Interview
2023.02.24

「のれん」に宿る大切なこと。現代に求められる“日本のスタイル”を伝えるのれんプロデューサーの挑戦。

「のれん」に宿る大切なこと。現代に求められる“日本のスタイル”を伝えるのれんプロデューサーの挑戦。

古くから日本橋の街並みに溶け込み、その原風景となってきた「のれん」。今なお日本独自の文化として、人とお店をつなぐ象徴的な役割を担っています。そののれんを探求し、現代においてさまざまな可能性を広げているのが、のれんプロデューサーの中村新(なかむら・しん)さん。現在の活動のきっかけは日本橋にあったという中村さんに、のれんの魅力やその未来についてお伺いしました。

のれんにフォーカスするきっかけは日本橋にあった

―まず自己紹介をお願いします。

東京・神田の紺屋町で生まれ、実家は大正12年から続く呉服のメンテナンス業である悉皆屋(しっかいや)でした。ただ物心ついた頃には家業は休眠状態で屋号だけが残っている状態で、当時は実家を継ぐつもりはありませんでした。なので大学卒業後はエネルギーを扱う商社に就職したんですが、何年か勤めるうちに、もっと手触り感のあることがしたいなと漠然と思うようになって。それで自分で事業をしようと会社を辞めた後たまたまのれんと出会い、2013年に悉皆屋の「中むら」の屋号を引き継いで事業を立ち上げました。

―のれんと出会ったのは偶然だったのですね?

そうですね。ご縁のあったとある風呂敷の問屋さんが廃業するとのことで、「今後ももしかしたらのれんの相談があるかもしれないから、そうした案件を引き継がないか」とお声かけいただいたんです。「やってみる?」くらいの軽い感じでしたが、当時僕はまだフリーになりたてで何もその先が見えていなかったので「やります!」って(笑)。

―日本橋の「コレド室町2・3」の開業に合わせたのれんの制作もその時期に手がけていらっしゃいますね。

はい、2014年に日本橋のコレド各館と日本橋三井タワー計5施設ののれんを制作させていただきました。のれんの事業をはじめてすぐに大きな機会に恵まれてありがたかったですし、いろいろとのれんの面白さに気付かされたプロジェクトでしたね。

また、この頃にわかってきたのが、のれんは風呂敷や手拭いと違い有名なブランドがほとんどないということ。それに、のれんというものの情報も案外少なくて、自分なりに掘り下げていくのも面白そうで。マーケット的にも自分の興味という点でもポテンシャルを感じたので、本格的にのれん事業に集中することにしました。

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画像提供:中むら

―日本橋でのプロジェクトが現在の活動のきっかけになったんですね。改めて、のれんディレクター・プロデューサーとはどんなお仕事なのでしょう?

企画・デザイン・製作のどこからでもご相談におのりしています。のれんのグラフィックデザイン、設置時の機構から設置後のオペレーションなど、のれんにまつわることを総合的に提案しています。大多数はお店やオフィス、宿泊施設などの事業者さんからの依頼で、僕はその設計会社さんやデザイナーさんとやりとりをすることが多いです。ディレクターという立ち位置ではこだわって良いものを作りたいという方々と、1点ずつ丁寧にのれんを作るスタイルでやっています。のれんをどういう風に作るかも大切ですが、ぼくはどういう風に使うかという製作の視点とユーザーの視点を大切にしています。また、プロデューサーという立場では、受託のお仕事以外の自己発信として、のれんの可能性を拡張できる様な色々な挑戦をしています。

―そうして作られたのれんを見せる場所として、昨年ショールームをオープンされましたが、ここを作った経緯を教えてください。

やっぱり実物を見ていただく場所が欲しかった、というのがありますね。色や素材は写真では伝わりきらないですし、触ったりくぐったりというフィジカルな体験もできるので、ショールームはいつか作りたいと思っていたんです。また今後インテリアとしてののれんの提案をしたいと考えていて、そのショーケースにもなればと考えています。のれんは屋外のサインとして用いられることが多く、どうしても日光や風などへの強度が求められるのですが、屋内ではその条件が緩和されるので、より多様なのれんが提案できるのではと考えています。

―ちなみにここができる前は、お客さんのところにサンプルをたくさん持ち込んでいたということですか?

そうですよ、のれんと棒をかついで電車に乗って(笑)。もちろん今でも現地調査の時などは持参しますけど、ショールームができてだいぶお仕事がしやすくなりましたし、実際に空間に掲出して素材提案やサンプルチェックができるので、仕事の精度も上がりました。

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今回のインタビューもショールームで行われた。自然光の明るい室内にさまざまなのれんが並ぶ

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ショールームではのれんの繊細な色使いや技法が間近で見られる

のれん=インターフェイス。職人技と社会をつなぐ存在になりたい

―のれんのことについてもう少し詳しくお伺いさせてください。中村さんの考えるのれんの魅力とは何でしょうか?

