文化から描く街の未来。「まるかビル」と「クリエイター特区」プロジェクトに学ぶ、創造的な場のつくり方。
文化から描く街の未来。「まるかビル」と「クリエイター特区」プロジェクトに学ぶ、創造的な場のつくり方。
2022年4月、日本橋馬喰町に新たなアートスポット「まるかビル」が誕生しました。2~4Fの3フロアに個性が異なる3つのギャラリーが入居するこのアート複合施設を運営するのは、以前にBridgineでもインタビューを行ったログズ株式会社の武田悠太さんです。今回の記事では、日本橋で約70年続く衣料品問屋の4代目でありながら、ホテルやアートギャラリーの運営など街の文化拠点を精力的につくり続けている武田さんと、先日日本橋で行われた「クリエイター特区」プロジェクトを通じて、都市とアート/文化の関係性について探求した三井不動産・栗谷尚生さんの対談を通して、都市における文化のあり方や創造的な場づくりについて考えます。
新世代のためのアートスペース
ーまずは、まるかビルをオープンした経緯を教えて下さい。
武田悠太さん(以下、武田):実は物件自体はだいぶ前に購入していたんです。2019年から、このビルのすぐ裏にあるDDD HOTELを運営しているのですが、当初はホテルをここまで拡張することも想定していました。でも、コロナ禍によってそれが難しくなってしまったので、同ホテルの一角で展開しているアートギャラリー「PARCEL」の2つ目の拠点として、若手作家を扱うスペースをつくろうと考えました。さらに、PARCELとは異なる観点からも新しい作家の活動を発信していく場所にするために、3つのギャラリーから成るアートの複合施設をつくることにしたんです。
(関連記事:キーワードは「ストリート」。馬喰町の新アートスポット「PARCEL」が街にもたらす新たな視点。)
まるかビルのオーナーで、2Fに入居するアートギャラリー「parcel」も手がけるログズ株式会社の武田悠太さん
ー3つのギャラリーの特徴についても聞かせて下さい。
武田:2Fには、PARCELが将来的に扱いたいと考えている若手作家をフューチャーする「parcel」が入居しています。3Fは、デジタルアートのプラットフォームを運営するNEORTが運営する「NEORT++(ネオルトツー)」が入り、デジタルアートやNFTアートをフィジカルで体験できる場になっています。そして、4Fは「CON_ (コン)」というプロジェクトスペースになっていて、25歳以下の若いメンバーたちが中心となって、アートギャラリー界の常識を覆すようなチャレンジングな展示を行っています。
ーなぜ、まるかビルでは若手にフォーカスしているのですか?
武田:日本の若手アーティストは、海外のアートフェアなどにも参加している有名ギャラリーで取り扱われるか、影響力を持った著名人やクリエイターらにフックアップされるかの二択以外に成功の選択肢がないのが現状なんです。でも、「CON_」のメンバーたちと話をしてみると、InstagramやYouTubeなどを通じたヴィジュアルコミュニケーションが当たり前になっている25歳以下のアーティストたちは、良いものをつくればSNSを通じて注目され、世界からも評価されるという感覚を当たり前のように持っているんですよね。もっと上の世代には、世界に対する気後れがあったり、世界に出ていくためには言語によって自分の作品をプレゼンテーションする必要性を感じていることが多いのですが、そうした感覚を持たない新しい世代が、世界に出ていけるきっかけになるような場をつくりたいという思いがありました。
デジタルアートプラットフォーム・NEORTのフィジカルギャラリーとなる3Fの「NEORT++(ネオルトツー)」。この日は、フランス出身のアーティスト、Alexis André氏によるNFT作品の初個展『Slices』が開催されていた
文化の“熱量”が人のつながりを育む
ー先日粟谷さんが担当された「クリエイター特区」プロジェクトの概要についても聞かせてください。
栗谷尚生さん(以下、粟谷):「クリエイター特区」プロジェクトは、三井不動産の80周年を記念して行われたイベントです。「UN/BUILT」というコンセプトのもと、日本を代表する10数名のアーティストたちによるARアートも含むデジタルアート作品を、日本橋室町の福島ビルに開設したリアルギャラリー、福徳の森など街中に開設したARギャラリー、オンライン上のバーチャルギャラリーの3ヶ所で同時展示し、NFTで販売しました。
(関連記事:クリエイターとともに都市の未来を描く。日本橋を舞台に展開される「クリエイター特区」プロジェクトとは?)
