりあえずやれ」という感じでした。お店は2010年に開店しましたが料理長は僕で4人目で、それまでほぼ毎年人が変わったりと安定していなかったんですよ。僕はそれまで恵比寿のお店(ドゥ ロアンヌ、現在は閉店)で料理長をやっていて、次は僕に話が来るのかなという予感はありましたが。でも声をかけられた時には「井上」の名前を冠したお店でトップに選んでいただいたのはすごく光栄に感じましたし、期待に応えようと改めて気を引き締めました。結果を出さなければという重圧はありましたけど、この店をやれと井上シェフに言ってもらえるのは日本中に1人だけですから、嬉しかったです。

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画像提供:ポンドール・イノ

―ポンドール・イノを切り盛りしていくにあたって、井上シェフから引き継いで大切にしていることと、何かアップデートしていることがあればそれぞれ教えてください。

フランス料理といえばソースで、井上シェフといえば「ソースの井上」とずっと言われてきたくらいのソースの名人ですから、その基本の部分というのはしっかり守っています。そこにいかに僕の感性・感覚をプラスし、日本橋という場所のイメージに合わせていくかがポイントだと思っています。 

実は僕、フレンチの業界に入ってからも和食のお店で学ばせてもらっていたんです。3〜4年くらいかな、日比谷(※当時は六本木にて営業)の三つ星店の龍吟さんに月に1回、休みの日に勉強に行かせてもらってました。ポンドール・イノはフランス料理ですが日本にあるお店なので、輸入食材より日本の食材を使うことの方がずっと多い。そして日本の食材を使わせたら日本料理には敵わないんです。だから、食材をこういう使い方をするんだ、こういう処理をするんだというのは日本料理からも学びましたし、その経験は僕のエッセンスとしてポンドール・イノの料理に反映されていると思います。コテコテのフレンチよりもちょっと和の要素があって、食べた時にホッとするというか、ちょっと馴染みのある香り、味、食感をお皿の中に入れたいんです。それが日本橋という和のイメージが強い街にもうまくマッチしているのかなと思いますね。

―和の要素との融合という意味では、フランス料理店に鉄板焼きの個室があるというのも珍しいですよね。

鉄板焼きはこのお店がオープンした時からずっとやっています。井上シェフが鉄板が大好きなんですよ。僕は今この空間をシェフズテーブルのような感じで使っています。鉄板というよりは立派なフライパンという感じで(笑)。お客様と話しながら、目の前の鉄板で料理を作る、和食割烹のカウンターのフレンチ版といった感じですね。

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個室に設られた鉄板の前でお話を聞かせてくれる柚原シェフ。鉄板焼きセットプランでは、シェフが目の前で料理を仕上げてくれる

―和食のイメージの強いこの街で営業していくにあたり、意識していることはありますか?

フレンチのお店はそれだけで希少で異色なので、逆にあまり周りを意識しないようにやっていますね。日本橋でフレンチというと、うちとLa Paixさんくらいじゃないですか。だからうちはうちで、ちょっと特別な空間でありたいなと思っています。老舗さんと肩を並べようにも、うちはまだまだひよっこですから、歴史じゃ敵わないですし。

何よりも大切なのはお客様に満足して帰っていただくこと

―柚原さんがこのお店の料理長になられて10年になります。この10年で日本橋という街はどのように変わったと感じますか?

再開発でこの一帯はきれいに整備されたので、かなり変わりましたよね。このビルとお店ができた当時はまだ隣にある「福徳の森」は竣工していなくて、お店の前の道は夜になると誰も歩いていないような暗い裏通りだったんですよ。メインの中央通りは三越さんや大きなお店が並んでいて賑わっていましたが。この10年で古き良き街並みを残しつつも現代的な街として整ってきて、人通りも増えてきました。今後も新しさを加えた面白い街としてどんどん良くなっていくんじゃないかと思います。

―ポンドール・イノもこの街の老舗と呼ばれるようになるまで歴史を重ねていけたらいいですよね。

いや、僕の代では老舗にはならないですよ。日本橋は100年経たないと老舗と言えないくらいの歴史ある街ですから。よく来てくださるお客様に製薬会社の方がいるのですが、その方の会社が数年前に100周年を迎えて、ようやく一人前だと周囲から言われたそうです。うちが100周年を迎える頃には僕はこの世にいません(笑)。

でも、飲食店を10年続けること自体がまず第一関門というか、開業して10年続くお店というのは全体の2〜3%しかないと言われてるんです。それぐらい大変なことなんですよ。特にこの3年間は新型コロナの影響もあってうちもつらい思いをしましたので、そんな期間をなんとか生き延びて14年やってこれたというのはすごいことだと思っています。

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ポンドール・イノの窓からは福徳神社の鳥居や神輿が見える

―日本橋でコラボしたいお相手や、街と関わりながらやってみたいことはありますか?

コラボしたいお相手は今はまだいないですね。正直まだまだ歴史の浅いお店ですし、お店のことで精一杯なのでそういったことは考えられなくて。

ただ街との関わりという意味では、オープン当初から三越さんで毎年おせちを出させてもらっています。やっぱり日本橋といえば三越さんですから、そういうところで出させてもらうのはありがたいなと思っています。コロナ禍の最中はいろいろな試みをやりましたが、最近はようやく以前のような客足が戻りつつあるので、やっぱり今はお店に来ていただいたお客様に集中したいです。

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日本橋三越本店で販売された2024年のおせち(※現在は販売終了/画像提供:ポンドール・イノ)

―今後、ポンドール・イノをどのように発展させていきたいですか。

僕が一番嬉しくて信用しているのはやっぱりお客様同士で広がっていく口コミなんですよね。特にランチにいらっしゃるマダムのネットワークってすごいので、来ていただいたお客様から「あのお店良かったよ」という言葉で他の人に広げてもらう、特に新規のお客様を呼び込むにはそれしかないんじゃないかなと思ってます。今、インターネットではいろんなレビューを読むことができるけど、やっぱり同じ趣味や同じ感覚を共有している人からの口コミというのは根強いんですよ。だからお客様自身がこのお店のことを広めたくなるように、リピーターになっていただけるように満足して帰っていただくのが一番。SNSや広告媒体に力を入れるよりも、まずお客様の満足度を高めることを大切にしています。

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江戸桜通り周辺の桜並木

桜並木ですね。春になるとまず最初にCOREDO室町の方で早咲きのオカメザクラが咲いて、それが終わるとソメイヨシノが日銀の方までずーっと咲く。毎年春に、いいなあと思う景色です。それと、COREDO室町テラスに入っている海木さんの「だしいなり」も大好きです。

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