いろいろありますが…、まずのれんとは?というところからお話しすると、のれん=サインであって、お店や組織の「顔」というのが基本にあると思っています。ただ、のれん文化はもともとトップダウン的に作られてきたわけではなく、庶民の生活の中で育まれたもの。なので日本の民族性や文化的習慣を強く内包していると考えています。

たとえばのれんには空間の境界を作る機能がありますが、決して完全に仕切るのではなく向こうが見える状態で間を仕切りおもてなしをする。0か1かではない“小数点”で区切るというのは、非常に日本らしい考え方です。西洋文化と対比をすると、空間を完全に遮断する西洋の壁とはまったく違うものですし、のれんに染めることが多い家紋も、西洋では貴族しか持てない紋章とは対照的であったり、シンプルなのれんの中に、こうした日本独自の文化が見えるのが、大きな魅力だなと思いますね。

あと、のれんは単体でももちろん面白いんですが、連続して掲げられた時のランドスケープとしての魅力があります。歌川広重らの浮世絵でものれんが並んでいる様子がよく出てきますし、江戸時代の日本橋の街並みを描いた絵巻「熈代勝覧(きだいしょうらん)」もしかり。現代の日本橋の街並みもそうですが、のれんはまさに日本の原風景を作る、重要な要素なんです。

―たしかに日本橋の街並みにものれんはなくてはならない存在になっていますよね。のれん自体は時代とともに何か変わってきている面はあるのでしょうか?

のれんのバージョンは大きく二段階あると思っていて、最初は単純に風や塵を避ける実用的な役割で、これは弥生時代にはその原型があったと言われています。もう一つは室町時代から江戸時代にかけて広がった広告としてのバージョンです。ただ江戸時代以降は大きな進化はなく、完成されてしまっているという印象です。

でも先ほどもお話ししたように、のれん自体はシンプルでもそこに内包される文化的価値はすごく豊かなので、当たり前のように存在しているのれんが実は現代においてすごく意味をもってくると思っていて。だから僕としてはのれんをインターフェイスとしてさまざまな日本のスタイルを伝えていきたいんです。そしてそれがのれんの三つ目のバージョンになれば良いなと思っています。

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2019年に日本橋で開催された「めぐるのれん展」では32社の地元企業と多数のクリエイターがオリジナルののれんを考案した(中むらがのれん制作を担当)。現代におけるのれんの可能性を追求した街ぐるみの企画だった。(画像提供:中むら)

―インターフェイスと言葉がありましたが、中村さんはのれんを通じて日本の工芸の職人の技術を提案していくことも目指していると聞きました。実際職人さんたちとはどのようなプロセスでのれん作りをしていくのですか?

お仕事のお話をいただいたら、活動を共にする職人さんたちの中で一番表現の相性が良く力を発揮してくれる方におねがいします。そして、そののれん制作の目的や取り組み方を丁寧にお話して制作を始めます。作り手の方はそれぞれの技術の特色に合わせた強みと弱みがありますので、その強みと弱みを正しく熟知したプロデューサー・ディレクターとしてのれん作りの統括を任せて頂いています。また、余談ですがのれんは職人さんが成果物を目にできることも好きなところです。呉服や浴衣は個人の手元に渡った先はなかなかその後を目にする機会が少ないですが、のれんは実際に目にすることができるので、職人さんと仕事の達成感を分かち合えるのも魅力です。

―職人さんとのれんを作りたい人との間をつくるようなお仕事ですね。

僕が前職を辞めてこの事業をやろうと思った理由の一つが、今の職人さんと日本のマーケットとのコミュニケーションがうまく図れていないなという課題意識だったんです。多種多様な素晴らしい技術があるのに、それがネットで探せなかったりしてマーケットに届いていない。届いたとしてもその職人さんの一軸でしか表現の提案ができないから、表現の選択肢が狭くなってしまう。だから彼らの間に立って最適な技術の提案ができる立場の仕事をするべく、のれんに特化したプロデューサー・ディレクターとして活動していきたいと思っています。

―ショールームののれんを製作した際、意識していることがあれば教えてください。

のれんのイメージとして固定化しやすい、いわゆる“和”の方向からいかに脱却するか、ということは意識しています。この空間もシンプルな白壁で、和でも洋でもない雰囲気にしたのもそういう理由です。また、いろんな業種の方とオーバーラップしながら進めることも大事にしています。「めぐるのれん展」でも多くのクリエイターさんとお仕事させてもらって良い経験になりましたし、自分ののれんに関する視野も広がりました。今ショールームに展示している僕がプロデュースしたのれんも、10人のクリエイターと職人とのコラボレーションとなっています。

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これまでの活動で蓄積されたさまざまな視点

―事業を立ち上げられてから9年になりますが、多くの方と関わってきて、何か最初と考えが変わったことや影響を受けたことはありますか?