先日開催された「クリエイター特区」プロジェクトのプロジェクトオーナーを務めた三井不動産の栗谷尚生さん。同プロジェクトで展示されたAR三兄弟によるAR作品「能ミュージック、能ライフ」には、実の父である粟谷明生さんがモデルとして協力した
ーこのプロジェクトを通して実現したかったことを教えて下さい。
粟谷:武田さんと少し似ているところがあるのですが、僕はもともと能楽師の家の生まれなんです。自分自身が能楽師でもあったわけですが、20歳の頃に就職をしようと決意したんですね。生意気だったのかもしれませんが、より広い社会に出て、さまざまな方々と大きな仕事がしたいという思いが爆発したんです。
実際に街を扱う三井不動産に入社してすでに8年が経ちますが、さまざまなプロジェクトを通じて、能楽師をしていた頃には経験したことがなかった単位の人たちの生活の一部に影響を与えられることに感動を覚えると共に、たった数百人でも、人々に感動を届けていく、拍手をもらうことほど尊いものもないな、と改めて感じるようになりました。だからこそ、今回このような機会を頂いた時に、アートや文化が持つ熱量のようなものと、大多数の人たちを抱える「都市」という場所をつなぎたいと思ったんです。
ーアートや文化が持つ熱量から生まれる人のつながりというのは、武田さんが取り組んできたプロジェクトにおいてもポイントになっているように感じます。
武田:そうですね。まさに僕も衣料品問屋の跡継ぎという立場なのですが、もし仮に老舗和菓子屋の跡継ぎだったとしたら、同じ味を守っていくことに意味があると思うんですね。でも、流通業というのは時代時代において機能することが大切なので、これまでと同じことを続けていてもしかたないんです。では、この時代に何を流通させるのかということを考えた時に、それは「人」と「クリエイティビティ」だと思ったんです。これらが集まる場所をつくり、そこにマーケットを生み出すことがこれからの流通の形だと。だから僕の場合は、人ありきで物事が始まるケースが多くて、中心となる人の人物像や個性から場のコンセプトをつくっていくという流れなんです。例えば、DDD HOTELの1Fにはレストランを入れたいと考えていたのですが、ホテルをオープンしてからしばらくは遊ばせていたんです。そして、この人だというシェフと出会えたので、昨年4月から営業を開始しました。
(関連記事:衣料品問屋の街でチャレンジを続ける4代目。クリエイティブ×コミュニティで家業を更新する。)
人を信じて、“賭ける”場づくり
ー人やコンテンツありきで場がつくられていくというのは、まるかビルにも共通する点ですね。場とコンテンツの関係性というのは、ディベロッパーである三井不動産にとっても一つのテーマだと言えそうですね。
粟谷:まさに永遠の悩みですね(笑)。ディベロッパーというのは常に場のコンテンツを探しているところがあるのですが、やはり肝となるのは「人」とのつながりなのだと思います。いかに人との出会いやつながりをつくるのかというところで皆が悩んでいるように感じます。その点、今回の「クリエイター特区」プロジェクトでは、クリエイターの方たちと面と向かってお話しできたことは大きかったですし、直接やり取りすることの大切さを感じました。
武田:それは大事ですよね。その部分を外の人に任せてしまうと、結局いつまで経ってもつながりや広がりは生まれないと思います。個人的には、そうした人とのつながりを重視してくれる人がディベロッパー側にいてほしいというのがあります。どうしても大手のディベロッパーだと、エリアや施設ごとに担当が決められ、それがコロコロ変わっていってしまうんですよね。でも、それだと文化は育たないし、長い目線でコーディネーションをしてくれるような人や部署があると凄くやりやすいなと思いますね。
「クリエイター特区」プロジェクトの期間中、日本橋三越本店向かいに位置する福島ビルに開設されたリアル展示会場“UN/BUILT”ギャラリー。会場では13名のアーティストによるデジタルアート作品が展示され、用意されたVR機器を用いてバーチャルギャラリーで作品を鑑賞することも。(画像提供:未来特区プロジェクト)
粟谷:「クリエイター特区」は社内横断のプロジェクトとして進められたのですが、今回のように窓口を一元化して横断的にコンテンツをつくっていくような動きも今後重要だと感じています。最近は三井不動産に入ってくる若手と話をしていてもこうしたソフトの部分に取り組みたいという人が増えていますし、その受け皿となるような部署があったら素敵ですね。ちなみに武田さんは、どのように人とのつながりをつくっていくことが多いのですか?