あんまり年数は意識してなかったんですけど(笑)、確かに9年経ちましたね。日々本当にインプットや刺激があり僕自身の考えも広がってきているなと感じます。最初は日本の工芸に対する問題意識からスタートしていますが、始めてみたら全然そこにとどまらなくて、のれんの世界はとても奥深かったですね。
日本人の精神性や歴史にも関わる対象なので、文献からの学びも多くて、最近影響を受けているのは九鬼修造さんの「いきの構造」という本。なかなか言語化しづらい“粋”というものの構造を読み解こうとしているもので、面白いですよ。

―おお、それは“粋”の心が根付く日本橋のBridgineとしてもぜひチェックしておきます!

ちなみにこの本では“粋”とは媚態・意気地・諦めっていう三要素で成り立っていると示されているのですが、僕はこれらが今後の日本人がより持つべき哲学かと感じました。日本独特の美意識ですが、特に“諦め”に関しては「執着をしないこと」、言い換えたら「壊れたらしょうがないから直そうよ」という柔軟性ともとれます。たとえば江戸の日本橋では、幾度となく街が大火に襲われボロボロになってきた歴史があります。でもそこに“粋”の精神があったから何度も復興し活気ある街であり続けた。ところが今の世の中ではそうした精神性が失われて機能不全が起こっている気がします。だから“粋”の時代に街を彩ってきたのれんは、その心を象徴するものとしての今こそ大切な役割を担うのではないかと思っています。

―のれんの持つさまざまな可能性を、中村さんがさまざまな業界の第一人者の方々と対談形式でまとめられている「暖簾考-Entrance Japanology-」もとても面白かったです。

あの対談集は昭和54年に谷峯蔵さんが書かれた「暖簾考」という本にインスピレーションを受けて企画しました。のれんを体系的に研究して書かれた本はこの一冊くらいしかないのですが、僕はこの先を作りたいという思いで今の活動をしています。「暖簾考-Entrance Japanology-」を通して各界の第一線の方々とお話できたことは本当に有意義で、“のれんを紐解いて再構築する”という僕がずっとやりたかったことへのヒントをたくさんいただきました。隈研吾さんの都市や建築からの観点でみたのれんについてや、“間”とのれんについて言及された松岡正剛さんなど、皆さんの視点から僕自身ものれんの面白さを再認識する機会になりましたね。

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のれんの魅力をもっと発信するために

―3月17日より開催となる日本橋の春のイベント「SAKURA FES NIHONBASHI」では、「のれん桜」というインスタレーションののれん制作も手がけていらっしゃいます。この作品に対してはどんな思いがありますか?

この企画のオリエンで、「3年ぶりの行動制限のないお祭りの開催に際し、OFFからONへの切り替えの象徴としてのれんを掲げたい」というお話をいただきました。そのコンセプトにはすごく共感しましたし、実際街にのれんがかかっていなかった時期もあったので、のれんは日本橋をONにするわかりやすいトリガーになるなと感じました。人の往来が生まれる、前向きで明るい雰囲気を今回ののれんで表現していけたらと考えています。

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SAKURA FES NIHONBASHIにて設置される「のれん桜」のイメージ。3/17〜4/7の期間、コレド室町テラス大屋根広場にて設置される(画像:SAKURA FES NIHONBASHI事務局)

―人の流れを生むもの、人を歓迎するものとしてののれんは、すごくポジティブな存在ですよね。

日本橋の街は「のれんの街」とも言えますし、街をあげて一斉にのれんを披露してお客さんを迎えるようなイベントが定期的にあっても良いですよね。大掛かりなものでなくても、各々のお店がある時期だけのれんをかけるだけで、景観としてののれんの風景はかなり面白くなると思います。

―日本橋は屋外広告の少ない街ですが、のれんなら街の個性を損ねることなく、たとえば今回の“桜”のような共通のテーマを表現できる気がします。のれんを通じてお店同士の一体感も生まれそうです。

そうですね。お隣がこんなのれんにするならうちはこうだ!みたいな相互作用で、自分たちをどう表現するかを考える機会にもなるでしょうし、お店同士にも良いリレーションが生まれそうです。

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1月には「江戸東京きらりプロジェクト」のメンバーとしてフランスの国際見本市「MAISON & OBJET」に出展。現地デザイナーとともにコラボ作品を作った(画像:江戸東京きらりプロジェクト公式サイトより)

―最後に、中村さんが今後やってみたいことを教えてください。

一つは、国際空港にドでかいのれんをかけたいなんて思っています。いちど色々動いてみたものの、なかなか難しそうではあるですが(笑)。

―既に提案しに行かれたんですね!海外のお客さんがのれんをくぐって入国するなんて素敵です。いつか実現することを願っています。

ありがとうございます。それともう一つ、これから頑張りたいと思っているのがのれんのオウンドメディア作り。物理的なのれん制作にとどまらず、のれんに関する僕なりの考察をWEB上でのれん史の彫刻としたいと思っていて、のれんについてのあれやこれやのユニークな情報が発信されるメディアにしていきたい。そして書籍の出版に繋げていこうと考えています。

―今日お話いただいたのれんが内包する日本の文化や民族性も含めて、今の時代だからこそ求められる情報もたくさんありそうですね。日本橋でも引き続きよろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

取材・文:丑田美奈子(Konel) 撮影:岡村大輔

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