武田:僕は決して社交的なタイプではないので、この分野ではこの人だと思った人に全ベットするところがあるんです(笑)。レストランのシェフにせよ、ギャラリーのディレクターにせよ、NFTアートにせよ、「この人だ!」と思うところは直感なのですが、そこにすべてを賭けるんです。これは小さな組織だからできることなのかもしれませんが、一度この人だと思った人にはすべてを任せるようにしています。
粟谷:「クリエイター特区」プロジェクトでは、参加アーティスト全員にインタビューをしたのですが、アニメーターの玉川真吾さんから「勝手にやっていいんだという空気感が醸成されないと街もつまらなくなっていくのでは?」と言われたことが印象的でした。三井不動産が決めたピースを埋めるのではなく、もっと創造的なものを出すから信じてくれと。その方が結果的に都市も良くなるとお話をされていたんですね。ディベロッパーというのは計画的につくっていくことが基本ですし、社内説明なども当然必要なのですが、勇気を持って待つ、人に賭けるということが大切なんだなと。
(関連記事:玉川真吾さん インタビュー(未来特区プロジェクトより)
武田:特にアートギャラリーの仕事は、人からの信頼がないと価値をつくることが難しい。だからこそ、そうした信頼や個人の思いというものは僕も大事にしています。ぜひ三井不動産さんにもそのくらいの度量で構えてもらいたいところですね(笑)。
理由は、そこに家業があったから
ー都市や街と文化の関係性についてもお伺いしたいです。武田さんは馬喰町界隈でアートやカルチャーを発信する場をつくっていく上で、街の歴史や土地、建物が持つ文脈などとのつながりは意識していますか?
武田:正直ほとんど意識していないですね。よく、なぜ日本橋なのかと聞かれるのですが、理由はいたってシンプルで、そこに家業があったから。それはごく自然なことだと思っていて、三井不動産さんにしても日本橋から始まっているというところが大きいと思うんですね。この街にこだわり続けているわけではないのですが、自分のルーツなので他を選ぶよりはここがいいというくらいの感覚です。逆に街の外からやって来た人たちの方が、日本橋の文脈を意識するところがあるのだと思います。もともと日本橋の端のエリアにいる自分の役割は、いまこの街に足りていない新しいことをして、エッジを立てていくことだと明確に認識しています。
まるかビル2Fのparcelでは、アーティスト・箕浦建太郎さんによる個展『せ』が開催され、同氏による数々の絵画作品が展示されていた
粟谷:個人的には、日本橋の文脈に引っ張られ過ぎてしまうと、自分で自分の首を締めてしまうことになりかねないと思うことがあります。でも、「クリエイター特区」プロジェクトを通して気づけたのは、アーティストをはじめ街の外から参加してくれる人たちが日本橋をそれぞれの観点から解釈してくれたり、街に愛着を持ってくれるということです。それ自体は良いことですし、取り組みを街の外の人に開いていくことはとても大事なことだと感じています。
武田:同感です。まるかビルができたことで、新しいギャラリーが3つ同時にオープンしたわけですが、オープニングレセプションなどを同日に開催すると、街の外からこれまでは見なかったような人たちがたくさん来てくれるんですよね。そして、そういう人たちが面白がってくれることで、最近馬喰町界隈が盛り上がってきているような感覚はあります。
ー今後日本橋がアートの街として認知されていく可能性についてはいかがでしょうか。
武田:まるかビルを続けていくことでそうしたムーブメントをつくっていきたいと思っていますが、街にあといくつかアートギャラリーがオープンすると、ゲームチェンジができる気がしているんです。例えば、海外の有名なギャラリーなんかを誘致するようなこともできたらいいなと思うのですが、そこで重要になるのは物件なんですよね。日本橋には歴史的・文化的背景がある建物がたくさんあるし、これらをギャラリーにすることには大きなポテンシャルがあると思うんですね。新築ピカピカのビルではダメなんです。だからこそ、三井不動産さんのようなディベロッパーには、経済効率が良い新築のビルをつくってから誘って頂くのではなく、ぜひ建て替える前に教えてほしいんです(笑)。
未来への投資が文化を創る
ー都市や街において、文化と経済はトレードオフの関係になってしまう部分も少なからずありそうですね。
武田:まるかビルでは1Fに駐車場を入れているのですが、それによって経済的に達成しないといけないラインを下げているんです。駐車場を入れるのはダサいことかもしれませんが、それによって若者たちがお金のことを気にせずに挑戦できる環境が担保されている面もある。僕は「しょせんボンボン、されどボンボン」とよく言っているのですが(笑)、お金に固執しなくていいからこそできることがあると思っています。海外では実際にそういう立場にある人が長い目線で文化に携わることによって、クリエイターの活動の場や文化の純度が保たれているところがあるし、自分もそういう部分に貢献していきたいんです。
粟谷:経済合理性がすべてではないことは我々も理解していて、今回の「クリエイター特区」プロジェクトは、都市における文化の大切さを会社としてメッセージした一つの取り組みだったと思っています。コロナ禍によってオフィスに来る人が少なくなるなどリアルの場の価値が問われていますが、我々としても経済的な指標だけではなく、人の心を動かすような情緒的な価値の大切さも身をもって感じました。そういう意味でもアートや文化というのはリアルの場と親和性が高いと思っています。
「クリエイター特区」プロジェクトではAR作品の展示も行われた。日本橋の「福徳の森」「仲通り」の2箇所で専用アプリを立ち上げると、AR三兄弟による作品や、公募アイデアによるAR作品がアプリ上のリアル空間に浮かび上がる。(画像提供:未来特区プロジェクト)
ー文化というのは未来への投資と言える側面もあるため、すぐに結果を求められがちな企業活動にそれをいかに組み込むのかというのは難しいテーマですね。
粟谷:そうですね。「クリエイター特区」プロジェクトでは、これから数年でデバイスが普及すると言われているAR領域のコンテンツを、先回りしてAR三兄弟様のご協力のもと街に埋め込むということに取り組んだのですが、これらを経済的価値にすることはなかなか難しいですよね。
武田:ARにせよNTFアートにせよ、若い人への投資が大切だと思うんです。以前にロンドンに留学していた「CON_」のメンバーは、向こうではやりたいイベントがあって企業に相談をしたら、すぐに協賛をしてくれたと言っていました。どこの馬の骨ともわからない外国の若者が持ってきたペライチの企画書でも、それが面白ければ投資をするという企業が海外にはあるみたいなんですよね。
25歳以下のメンバーが中心となって運営されるまるかビル4Fのプロジェクトスペース「CON_ (コン)。この日は1996年生まれのアーティスト・Wakuさんによる生命体をテーマにしたネオン作品が展示されていた
武田:ちなみに、粟谷さんはいまおいくつなんですか?
粟谷:31歳です。
武田:僕より若いじゃないですか! 僕は渋谷でGAKUという10代向けのスクールを運営しているのですが、彼らには周りの全員と友達になって連帯しろと言っているんです。そして、オジサマたちに対抗しろ、と(笑)。過激な物言いかもしれませんが、若者が連帯してがんばらなければ、日本は年寄りだけが物事を決める社会になってしまうと思っています。僕自身、日本橋で取り組むプロジェクトでは意識的に若い世代をアサインするようにしていますし、PARCELにしても世界とつながるギャラリーになることで、若者たちのチャンスを広げていきたい。僕もがんばりますので、ぜひ粟谷さんも大企業に残ってがんばってほしいです。たとえ小さな規模だとしても、若者のチャレンジに投資をするような企業や組織が出てくると日本は変わるはずなので。
粟谷:がんばりたいですね。我々はまさにいま存在を問われていると感じましたし、今日お話に出たような新しい組織や動きを社内につくるということにも取り組んでいきたいという思いを強くしました。今日はどうもありがとうございました。
取材・文:原田優輝(Qonversations) 撮影:岡村大輔
まるかビル
2022年4月に日本橋馬喰町にオープンしたアートの複合施設。そば処「まるか」として地元に愛された築70年のビルを、建築家・関祐介氏のデザインにより1Fを駐車場、2~4Fを3つのギャラリーに全面改装。2Fには現代美術ギャラリー「PARCEL」の2つ目の拠点となる 「parcel(パーセル)」、3Fにはデジタルアートのプラットフォームを運営するNEORTによるデジタル/NFTアートをフィジカルで体験できる「NEORT++(ネオルトツー)」、4Fにはアーティストとともに都市文化におけるオルタナティブを再考するプロジェクトスペース「CON_ (コン)」という個性が異なる3つのギャラリーが入居・連携している。